Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記/過去ログ3

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英語版との記述の違い[編集]

英語版のen:WP:BLPだと

Contentious material about living persons (or in some cases, recently deceased) that is unsourced or poorly sourced – whether the material is negative, positive, neutral, or just questionable – should be removed immediately and without waiting for discussion.[2]

と 「存命中の人物に関する議論のある事項で出典の無いあるいは貧弱な情報源しかないものは、その事項が否定的でも肯定的でも中立的でもあるいは単に疑わしいものでも、議論を待たずに直ちに除去すべし」 なのですが日本語版では

存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです[1]。

と否定的な場合のみの除去になっていて基準がある意味ゆるいとも取れるのですが、これは、少し古い時代に翻訳したためでしょうか。 2006年5月ころだと似た文[1]で、 2006年末までには、現在のように、肯定的でも中立的でも除去という説明が加わった模様です[2]。 追従して改正するほうが望ましい気がしますが、あるいは、追従しないという議論がかつてあったのでしょうか? --T6n8会話2013年11月27日 (水) 15:33 (UTC)

むしろ、「存命中の人物に関する議論のある事項」ですから、逆に言えば「議論がなければ」単に出典がないとか貧弱な情報源がないというだけの根拠で削除するべきではない、という点にも留意すべきかなと。--零細系統保護協会会話2013年12月11日 (水) 00:43 (UTC)
議論があれば/なければというのはcontentiousを指しているのだと思いますが、これを議論がすでに起こっているの意味に解すると、文末のwithout waiting for discussionと整合性が取れなくなりますので、ここでは(将来的に潜在的可能性として)議論の余地があるという意味に解さないとおかしいでしょう。つまり、ある編集者が”これは問題”だと認識すれば議論を経ることなく、即刻削除すべしとの解釈を取るべきです。私が気になっているのは、T6n8さんご指摘のように英語版にはnegative, positive, neutral, or just questionableとなっている部分がnegative以外日本語版ではスッポリ抜け落ちている点です。とくにpositiveが抜け落ちている点は非常に重大で、この部分は要するにどんな情報であってもそれが議論の余地がある場合はといった、無限定・無条件の意味合いを持っているのが、日本語版では限定的になっていることが引っかかります。英語版で無条件的に表現している根拠を調べると、その出典で引用されている3つあるメッセージのうち、最初のものが"This is true of all information, but it is particularly true of negative information about living persons"(斜体筆者)と説明しており、このうち"particularly true of negative information"の部分だけ取り出して日本語訳としてしまったのではないかと推測します。いずれにしても、ポジティブな情報ゆえに即刻削除をせずに放置されている記述が多数に及んでいて、それらが本来は即刻削除の対象とすべきものならば由々しき問題(原文で言えば"lousy writers"の問題)なので、議論があって然るべきと考えます--直蔵会話2020年3月9日 (月) 08:42 (UTC)

Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記/過去ログ3/「伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用」についての確認

来歴の記述について(婚姻出産等私的記述に関する件)[編集]

著名な存命人物,特に女性の著名人物の来歴について,一部雑多な記述が見られる為,以下の通り提案します。

  • 婚姻や出産,離婚,養子縁組等の私的な動向については婚姻届の提出及び出産,また離婚届,養子縁組届の提出等,民事的事項に関わる事柄のみ記述。但し,いわゆる内縁関係はこの限りでないと考える。
  • 挙式披露宴についての記述は原則不要。但しテレビ中継が行われた等公的に重要と思われる事項とみなされる場合は記述して差し支えないものと考える。
  • 妊娠中等の記述については出産時点で遡って推定可能な事項につき不要。但し婚姻時に既に妊娠,また妊娠を主な事由に活動休止または引退,退社等公的動向に関わる場合は記述して差し支えないものと考える。

以上の件について意見を求めます。--Sai314yo会話2014年12月18日 (木) 05:01 (UTC)

必要であれば書き、そうでなければ書かない、のはある種当然のことです。方針文書は明快、簡潔で冗長さを避けることが望ましく(WP:PG#内容)、細かに例示する必要は無いと思うのですが、それを踏まえて、どうしてもこの条文を加えなければならない、という理由は何ですか? --Bellcricket会話2014年12月18日 (木) 05:25 (UTC)

テンプレートの文章[編集]

テンプレートの文章中の「存命人物に関する出典の無い」の「無い」を表記ガイドの仮名書きに従って「ない」に変更することを提案します。--TOSHIFUMI NAGAO会話2015年9月15日 (火) 13:58 (UTC)

追加で、存命人物の編集中に出てくる警告内の文章についても同様の変更をお願い致したく提案します。--TOSHIFUMI NAGAO会話2015年9月16日 (水) 21:17 (UTC)

時期の表記[編集]

  1. 「40歳で○○を発明し、50歳のときに××賞を受賞した。」
  2. 「199x年に○○を発明し、200x年に××賞を受賞した。」

生年月日が明らかな人物である場合、どちらの表記が適切でしょうか? 後者のほうが客観的であり、百科事典の内容としては適切だと思いますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?

「199x年(40歳)で○○を発明し、200x年(50歳)に××賞を受賞した」と併記する形がありますが、何らかの理由(出典不十分など)で併記が好ましくない場合を想定してください。よろしくお願いします。--220.210.178.59 2015年11月8日 (日) 04:36 (UTC)

年齢についての出典はあるが、それが何年であるかが不明である場合は、年齢を記載することもあるでしょう。以前、年齢から逆算して、「何年頃」などと独自研究をわざわざ並記されていましたが、そうした編集はおやめください。--210.142.89.27 2015年11月8日 (日) 06:36 (UTC)
満年齢と生年は必ずとも一致しない(上記の例ですと発明した月によっては、年齢は異なる)ことは明白ですから、年月まで明白で無いのであれ出典の通りにすべきでは無いでしょうか?--Vigorous actionTalk/History2015年11月8日 (日) 06:48 (UTC)

