アイルランドに平和を
「アイルランドに平和を」 | ||||
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ポール・マッカートニー&ウイングス の シングル | ||||
B面 | アイルランドに平和を(インストゥルメンタル) | |||
リリース | ||||
ジャンル | ロック | |||
レーベル | アップル・レコード | |||
作詞・作曲 |
ポール・マッカートニー リンダ・マッカートニー | |||
プロデュース |
ポール・マッカートニー リンダ・マッカートニー | |||
チャート最高順位 | ||||
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ポール・マッカートニー&ウイングス シングル 年表 | ||||
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アイルランドに平和を(原題:Give Ireland Back to the Irish)は、1972年にポール・マッカートニー(Paul McCartney)&ウイングス(Wings)が発表した楽曲。作詞・作曲の名義はポール&リンダ・マッカートニー(Linda McCartney)。及び、同曲を収録したシングル。
ウイングス初のシングルとして、同年2月25日に発売された。またヘンリー・マッカロクを加えた「第2期ウイングス」で最初にレコーディングされた曲でもある。「ポール・マッカートニー・コレクションシリーズ」のCD『ワイルド・ライフ』に、ボーナストラックとして収録されている。
楽曲
ポールには珍しいプロテストソングで、タイトルを直訳すると「アイルランドをアイルランド人に返せ」となる。「血の日曜日事件」(後述)に衝撃を受けたポールが作曲した。同年にウイングスがイギリスで行ったツアーでも披露している。
当初ウイングスは初シングルを「ラヴ・イズ・ストレンジ」(『ワイルド・ライフ』収録、ミッキー&シルヴィアのカヴァー)にする予定だったが、事件を受け急遽「アイルランドに平和を」に差し替えた経緯がある。
「血の日曜日事件」当事国のイギリスではBBCをはじめ、多くのメディアで放送禁止処分を受けた。チャートはイギリスで16位[1] 、アメリカで21位[1]、当然ながらアイルランドでは1位。他に日本(洋楽チャート)、スペインで1位を記録している。
- ^ a b チャートはイギリスが『ミュージック・ウィーク』、アメリカが『ビルボード』での最高位を示す。
背景
北アイルランドはアイルランド独立後も英領として残され、アイルランド人とイギリス本土から渡ってきたアングロ・サクソン人(イギリス人)との間で対立が続いていた(詳細はアイルランドの歴史を参照)。そんな中、1972年1月30日にロンドンデリーで非武装の市民権デモ隊にイギリス軍が発砲、13人の死者を出す「血の日曜日事件」が発生した。
かつてビートルズの仲間であり、当時ポールとは根深い確執のあったジョン・レノンはこの曲について「歌詞が幼過ぎる」と批判する一方、「歓迎すべきだ」との肯定的コメントも残している。そして自らがアイルランド系であるジョンも「血まみれの日曜日」「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」を発表することになる。