谷光次
谷 光次 たに みつじ | |
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生年月日 | 1907年2月2日 |
出生地 | 徳島県鳴門市 |
没年月日 | 2002年11月30日(95歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部法科 |
親族 | 谷伊七郎 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1959年 - 1987年 |
谷 光次(たに みつじ、1907年(明治40年)2月2日 - 2002年(平成14年)11月30日)は、日本の政治家。弁護士。鳴門市長。京都帝国大学法学部法科卒業。徳島県鳴門市出身。
経歴
板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。父は撫養町長を務めた谷伊七郎。1931年(昭和6年)、京都帝国大学法学部法科卒業。
大学卒業後、京都市と徳島市で弁護士として務め、徳島市選管委員長、徳島県出納長、徳島県弁護士会会長を経て1959年(昭和34年)に鳴門市長に初当選。その後、28年間、7期に渡り鳴門市長を務めた。
2007年(平成14年)11月30日に老衰のため徳島市の病院で死去、95歳没[1]。
市長在任中
- 1965年 - 徳島県立鳥居記念博物館がオープン。
- 1973年 - 鳴門市議会でドイツ・リューネブルクとの姉妹都市契約の締結ともに「鳴門市・リューネブルク市姉妹都市条例」が議決。
脚注
- ^ “谷光次氏死去 元徳島県鳴門市長”. 共同通信 (2002年12月1日). 2014年3月25日閲覧。
参考文献
- 『徳島人物事典 1969』(四国ニュース、1969年)
- 『日本の歴代市長 第3巻』 歴代知事編纂会、1985年。
公職 | ||
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先代 近藤尚之 |
鳴門市長 第4代:1959 - 1987 |
次代 矢野茂文 |