コメント 「好ましくない場合」に関してはVigorous actionさんの指摘に関して同意見です。

それ以外のことをいうと、基本的に発議の件で「一般的にこちらが適切」というものはないと考えます。もしあるとすれば年齢と西暦の併記ですが、原則的には個々の記事の個々の記述ごとに考えればいい。
もし文章がその人の加齢に沿うような編年体で書かれている、スタイルとして何歳のときにどうした、何歳の時にこうした、となっている、「○歳のとき」がなにかキーワードになっているというような流れがあるときには年齢表記を優先するということはあるでしょう。たとえば・・そうですね、「Aさんは30歳の時に発明したけどBさんは25歳で発明した」みたいな文脈とか。(これを「Aさんは1920年に発明したがBさんは1720年に発明した」と書いたら文脈が変わっちゃいますよね)
その逆ももちろんありますよね。○年はナントカ戦争のさなかで、発明した年がまさにそれと関連性があるんだとか。
質問の意図とはズレてしまいますが、一般に「受賞」に関しては「○年に」とピンポイントで時を示すことはできるんでしょうけど、「発明」については、きっと長い年月の積み重ねの果てに実現するものであって、何を以って「○年に発明」とするのかはどうなんだろうと思います。まあ出典がそう言っているならとりあえずはいいのですが。--柒月例祭会話2015年11月11日 (水) 12:33 (UTC)

何年~何十年も前の資料を基に、存命人物の誕生日や本名などを記載することについて[編集]

本人や所属組織においてのウェブサイト(HP、ブログ、SNS、など)ですぐに確認できる現在の情報に誕生年や本名などが記載されていない場合、何年~何十年も前の雑誌や名鑑などの資料を基に記載するケースがあります(例1 例2)。その資料により過去の出来事などを記載するのは理解できますが、「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」のなら誕生年や本名などのプライバシー情報に関しては本人の発言や所属組織による現在(最新)の情報が優先されるべきだと認識していますが、違いますでしょうか?--Sonchou会話2018年5月4日 (金) 05:52 (UTC)

それ以前に「推定する」とは何でしょうか。発議者さんはこの会話ページで「生年非公開にしている「根拠」を他人が知っているはずもありません」とおっしゃってますが、年齢非公開の根拠を知らないのに生年などを除去しているのでしょうか。もしそれが思い込みに過ぎないのならば、それは独自研究に抵触しませんか。もしそうなら、これより先に当人はプライバシー尊重を望んでいると推定するを含むWP:BLPの改訂が先ではないでしょうか。やはり、年齢非公開の根拠となる出典の提示は必要だと思います。それか、もし声優の年齢が本当に非公開なのかどうか気になるのなら、各声優事務所に問い合わせするなりしてみてはどうでしょうか。—116.70.211.252 2018年5月4日 (金) 08:14 (UTC)
コメント 公開済みの情報であるならば除去はできても削除にはなりません。プライバシー権は尊重しますが、「今、その情報の公開をやめたから」という理由で過去の版をさかのぼって削除するようなことは現在もありません。「当人はプライバシー尊重を望んでいる」というのは、公開されていない情報、あるいは『本人が公開に同意していないと考えられる情報』を書くことはできないという話です。この公開に同意していないと考えられる情報というのは「公開をしていたが後にやめた情報」ではなくて、例えば、事件報道されたことで本名が公開された芸能人なんかが当てはまります。
あるタレントなどが過去に所属事務所を通じて公開していたプロフィルを根拠に年齢などが書かれていたとしても、「過去に公開されていたから削除するべき」にはなりません。最新のプロフィルによるかどうかではなく、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源に則った情報であるならば、それを単純に除去する理由になりません。最新のプロフィルによって「情報が上書きされている(年齢などが非公開化された)」と判断するかどうかは焦って除去するのではなく、ノートで「最新版に表示させるべきか」を議論するなり、プロジェクト:芸能人などでそうした年齢などの情報の記載に関するガイドラインを作るなりしてください。少なくとも、「存命人物の伝記」という方針で縛るべきではありません。ちなみに「所属事務所に直接問い合わせ」した結果を反映させるのはNGです。--アルトクール会話2018年5月4日 (金) 08:40 (UTC)
返信 (アルトクールさん宛) 過去の版まで遡って削除…というお話ではなくていわゆる最新版に記載することについてなのですが、つまり、「検証可能な信頼できる情報源であれば、何年~何十年も前の雑誌や名鑑などの資料だろうと過去に一度だけでも誕生年や本名などのプライバシー情報が載っていれば、現在の情報源(HP、ブログ、SNS、など)に誕生年や本名などの記述がなくとも、その過去に一度だけ載った資料を出典にして記載するのはWP:存命人物の伝記の方針としては正しい。」ということでしょうか?--Sonchou会話2018年5月5日 (土) 02:29 (UTC)
コメント 実際問題として。公式プロフィルの記述が変更されたとして、では「それまで公開されていた情報自体を表示させたくなくなったのか」は確認ができないんです。本人の意志で非公開化している可能性もあれば、事務所の方針でということもあるでしょうし、他の所属者との兼ね合いが合って表示『させてない』だけかもしれません。Wikipedia:検証可能性を満たせるなら、それは書けるものになりえます。最新版において記述を非表示(除去)するというならば、出典を示したうえでノートあたりで「現時点においては非公開と考えられるので除去します」とか一言書いておけばいいのです。いっときますが、個人情報を『一度でも』第三者(この場合、所属事務所のプロフィルなら、所属事務所という『第三者』を通しているともいえる)経由で公開しているなら「書くことはできる」。それを現状に合わせて「除去もできる」。何が何でも出典があるから最新版に書かなきゃいけないって話ではありません。--アルトクール会話2018年5月5日 (土) 03:22 (UTC)
返信 (アルトクールさん宛) 全てとは言えませんが、大筋で納得はできたと思います。考えがまとめられるようになりましたらプロジェクト:芸能人あたりにでも提議したいと思います。ありがとうございました。--Sonchou会話2018年5月5日 (土) 04:38 (UTC)

本人による編集について[編集]

まず、本件は前提となる議論にWikipedia:井戸端/subj/存命人物記事における本人のアクセス時の対応の簡易化あるいは可視化があります。過去にいくつかの記事で本人による編集が発生し、対応が必要となるケースがあったので、ケーススタディというかパターン分けみたいなものがあったらある程度どんな利用者であっても対応がしやすいのではないかと考え、試しに作成しました。【要確認】の箇所は当方がよく分かっていない箇所なので、そちらについてはご指南頂けますと幸いです。今後前述した井戸端のような方法やその他の方法でこの手の情報が有効活用できないかと考えているのですが、ちょっとやり方がふんわりしすぎていて固めきれないので、皆様のご意見を賜りたいです。よろしくお願いいたします。--遡雨祈胡会話2019年9月14日 (土) 16:03 (UTC)

