AWA世界ライトヘビー級王座

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AWA世界ライトヘビー級王座は、AWAが管理、認定していた王座。

歴史

1981年マイク・グラハムを初代王者に認定。以降、歴代の王者によってAWAの本拠地ミネソタ州を中心に防衛戦が行われたが、1986年7月、当時の王者だったバック・ズモフが投獄され、王座は空位となる[1]

その後、1988年にグラハムが再び王者となるが、1989年に日本のFMWがAWAの許可を得ず、ジミー・バックランドが1988年12月にフロリダ州タンパにおいて王座を獲得したとして第6代王者に認定(当時、バックランドはグラハムがフロリダで主宰していた団体で活動しており、バックランドがグラハムを破って戴冠したとも考えられる。しかし、1988年12月に両者が対戦したという記録は存在しない[2]。ただし、グラハムがバックランドに「授与」した可能性はある)[1]

初期のFMWは柔道、キックボクシング、テコンドーなどプロレス以外の格闘家が参戦して異種格闘技戦的な要素が強かったため、プロレスの王座でありながらテコンドーの李珏秀(リー・ガク・スー)、キックボクサーの上田勝次英語版が獲得している。

1990年、李のFMW離脱で再び王座が空位となった後、AWAでは8月11日にズモフがジョニー・スチュワートを破って王座を奪還[1]。一方、FMWでは9月25日の王座決定戦でバックランドを破った上田が新王者となるなど、2つの同じ王座が混在する事態を招いたが、1991年にAWAが活動を停止したため、本家であったAWA版は封印される[1]

一方、FMW版はAWA解散後も存続し継承されたが、1992年4月にWFDA世界マーシャルアーツジュニアヘビー級王座に改称されて、さらにインディペンデントワールド世界ジュニアヘビー級王座に取って代わる形で1993年に封印された[1]

歴代王者

AWA世界ライトヘビー級王座

歴代 選手 戴冠回数 防衛回数 獲得日付 獲得場所(対戦相手・その他)
初代 マイク・グラハム 1 1 1981年6月 不明、AWAから指名
第2代 バック・ズモフ 1 1 1983年6月19日 ハンブルク
第3代 スティーブ・リーガル 1 1 1984年3月25日 セントポール
第4代 バック・ズモフ 2 2 1985年11月28日 セントポール、投獄のため空位
第5代 マイク・グラハム 3 2 1988年 不明、AWAから指名
第6代 バック・ズモフ 4 3 1990年8月11日 ロチェスタージョニー・スチュワート

AWA世界ライトヘビー級王座(FMW版)

歴代 選手 戴冠回数 防衛回数 獲得日付 獲得場所(対戦相手・その他)
第6代 ジミー・バックランド 1 1 1988年12月 タンパFMWがAWAの許可を得ないで王者に認定
第7代 李珏秀(リー・ガク・スー) 1 1 1990年4月1日 東京、FMWを離脱のため空位
第8代 上田勝次英語版 1 1 1990年9月25日 名古屋、ジミー・バックランド
第9代 ジミー・バックランド 2 2 1990年11月5日 東京
第10代 リッキー・フジ 1 1 1991年5月29日 東京
第11代 マーク・スター英語版 1 1 1991年8月24日 東京
第12代 上田勝次 2 2 1991年8月24日 千葉
第13代 ドクター・ルーサー英語版 1 1 1992年3月23日 埼玉

WFDA世界マーシャルアーツジュニアヘビー級王座

歴代 選手 獲得日付 獲得場所(対戦相手・その他)
初代 ドクター・ルーサー 1992年5月 不明
第2代 上田勝次 1992年9月7日 戸田

脚注

  1. ^ a b c d e AWA World Light Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年9月12日閲覧。
  2. ^ The PWF matches fought by Jimmy Del Ray in 1988”. Wrestlingdata.com. 2022年9月12日閲覧。

外部リンク