アナバーブルー

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アナバーブルー
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1998年4月12日(26歳)
死没 (存命)
Anabaa
Allez Les Trois
母の父 Riverman
生国 フランスの旗 フランス
生産者 Haras D'Etreham and M3 Elevage
馬主 シャルル=エリック・ミモニ
調教師 カルロス・レルネル(フランス)
競走成績
生涯成績 14戦4勝
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アナバーブルー (Anabaa Blue) とはフランスで生産された競走馬およびエトレアム牧場で繋養されている種牡馬である。競走馬時代の主戦騎手クリストフ・スミヨンが務め、全14戦中13戦で騎乗した。

経歴

競走馬時代

2000年(2歳)

9月に競走馬デビュー戦を迎え、デビュー戦は3着、次走も3着で、2戦して3着2回という成績で2歳戦を終えて休養に入った。

2001年(3歳)

3月に実戦復帰し、復帰戦で初勝利を挙げ、続く重賞競走初挑戦となったノアイユ賞(G2)を制して重賞競走初勝利を挙げて、G1競走初挑戦となるリュパン賞に出走したがチチカステナンゴにクビ差で敗れての2着だった。そして次のジョッケクルブ賞では、前走で敗れたチチカステナンゴから半馬身差で先着し、G1競走初勝利を挙げた。次走のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスでは、ガリレオファンタスティックライトに次ぐ3番人気の支持を集めたが、レースでは7着という結果に終わり、その後休養に入った。

秋はニエル賞から始動したが、ゴーランに敗れての2着、続く凱旋門賞は9着という結果に終わり、秋は2戦しただけで休養に入った。

2002年(4歳)

古馬となっての初戦は4月のガネー賞で5着だったが、続くシャンティ大賞(G2)を制して約1年ぶりの勝利を挙げた。しかしその後はサンクルー大賞で5着、休養を挟んでフォワ賞で2着、凱旋門賞で7着となり、この年限りで競走馬を引退した。

種牡馬時代

2003年からエトレアム牧場で種牡馬入りした。

2004年に初年度産駒が誕生し、それらの産駒たちは2006年に競走馬デビューした。初年度産駒の活躍した2006年はフランス2歳リーディングサイアーとなっている。

年度別競走成績

  • 2000年(2歳) 2戦0勝
  • 2001年(3歳) 7戦3勝
    • 1着 ノアイユ賞(G2)、ジョッケクルブ賞(G1)
    • 2着 リュパン賞(G1)、ニエル賞(G2)
  • 2002年(4歳) 5戦1勝
    • 1着 シャンティ大賞(G2)
    • 2着 フォワ賞

主な産駒

血統表

アナバーブルー血統ダンジグ系/Riverman 4×2=31.25%、Nearco 5×5=6.25%) (血統表の出典)

Anabaa
1992 鹿毛
父の父
Danzig
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
父の母
Balbonella
1984 黒鹿毛
*ゲイメセン Vaguely Noble
Gay Missile
Bamieres Riverman
Bergamasque

Allez Les Trois
1991 栗毛
Riverman
1969 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
River Lady Prince John
Nile Lily
母の母
Allegretta
1978 栗毛
Lombard Agio
Promised Lady
Anatevka Espresso
Allmyra F-No.9

半姉Al Ishq(1997 Nureyev)の産駒にタマユズ、 母の半姉に凱旋門賞を勝ったアーバンシー、半弟に英2000ギニーを勝ったキングズベストがいる。

外部リンク

先代
イギリスの旗ホールディングコート
仏ダービー馬
2001年
次代
フランスの旗スラマニ