返信 お久しぶりです。草案作成お疲れさまです。【要確認】のアカウント作成できないケースですが、Info-jaにメールで問い合わせるか、アカウントを作成せずに書き込むか、アカウントの作成・ログインが可能な知人等に代理を依頼するかの3択ではないでしょうか。Info-jaへの問い合わせの場合、所属会社などの公式メールアドレスを使用することで身元を証明することができます。ただ、こちらは名誉棄損や犯罪示唆などの重大案件向きでしょう。アカウントを作成しない場合、IPアドレスから利用者の所在地などが判明してしまう可能性があります。所属会社など判明しても問題のないような場所でインターネットを利用するならかまいませんが、基本的には極力避けた方がいいでしょう。知人に代理を依頼する場合は、Wikipedia:多重アカウントに抵触しないように注意が必要です。また、ウェブログやSNSなどでアカウント名〇〇に代理を依頼したと表明しておいた方がいいでしょう。--SilverSpeech会話2019年9月17日 (火) 00:33 (UTC)
ご無沙汰しております。Wikipedia:投稿ブロックへの異議申し立てというのがあったので、後者二つとこちらを案内することにしました。一応ボランティア側の負担軽減もできたらいいなと考えているので、一旦所定のガイドのようなものを読んだ方が確実だと思っております。--遡雨祈胡会話2019年9月17日 (火) 14:12 (UTC)

BLPにおける否定的記述について[編集]

存命人物伝記について、とりわけネガティブな情報のあり方について見解を募ります。私の考えは次のとおりです

  • BLPのネガティブな情報は「絶対書くな」とまでは言えないが、最大限の注意が必要
  • 単なる事実でも、言葉の選び方や文脈への置き方次第でネガティブな文脈になる。それは「ネガティブ情報」である。
  • 一般論としては中立性の問題はあるが、例外的にBLPでは、社会的評価を低める記述・不名誉情報・ネガティブ情報を「書かない」ことは、中立性の問題として受忍できる
  • 「ポジティブな情報を書く」のと「ネガティブな情報を書かない」は、その人物を(実際より)好人物にみせてしまう効果があるという点では共通ではある。が、後者は「宣伝的」とまでは言えない
  • 現実社会でバッシングを受けるような事案があった人物について、そのバッシングの詳細を詳述するのは、新たなバッシングをするのに等しいので、やめたほうがいい
  • 程度問題の面はある。存命でも「隠居して20年経つ元大統領」と、「いま現在社会人として活動中」では影響の大小の違いはある。

現在、ある人物記事でノートが紛糾していて、私一人では手に負えなくなっています。ここでその各論を始めると収集がつかなくなるので、ここでは基本則を確認するに留めたいと思っています。

また、私自身も関わっていることなので、ここでは少なくとも1ヶ月は私は黙って皆さんの意見を聞くことにします。できれば、いま紛糾中の人物記事に一切関わっていないベテラン利用者の見解をいただきたく思います。--柒月例祭会話2020年7月16日 (木) 03:46 (UTC)

コメントむらのくまと申します。wikiの方針・ガイドラインを鋭意勉強中で決して「ベテラン利用者」ではないのですが、掲題について私なりの考えを述べさせて頂きます。なお、私の理解に誤りがあればご指摘いただければ幸いです。Wikipedia:存命人物の伝記要約部には「『存命人物の伝記』の執筆時には特段の注意を払わなければなりません」と一定の配慮を求めながら、同時に、「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:独自研究は載せない」を厳守することを求めています。次にWikipedia:存命人物の伝記#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定するでは著名人について「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」とあります。これらの記述から、ネガティブな記述が、「有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」かどうか、「信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているもの」かどうか、で記載の可否をまずは判断すべきだと存じます。次に記事全体を見渡して、Wikipedia:存命人物の伝記#批判・あら探しの「悪意のある記述」「評論家の意見」に該当するかどうかのチェックをすることになると思います。ここから各論ですが、

  • 1項目:逆だと思います。「本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしい」とある通りです。
  • 2項目:程度問題と考えます。Wikipedia:存命人物の伝記#批判・あら探しの「悪意のある記述」に該当するならば、Wikipedia:中立的な観点より排除すべき記述となると思います。
  • 3項目:思考の方向が逆と考えます。まず守るべきはWikipedia:中立的な観点Wikipedia:存命人物の伝記により「社会的評価を低める記述・不名誉情報・ネガティブ情報を『書かない』」こともありうるが、その結果、記事全体として、逆の意味で中立的な観点が損なわれる(記事対象について都合の良いことしか書いていない)のであれば、その記事自体がケースEで削除されるべきものとなると考えます。
  • 4項目:程度問題と考えます。記事の全体を眺めてみて「宣伝的」となっていることは十分に考えられます。
  • 5項目:程度問題と考えます。「記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであ」るのであれば何処まで詳しく書くかは別にして、記載自体はwikiの方針上は問題はないことになります。
  • 6項目:影響の大小の違いというよりは、記事対象者からの異議申し立てをされる可能性の大小の様な気がします。

ここまでは、wikiの方針についてのお話しですので、wiki内についてです。 本件は「talk:長谷川豊とその関連議論を踏まえたもの」の様ですので、その点について、一般論として述べます。公人であれ著名人であれ一般人であれ、自身が嫌だと感じる報道や出版やネット上の記載に対し、「やめてほしい」「訂正して欲しい」「記載を変えて欲しい」「削除して欲しい」と求めることは自然なことであって、要求すること自体に特に問題はなく、むしろ一種の権利といっていい様に思います。記事対象者より「記載を変えて欲しい」「一部削除して欲しい」との要求があり、その対応を行った記事の内容が「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:独自研究は載せない」等の方針・ガイドラインに合致する範囲に収まるのであれば、要求通りにすればいいと思いますし、方針・ガイドラインに合致しないのであれば、方針・ガイドラインに合致する形での修正に折り合いが付けられるか記事対象者と交渉し、それも無理な場合は、記事自体をケースBで削除することになることもあるかもしれません。いずれにしても記事対象者との交渉が難航するのであれば、「Wikipedia:存命人物の伝記#本人による編集の扱い#あなた自身に関する記事の扱いについて」で対処することになるでしょうから、あらかじめ管理者間で対応を検討しておくとか裁定委員会やウィキメディア財団(アメリカ)と事前に協議しておく等が必要かもしれません。--むらのくま会話2020年7月16日 (木) 12:16 (UTC)

