アイルランドに平和を

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アイルランドに平和を
ポール・マッカートニー&ウイングスシングル
B面 アイルランドに平和を(インストゥルメンタル)
リリース
ジャンル ロック
レーベル アップル・レコード
作詞・作曲 ポール・マッカートニー
リンダ・マッカートニー
プロデュース ポール・マッカートニー
リンダ・マッカートニー
チャート最高順位
  • 16位(イギリス)
  • 21位(アメリカ)
ポール・マッカートニー&ウイングス シングル 年表
出ておいでよ、お嬢さん
(1971年)
アイルランドに平和を
(1972年)
メアリーの子羊
(1973年)
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アイルランドに平和を(原題:Give Ireland Back to the Irish)は、1972年ポール・マッカートニー(Paul McCartney)&ウイングス(Wings)が発表した楽曲。作詞・作曲の名義はポール&リンダ・マッカートニー(Linda McCartney)。及び、同曲を収録したシングル

ウイングス初のシングルとして、同年2月25日に発売された。またヘンリー・マッカロクを加えた「第2期ウイングス」で最初にレコーディングされた曲でもある。「ポール・マッカートニー・コレクションシリーズ」のCD『ワイルド・ライフ』に、ボーナストラックとして収録されている。

楽曲

ポールには珍しいプロテストソングで、タイトルを直訳すると「アイルランドをアイルランド人に返せ」となる。「血の日曜日事件」(後述)に衝撃を受けたポールが作曲した。同年にウイングスがイギリスで行ったツアーでも披露している。

当初ウイングスは初シングルを「ラヴ・イズ・ストレンジ」(『ワイルド・ライフ』収録、ミッキー&シルヴィアのカヴァー)にする予定だったが、事件を受け急遽「アイルランドに平和を」に差し替えた経緯がある。

「血の日曜日事件」当事国のイギリスではBBCをはじめ、多くのメディアで放送禁止処分を受けた。チャートはイギリスで16位[1] 、アメリカで21位[1]、当然ながらアイルランドでは1位。他に日本(洋楽チャート)、スペインで1位を記録している。

  1. ^ a b チャートはイギリスが『ミュージック・ウィーク』、アメリカが『ビルボード』での最高位を示す。

背景

北アイルランドアイルランド独立後も英領として残され、アイルランド人とイギリス本土から渡ってきたアングロ・サクソン人(イギリス人)との間で対立が続いていた(詳細はアイルランドの歴史を参照)。そんな中、1972年1月30日ロンドンデリーで非武装の市民権デモ隊にイギリス軍が発砲、13人の死者を出す「血の日曜日事件」が発生した。

かつてビートルズの仲間であり、当時ポールとは根深い確執のあったジョン・レノンはこの曲について「歌詞が幼過ぎる」と批判する一方、「歓迎すべきだ」との肯定的コメントも残している。そして自らがアイルランド系であるジョンも「血まみれの日曜日」「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」を発表することになる。

関連項目