なつかしい土地の思い出
クラシック音楽 |
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『なつかしい土地の思い出』(仏: Souvenir d'un lieu cher, 露: Воспоминание о дорогом месте)作品42は、ピョートル・チャイコフスキーが1878年の3月から5月にかけて作曲した、ヴァイオリンとピアノのための小品集。初演についての記録は残っていない。1896年にアレクサンドル・グラズノフによって管弦楽法が施された。
以下の3つの作品から成り、全曲を演奏すると17分かかる。
第1曲は、《ヴァイオリン協奏曲 ニ長調》作曲のため滞在中のスイスのクラランにおいて、1878年3月23日から25日にかけて作曲された。元々は協奏曲の中間楽章にするつもりであったが、協奏曲の楽章にしては短すぎると察した作曲者によって放棄され、代わりにカンツォネッタが作曲された。
チャイコフスキーはロシアに帰国すると、5月16日にヴァイオリンとピアノのための小品集の作曲に取り掛かり、5月22日に弟モデストに仕事は順調だと伝えている。5月25日には、2週間のバカンスのため、庇護者ナジェージダ・フォン・メックの所有するウクライナのブライロヴォにある別荘に向かい、そこで5月31日に作品を完成させた。なお、ブライロヴォ滞在中には、《6つの歌曲》作品38を完成させ、《金口イオアンの聖體禮儀》作品41の全曲のスケッチ[1]をも手掛けている。
《ヴァイオリン協奏曲》の破棄された緩徐楽章が改作されて第1曲の「瞑想曲」となり、続いて「スケルツォ」と「メロディ」が作曲されて、作品全体を作り上げている。チャイコフスキーはこの曲集の自筆譜を、メック夫人に感謝のしるしとして贈ってしまったが、作品を出版するつもりでいたので、夫人に写譜を手配してくれるように頼み込んだ。譜面はメック家の使用人で後に娘婿となったヴワディスワフ・パチュルスキの手で筆写され、楽譜出版社のユルゲンソンに送られた。1879年5月に、作品42として出版された。作品は「B*******」に献呈されているが、これはブライロヴォ(Brailovo)の地そのものを示唆したものと判ぜられる。
1880年に「瞑想曲」が単独で出版されると、それ以来、独立した楽曲として有名になった。「スケルツォ」と「メロディ」は1884年になって単独で出版されている。グラズノフの編曲による管弦楽伴奏版は、1896年にユルゲンソン社が出版しており、こちらのほうがことによると原曲よりも有名かもしれない。なお、アレクサンドルー・ラスカエは、ヴァイオリンと弦楽合奏のための編曲を行なっている[2]。