  • コメント コメント依頼から来ました。Wikipediaの方針的なところにあまり精通しているわけではないのでふわっとしたコメントになりますが、現在進行中のノート:長谷川豊という個別の記事の議論と関連しながら同時並行でWikipedia全体に関わる方針の解釈を巡る議論が行われるのはあまり好ましくないものと思います。件の記事の議論を通じて方針についての問題点・認識相違点、不備などが見いだされたならば、そちらの議論が一旦収束するのを待ってから改めて問題提起する方が良いのではないでしょうか。「紛糾中の人物記事に一切関わっていない」人の意見を望むのであれば特にそうで、当該記事の議論が継続している中でこのコメント依頼を通じて上記の基本則について意味のある具体的な見解を出せば、ノート:長谷川豊の議論に影響を与えることは必至で、この節に集まる意見と当該記事の議論を分離しておくことはかなり困難なものと思います。--TEN会話2020年7月16日 (木) 13:30 (UTC)
コメント いわゆる「出演強要」の問題などを念頭に置いてコメントします。㭍月例祭さんのお考えは大筋では理解できます。存命人物に関する否定的な情報を記載するかどうか判断する際は、名誉毀損忘れられる権利の観点も考慮されるべきだろうと思います。「あなたの行った編集に関する法的紛争が、日本法に従って解決すべきとされる場合において、あなたの編集内容が、事実を摘示することによって、ある人の社会的評価を低下させるならば、名誉毀損による不法行為に基づく損害賠償等の責任を負う可能性があります。のみならず、名誉毀損罪または侮辱罪により処罰される可能性もあります」(Wikipedia:名誉毀損)。「短期間ないし興味が限られた題材を扱う記事における情報の追加や削除の際に、人間の尊厳と個人のプライバシーの尊重を考慮する」(Wikipedia:存命人物の伝記)。Wikipedia:井戸端/subj/脚注(出典)欄の被告の実名記載についてでも指摘されていたように、しばらく経つとアクセスしにくくなる新聞や雑誌やニュース・サイトなどの報道機関とは別物である、という側面はあると思います。検証が可能ではある(検証可能性を満たす)けれども、検証が容易ではなくなった情報。それが存命人物に関する否定的なものだった場合は、ウィキペディアに記載すべきなのかどうか。ネガティブな事象が発生した直後には記載することが妥当でも、その5年後、10年後にも記載することが妥当なのか、という点を考慮しなければいけないこともあると思います。--153.209.131.54 2020年7月16日 (木) 16:15 (UTC)
  • (コメント)コメント依頼から来ました。あくまで個人的にですが、否定的な情報を書くかは結局編集者次第だと思います。削除依頼や保護依頼でそれを理由にしたものを見かけますし、執筆のルールは色々ありますけれど、どう解釈するかは個々の価値観に委ねられると思っています。--ペン打ゴン会話2020年7月31日 (金) 03:33 (UTC)

「削除の方針」B-2も参照するよう、積極的にアナウンスした方が良いのでは?[編集]

色々な「存命人物」のノートページで、「存命人物の伝記」のガイドラインは読んでいるけれども、削除の方針(WP:DP)までは読んでいないのではないか、と思われる議論が見受けられます。本ガイドライン(「存命人物の伝記」)にて、「削除の方針」B-2も参照するよう、積極的にアナウンスした方が良いのではないでしょうか? --at_it会話) 2020年10月11日 (日) 02:04 (UTC)--at_it会話2020年10月11日 (日) 02:05 (UTC)

所属事務所のプロフィールを情報源とすることについて[編集]

芸能人・タレントやいわゆるAV女優などに顕著なのですが、生年月日や出身地などの情報源について、唯一の情報源が所属事務所のプロフィールになっている場合があります。誕生日は別として、年齢であれば新聞記事などで年齢が明記されている場合がありますので、それら記事の信頼性が担保されているとして、年単位では検証が可能だと思います。しかし、誕生日や出生地などは、とりわけAV女優などの場合には、プライバシー保護を理由に虚偽の情報が掲載されている蓋然性が高く、このことは一般的に広く認知されている事柄であると思います。実際、薬物事犯などで検挙された人物が、新聞記事に取り上げられた際に、本名及び年齢が判明することがありますが、「公式」プロフィールとは違っていることが多いです。また、勧誘を行っている事務所自体がこうした事情を公言している例も見受けられます。とするならば、他の信頼すべき媒体においても検証・確認された情報でないかぎり、芸能人、とくにAV女優などに関しては、いくら所属事務所の「公式」プロフィール情報であるとしても、当プロジェクトの要求する「信頼できる情報源」として認めるべきではない、すなわち、情報源として認められないのであるから出典を削除した上で、情報源がない内容として記述自体も削除するべきと考えるのですが、いかがでしょうか?付言すると、プロフィール以外にも、略歴などにおける逸話にて、撮影時のインタビュー内容をそのまま掲載したと思われる内容が記述されている例もしばしば見受けられますが、これも一種のファンタジーの部類に属する情報であり、百科事典としての当プロジェクトにて、そのままの形で記載するには相応しくない内容だと思います(一般に、フィクション作品についての立項がある以上、フィクション・設定などと明記して記述する分には問題はないという立場です)。この点に関してもご意見賜れば幸いです。(過去ログにて、存命人物の別芸名についてとして、関連する議論があったことは承知していますが、正面から問われたものは無いようなので、新たに立項しました。重複する議論が過去にありましたら、そちらに誘導していただければ幸に存じます)。--直蔵会話2020年12月24日 (木) 23:53 (UTC)

コメント 一つの落とし所として、{{AV女優}}の項目名を「公式プロフィール」としてしまうというのはどうですか。右図のように。
ウィキペうぃきぺ 花子はなこ
公式プロフィール
生年月日 YYYY年MM月DD日[1]
出身地 Z県X市[1]
Wikipediaの大原則の一つは、「真実よりも検証可能かどうか」です。したがいまして、「公式プロフィール」しか情報源がないなら、それに依拠するよりないでしょう。また同時に存命人物記事は、原則として「本人はプライバシーを望んでいると推定」しますので、細い糸を手繰って「真実」を暴き立てるのは、Wikipediaの目指すところではありませんし。--柒月例祭会話2020年12月25日 (金) 02:05 (UTC)
コメント 英語圏などの存命人物で各言語版や出典によって個人情報が異なったり、日本語版内でも項目間で辻褄が合わなくなることはしばしばありました。中でもミケール・ブラウンの記事を作成する際に、ご本人の出生地の記載で戸惑いました(今さっき出典元を再確認したところ言及がなくなっており、運よくen:McFarland & Companyの書籍が見つかって事無きを得ましたが)。娘さんの「シニータ」の生年も日本語版その他では1963年、英語版フランス語版(フランス語版は最近作成されて英語版と同じになったようです)では1968年と異なっていたのですが、デイリー・ミラーに言及があったので日本語版に合わせる都合上、出典にして記述しております。ただ、タブロイド紙には違いありませんので、英語版等では依然として抵抗があるのかも知れず適切であるかは自信がありません。また、日本語版内での存命人物でも著者プロフィール等で公表して残っていても、ネットでは非公表となったり、事務所の移籍やコンセプトの変更、本人の意向によると思われる出典元の更新で編集が振り回されることもありました。とにかく目が離せないなとは感じております。--市井の人会話) 2020年12月25日 (金) 05:18 (UTC) 記憶違いを訂正--市井の人会話2020年12月25日 (金) 09:52 (UTC)
ちなみに存命人物の記事では、広義のWP:AUTO(サイトの管理者等や協力会社、知人まで)あるいは事情を良く知る利用者による一方的な編集に出くわすことがけっこうありました。出典元の更新直後にWikipediaの記事の記述が変更されたこともあり、差し戻したものの再確認して事態に気付き自ら修正したこともありました。当時はなるほどこのようなこともあり、当初は普通の人物紹介でも他の件でネガティブに扱われたりすると、Wikipediaの記事をコントロールせざるをえなくなるのかと思っています。その後は、生きている人の記事だから情報も生ものと注意を払っていますが。--市井の人会話2020年12月25日 (金) 09:52 (UTC)
@㭍月例祭さん、市井の人さん、コメントして頂きありがとうございました。質問を書き込んだ後で、自分なりに考えたのですが、実在の人物Aが芸名aを用いて別人格にて活動を行っている場合に、人格aのプロフィールと人格Aのプロフィールとは異なるケースがあり、そのどちらのプロフィールも同時存立可能(現実世界においても本プロジェクトにおいても…もっとも本プロジェクトにおいて同時に2つ以上の名義で立項されるケースは極めて稀と思われますが)なのではないかと思うに至りました。これは柒月例祭様の提示された解決法にも通じる考え方かと思います。そうすると、私が念頭に置いて話題にしたのは、基本的にa(≠A)名義にて立項されているケースですので、A名義での情報の真偽は問題ではなくなり、a名義での情報の検証性が保たれている限りにおいては、これ(既存の専用テンプレ使用)にて解決ということになりそうです。残る問題は、市井の人様が提示されているような、A(=a)名義で立項されている場合ですが、こちらは市井の人様が仰るように、本人の意向などプライバシーの観点も踏まえた上で存命人物に関する記事一般の注意事項に沿って慎重な編集・運用を心がけるべきということになりますでしょうか。後者に関しては質問時に想定していませんでしたが、前者については解決の目処が立ったので、これにて解決済みということで閉めさせていただこうと思います。どうもありがとうございました。--直蔵会話2020年12月28日 (月) 00:46 (UTC)

「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」節へWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してとの関連性の言及を盛り込む提案[編集]

 本方針の「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」節、その中でも特に「公人・著名人」節にWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して(以下、「B-2」と略記)へのリンクと関連性に関して簡潔な説明を追加する事を提案致します。動機は「現行の両方針を理解する者が事故を起こす可能性を減らすため」でございます。

 そもそもの発端はある存命人物記事(一旦伏せますが、もし議論進行上求められた場合はどの人物についてのものであるか開示致します)において、逮捕歴の加筆と除去が繰り返されているのを目撃した事でございます。私も加筆を望む側でございますが、加筆を行う側の他の方々が本方針(や更に基本的なWikipedia:信頼できる情報源)の「信頼できる情報源」に照らし合わせて難点のある資料を出典としているせいで編集合戦が延々と続いていると考え、存命人物記事の記述に関する注意事項は全てこの方針に明記されていると思い込み、確実に「信頼できる情報源」を満たすと考えられる情報源を用意して加筆を行いました。そこまでは良かったのですが、問題は存命人物記事を編集する際に{{BLP editintro}}で参照する事が奨められる方針の一つとして一応表示されるB-2を読まずにそうした編集を行ってしまった点でございます。B-2には「伝統的に削除されている例」の一つとして「著名人の記事内で、著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴・裁判歴・個人的情報など(例:大学教授の記事で、車庫法違反で罰金の有罪判決を受けたという事実を記載してはいけません。記載された場合削除の対象になります)」というものが挙げられ、また「特に個人の犯罪歴に関して、実名や個人が特定できる場合、ほとんどが削除の対象になります。これは、日本国では、元服役囚に、服役囚であった事実を公開されない権利を認める判例(最判平成6年2月8日民集48巻2号149頁など)があることに由来します」、〈例外として認められるのは「政治家の逮捕歴」や「逮捕歴などを本人が積極的に公開し、自作中で使用している著名人の逮捕歴」等〉(要約) とあります。今回の人物の場合は公人・著名人ではあるものの明らかに左記の例外にあたるとまでは断言できない為、もし事前にB-2の詳細をはっきり把握する事ができていれば私は加筆を躊躇していた事でしょう。しかし結局書いてしまった事により記述は除去され、現在は除去された方が先述の「著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない」を理由として削除を提案され(ましたがまだ削除依頼は出されていません)ているのに対し、私は反論として現行の方針の範囲内で受け入れられないかという事を後付けで述べているという状況でございます。これだけであれば存命人物記事編集時の注意書きを見落とした私の個人的な不注意と結論付けられても致し方ないのですが、その後本方針の文言などをよくよく見返してみますと、確かにプライバシーへの配慮は促されていますものの、{{BLP editintro}}で触れられているB-2への誘導がなされていないという事に気付いてしまいました。これでは〈信頼できる情報源において複数回逮捕歴・裁判歴・服役歴が本人のインタビューと共に言及されている場合であったとしても、政治家・堀江貴文氏の様に逮捕歴を自著で公開している人物・薬物関連の事由により逮捕された芸能人などでない限り、なおB-2のプライバシーに関する規定が削除理由となり得る〉という事に事前に気付く方が何人いるか、著しい疑問が残ります。私はウィキペディアに本格的に関わり始めてから7年が経ちますが、方針違反を犯さぬよう方針文書やガイドラインには事前に目を通すよう努めて参りました上、これまで削除依頼も含めて殆ど関わらないできた存命人物記事に関わろうと決心した今回もこの方針文書を熟読したつもりで問題ないと判断致しました。そうした努力を払ったにもかかわらず方針に抵触しかねない編集を行ってしまったのは、個人的な不注意のみならず方針文書間の関係性という設計面にも問題があるのではと考えております。そしてこれを議論せずに放置しておいては、今後も現行の方針を遵守する意志をお持ちである他の方々が同様の過失を犯す恐れがあると判断致しました。そこで以下の様な文言を追加する事を 提案 致します。

  • 「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」節のうち、「公人・著名人」節の「もし、X氏の逮捕歴が彼の名声に関連が深いものならば、誰か他の人がそれについて書いているでしょう」の直後に次の文言を追加する。
[改行] なお信頼できる情報源の基準を満たす典拠に基づくものであったとしても、それが逮捕歴・裁判歴・服役歴といった情報である場合、Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してに照らし合わせてプライバシーの侵害にあたると見做され、記述が削除される可能性があるということにも留意してください。

こうした文言の追加により、現行の方針の維持を目指していく上で見られる穴を一つ塞ぐ事が可能になると存じます。

 議論期間は1ヶ月間を見込んでおります。もし仮にこの間に有効な反対のご意見や修正を求めるご意見が出されなかった場合は、そのまま上記の文言の追加を行いたいと存じます。また表側とWikipedia:お知らせにも議論告知を行う事と致しますが、それ以外にも告知すべき場所がありましたら是非ご教示ください。--Eryk Kij会話2021年6月3日 (木) 18:03 (UTC)

コメント 追記 昨年10月の時点で既に同様の問題意識による議論提起が行われていたという事に先程気付きました(Special:PermaLink/83843476#「削除の方針」B-2も参照するよう、積極的にアナウンスした方が良いのでは?)。過去にも同様の事が繰り返されていたとなりますと、私の懸念は残念な事に既に現実のものとなってしまっていると考えられます。ますます利用者個個人の不注意で片付けて良い問題とは思えなくなって参りました。議論提起者さんが目撃された具体例がどの様なものであったかは把握しておらず、下手に聞き出したりもしない方が良いとは考えておりますが、今回の私の提案により、懸念されていた問題を少なくとも部分的には解消する事ができるようになるものと存じます。--Eryk Kij会話2021年6月4日 (金) 06:02 (UTC)

コメント 追記2 議論提起から12日が経過していますが、方針文書の改訂で消極的な合意成立が行われて本当に大丈夫なのか、そもそも折角告知したにもかかわらず他の件に埋もれてここで提案が行われている事自体気付いて頂けてないのではないか、と色々不安になりました為、Wikipedia:コメント依頼にも告知を行いました。これでもなお今後1ヶ月の間に有効な反論等が行われない限り、そのまま提案内容の反映を行う事と致します。……本当に大丈夫であるのでしょうか。--Eryk Kij会話2021年6月16日 (水) 10:40 (UTC)

  • (コメント)コメント依頼から来ました。エリック・キィさんの提案に賛成します。削除の方針B-2へのリンクを追記することで、削除依頼を提出するかどうかでトラブルが発生することが少なくなると思います。--ペン打ゴン会話2021年6月18日 (金) 12:22 (UTC)
    • 報告 提案とそれに伴う各種の告知から1ヶ月が経過し、その間に1名の方が賛意を示され、一方で反対意見は一切寄せられなかった事から、提案内容の反映を行いました。これでもなお事故が起こるようでしたら、また新たな方策を検討していきたいと存じます。--Eryk Kij会話2021年7月17日 (土) 13:08 (UTC)

「Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合」の意味の確認[編集]

ノート:新垣隆#同一内容の記述が2か所に載っている件についてWikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合に対する解釈が二分しました。「AはBの作品を○○と評価した」という内容をBが主題の記事に載せる場合、「#本人を情報源にする場合」で自主公表をする「本人」に当たるのはAなのかBなのかということです。ご意見お願いします。--2019jul07会話2022年5月25日 (水) 05:40 (UTC)

  • Bが主題の記事ならば、「本人」に当たるのはBではないでしょうか。
  • なおWikipedia:存命人物の伝記#信頼できる情報源に「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」とありますが、この「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報」にtwitterを含めるのであれば、「twitterによる情報は伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」という解釈になるかと思います。--ぽん吉会話2022年5月26日 (木) 03:14 (UTC)
Wikipedia:存命人物の伝記の冒頭に「これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。」とあることから、「AはBの作品を○○と評価した」という内容は存命人物Aの記述であり、これをAが自主公表しているときはAも「本人」に含まれる、ということにはなりませんか?--2019jul07会話2022年5月26日 (木) 05:37 (UTC)
その意味でAを「本人」とする場合、存命人物記事においてはAが自主公表した情報はA本人についての情報の場合だけ出典とすることが可能であって、Bについての情報の場合は不可だと思います。--ぽん吉会話) 2022年5月26日 (木) 05:57 (UTC)下線部、念のため追記しておきます。--ぽん吉会話2022年5月27日 (金) 02:17 (UTC)
ご参考まで、下記2点引用します。
以上により、Aのtwitterを出典として「AはBの作品を○○と評価した」とBの記事に書いてはいけない、といえると思います。--ぽん吉会話2022年5月26日 (木) 06:37 (UTC)
02:17 (UTC)の追記について。例えば、存命人物でない事物Cを主題とした記事にも書いてはいけない、という意味ではないということですか?前述の「存命人物の記述にも適用されます。」という文言から、Aについての記述であればそれをCの記事に書く場合も対象になる、ということになりませんか?--2019jul07会話2022年5月27日 (金) 02:57 (UTC)
間が空いてしまいすみません。伝記以外の項目における存命人物についての記述もWikipedia:存命人物の伝記の対象と思います(ただし「存命人物の作った"作品"についての記述」となれば話は別ですが)。--ぽん吉会話2022年6月8日 (水) 03:17 (UTC)
03:17のコメントが26日 (木) 06:37のコメントと矛盾するように思うので、最新の見解として以下を確認します。Aの自主公表物を出典として「AはBの作品を○○と評価した」と書くことは、A・B・事物Cのいずれの記事にもしてはいけないということになりますか?--2019jul07会話2022年6月8日 (水) 05:06 (UTC)
(インデント戻します)
私の理解では、Aの自主公表物を出典として「AはBの作品を○○と評価した」と書くことは、
  • Aの記事では不可 - 「#本人を情報源にする場合」の「第三者に対する主張を含まないこと」に該当するため。
  • Bの記事でも不可 - 「#信頼できる情報源」の「自主公表(略)による情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」に該当するため。
  • 事物Cの記事は可 - 事物C記事におけるBの作品への言及ということで、「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源」の「関連分野において著名な専門研究者(略)が自主公表した場合」であれば可能。
という感じです。間違ってたらすみません。--ぽん吉会話2022年6月10日 (金) 08:54 (UTC)
「Bの作品」は「当該人物に直接関係ない出来事」(#本人を情報源にする場合)に当たるので、事物Cの記事でも不可と考えます。--2019jul07会話2022年9月11日 (日) 09:30 (UTC)

伊藤淳二氏は2021年12月19日に死亡しています。[編集]

@--153.195.167.11 2022年9月27日 (火) 01:33 (UTC)

存命であることを確認できない高齢の人物とCategory:存命人物[編集]

ノート:浅岡三郎Category:存命人物の除去が議論されているのを見て議論に参加しようとコメントを書いていたのですが、内容が一般論的で個別記事のノートページよりこちらで議論(と変更の提案)をした方がいいかなと思ったので、ここに議論を提起します。

Category:存命人物の有無はカテゴリ欄で記事主題の人物が存命かどうかを読者に示すだけでなく、編集時に「この記事を編集する際は、存命人物の伝記の方針に従うことが強く求められます。」で始まるBLPの警告メッセージが表示されるかどうかにかかわる(つまり、このカテゴリを取り除くことは記事がWP:BLPの対象外になることの表明でもある)ので、信頼できる情報源で今なお存命であることを確認できない人物について「存命人物」のカテゴリをどの段階で取り除いてよいかというのは何らかのガイダンスがあったほうが良いと思います。

参考までに英語版ウィキペディアのen:Category:Living peopleでは高齢者(90歳以上)で過去10年間に存命を裏付ける情報が出てきていない状況ではこのカテゴリを除去してen:Category:Possibly living people(おそらく存命の人物。ここに含まれる記事も編集時にBLPの警告が表示される。日本語版には同等のカテゴリはない)に移動してもよい(MAY)、となっています。このカテゴリは隠しカテゴリなので、ここに移動された時点で読者向けには生死に関わる情報をカテゴリで表示しなくなりますが、BLPの対象としては引き続き扱われます。そして115歳を超えた人物はen:Category:Year of death missing(没年未記載。日本語版には同等のカテゴリはない)に移動するべき(SHOULD)になっています。この時点でBLPの警告の対象外になります。なお、en:Category:Possibly living peopleでは、信頼できる情報源で亡くなったことが確認できるが、没年自体は不明の場合にはen:Category:Year of death missingの代わりにen:Category:Year of death unknown(日本語版ではCategory:没年不明)に移動するとの記述もあります。なお英語版ではen:Category:Year of death missingen:Category:Year of death unknownはメンテナンス用カテゴリとして隠しカテゴリとなっていますが、日本語版のCategory:没年不明は読者向けの公開カテゴリです。

このうち、115歳を超えた人物は「存命人物」のカテゴリには含まれないようにする部分はen:Wikipedia:Biographies of living persons#Recently dead or probably deadの生存人物の伝記の対象として扱われるのは過去115年以内に生まれた人物で信頼できる情報源で死亡が確認されていない人物との記述に基づくものです(最初は世界の長寿記録に基づいて123歳だったが、保守的に過ぎるということで数値が下げられた。たまたまでしょうが長寿記事にある世界の長寿記録は115歳以上の一覧です。参考議論:2010年2021年)。なお例外として過去2年以内に存命が確認された人物は115歳を超えていても死亡しているとは見なしません。

日本語版ウィキペディアのWikipedia:存命人物の伝記にはこういった方針・ガイダンスがないので、年齢の区切りなどの条件を英語版に合わせるかはともかくとして、存命が確認できない人物をいつまで存命人物として扱うのか明確にしておくことが望ましいと思います。3点提案しますので、それぞれの節でコメントいただければと思います。最初の提案、#存命人物の伝記の対象であると推定する年齢の上限の明記が方針文書への追記であり、最も重要な提案です。他の提案は後回しでもいいです。--Kusunose会話2022年11月16日 (水) 11:55 (UTC)

世界各国の状況にもよるかとは思いますが、かねてから申し上げているように日本国内の人物に限っては厚生労働省から「国内最高齢者(若しくは最高齢男性・女性)」の発表がございますので、当該人物の年齢を合理的な基準とするのが良いかと。その他の国の人物は各国の最高齢者或いはギネス世界記録に認定された人物などの年齢を合理的基準として設けるのが最適であると思慮致します。--イトユラ会話2022年11月16日 (水) 17:51 (UTC)

存命人物の伝記の対象であると推定する年齢の上限の明記[編集]

合理的に考えてもはや存命でないと考えられる人物がCategory:存命人物に含まれ続ける問題を解決するため、本方針文書で存命人物とみなす年齢の上限を明記する提案です。文案(英語版のen:Wikipedia:Biographies of living persons#Recently dead or probably dead節に基づく)は以下の通り。

過去115年以内に生まれた人物は、信頼できる情報源で死亡が確認されていない限り、この方針の対象となります。115歳以上の人物は、過去2年以内に信頼できる情報源で存命が裏付けられている場合を除き、本方針の対象からは外れます。もしも生年月日が不明な場合、記事中にある出来事などから人物が115年以内に生まれた人物であるかを推定し、この方針の対象となるかを合理的に判断してください。

英語版では({{LASTYEAR|115}}年{{date||mdy}}以降<small>[{{Purge|更新}}]</small>/今日であれば「1907年11月16日以降[更新]」)のような形で具体的な日付が表示されるようになっていますが、日本語版の{{LASTYEAR}}テンプレートはパラメータを指定して去年以外の年を表示することはできないようなので、現時点で提案の文言には含めていません。また英語版では例外的な状況で、遺族や友人に悪影響があるような論争が起きやすい内容に限り、編集者の合意に基づいて死後も一定期間BLPとしての扱いを延長するという文言が含まれますが、これについては提案の範囲外なので除いた上で翻訳しています。本文書のどの部分に追加するかですが、英語版の原文が含まれる節の上位節(en:Wikipedia:Biographies of living persons#Applicability of the policy)が日本語版にないこともあり、導入部の最後に追加するのはどうでしょうか。--Kusunose会話2022年11月16日 (水) 11:55 (UTC)

提案 長寿者に限らず、若くして表舞台から去った人物(引退した芸能人やスポーツ選手など)も併せて考慮すべきと思います。そこで、長期間消息が伝わらない人物の記事における「存命人物」カテゴリの除去の目安につきまして、以下の通り提案致します。

  • 出生から100年未満: 10年以上消息が伝わらない人物
  • 出生から100年以上: 2年以上消息が伝わらない人物

英語版の、115歳まで推定存命扱いとする方針は、過剰な保身(事なかれ主義)と感じます。(存命なら)100歳以上で、2年以上にわたり消息が伝わらなかった著名人が、その後生存が判明する事は稀でしょう。存命人物の記事であろうがなかろうが、基本方針を遵守するという、記事の編集における基本は概ね同じです(「WP:BLPPRIVACY」など例外有)。少なくとも、既に死没した可能性が高い、出生から100年以上の消息不明者については、(「没年不明」と明記しない限り)「WP:BLP」を除去しても支障は無いと考えます。--Tenebrae aeternae会話2022年11月20日 (日) 04:13 (UTC)

反対 上記提案文を見る限り、結局Tenebrae aeternaeさんの主観でしか無い様な気はします。厚生労働省からの発表をわざわざ無視してまで上記目安を採用する合理性が無いので反対致します。--イトユラ会話2022年11月20日 (日) 06:12 (UTC)
返信 私の主観である事は否定しません。厚生労働省の発表につきましては、「近況が不明な人物」から「没年不明」へとカテゴリを切り替える判定材料と考えております。--Tenebrae aeternae会話2022年11月20日 (日) 17:10 (UTC)
個人の主観を基準に存命の有無を判断するというのは同意出来ませんね。--イトユラ会話2022年11月21日 (月) 03:21 (UTC)
返信 言葉足らずにて失礼致しました。私の主張が主観であるように、あなたの厳密性を重視する姿勢も主観です。「~すべし」という主張は、大抵の場合は一つの主観に過ぎません。結局のところ、合意(された意見)とは多数派の人々が共感できる主観ではないでしょうか。私も、あなたの主観を尊重はしますが、同意はしません。--Tenebrae aeternae会話2022年11月21日 (月) 16:25 (UTC)

「Category:おそらく存命の人物」の導入[編集]

高齢者で存命かどうかが確かでない人物について、編集者はその人物をBLPの対象として慎重に扱い続けるべきですが、この人物は現在でも存命であるという情報をカテゴリーの形で確定的に読者に提示するのは望ましくないものと思います。そのため、英語版に倣ってCategory:おそらく存命の人物(隠しカテゴリ)を作成し、一定以上の年齢の人物をこちらに移動することで「存命人物」との表現が読者からは見えないようにします。本カテゴリーに含まれる記事も編集時には{{BLP editintro}}が表示されるものとします。Category:存命人物に追記するメンテナンスのガイダンス文案(en:Category:Living peopleに基づく)は以下の通り。

高齢者(90歳以上)で過去10年間に存命を裏付ける情報が出てきていない人物はこのカテゴリーからCategory:おそらく存命の人物に移動することができます。

--Kusunose会話2022年11月16日 (水) 11:55 (UTC)

条件付賛成 前述の、出生から100年未満かつ10年以上消息が伝わらない人物については賛成致します。出生から100年以上の場合は不要と考えます(前述)。--Tenebrae aeternae会話2022年11月20日 (日) 04:13 (UTC)

コメント 本案は一定の合理性はありますが、正直なところどれが最適なのか今後の議論を注視したいため現段階では明確な賛否は投じませんが、少なくともTenebrae aeternaeさんが仰っている「出生から100年以上の場合は不要」というご意見には賛同しかねます。本案を採用するのであれば、出生から100年以上の人物にも適用とし、当該カテゴリを付与させる人物にはWikipedia:存命人物の伝記を適用させるべきだと考えます。--イトユラ会話2022年11月20日 (日) 06:26 (UTC)

「Category:没年未記載」の導入[編集]

さらに死去している人物と死去が裏付けられていない人物が同一カテゴリに混在することを避けるため、信頼できる情報源で亡くなっていることが確認されていない人物はCategory:没年不明から新設するCategory:没年未記載(隠しカテゴリ)に移動することも提案します。--Kusunose会話2022年11月16日 (水) 11:55 (UTC)

反対 Category:近況が不明な人物が有れば事足り、不要と考えます。--Tenebrae aeternae会話2022年11月20日 (日) 04:13 (UTC)