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  • チンギス・アイトマートフのサムネイル
    ※「ジャミリャー」「最初の先生」所収。 『白い汽船』(岡林茱萸訳、飯塚書店、1974年) 『現代ソビエト作家三人集 早春の鶴』(黒田辰男訳、プログレス出版所、1980年) 『一世紀より長い一日』(飯田規和訳、講談社、1984年7月) 『白い汽船』(岡林茱萸訳、理論社、1984年2月)…
    10キロバイト (1,128 語) - 2023年10月17日 (火) 15:34
  • 中島汽船のサムネイル
    中島汽船株式会社(なかじまきせん)は、愛媛県松山市にある三津浜港、高浜港及び松山観光港と忽那諸島を結ぶ航路を運航する海運会社である。同名の会社は明治時代及び昭和20年代から30年代にも存在したが、現在の法人とは関係ない。 もとは旧・中島町運輸課(中島町営汽船
    30キロバイト (4,340 語) - 2024年6月14日 (金) 05:05
  • 川崎汽船 > 川崎近海汽船 川崎近海汽船株式会社(かわさききんかいきせん、英: KAWASAKI KINKAI KISEN KAISHA,LTD.)は、東京都千代田区に本社を置く日本の海運会社。川崎汽船の完全子会社。 1966年(昭和41年)5月1日に川崎汽船の内航営業権を譲渡されて設立し、内航、フェリー(八戸港…
    36キロバイト (4,654 語) - 2024年6月12日 (水) 06:52
  • 新島のサムネイル
    東海汽船 貨客船(大型客船)が就航。基本的には新島港発着であるが、海況によっては寄港地が若郷(東海汽船は「渡浮根港」と呼称)や羽伏浦漁港などに変更されることがある。大型客船は橘丸またはさるびあ丸が就航している(配船は東海汽船に確認のこと)。その他に、竹芝桟橋 -…
    28キロバイト (3,677 語) - 2024年5月20日 (月) 00:02
  • 柳井港のサムネイル
    1965年(昭和40年)に防予汽船(現・防予フェリー)による柳井港 - 松山港航路の開設以来、山口県東部の海の玄関口として整備されている。また、隣接して中国電力柳井発電所が建設され、燃料の搬入などにも使用されている。 2015年(平成27年)3月26日に柳井のまち並みのイメージである「白い
    3キロバイト (343 語) - 2022年3月16日 (水) 11:15
  • ら当年7月31日までの過去1年間に刊行・発表された新人の作品だった。1998年の第36回で終了した。 第1回(1963年) - 石川光男 「若草色の汽船」、中川李枝子 「いやいやえん」 第2回(1964年) - 該当作品なし 第3回(1965年) - おのちゅうこう 「風は思い出をささやいた」、岡野薫子…
    5キロバイト (634 語) - 2023年1月5日 (木) 12:09
  • 神集島のサムネイル
    ある。採られている歌は天平8年(736年)、大和朝廷の使節として新羅へ旅立つ一行が立ち寄り、その時に思いを詠んだものと伝えられている。 本土とは唐津汽船の定期船「からつ丸」が就航しており、唐津市湊町の湊港から約8分である。 [脚注の使い方] ^ a b c d e 「神集島 日本の地名がわかる事典…
    7キロバイト (957 語) - 2023年11月29日 (水) 14:51
  • 大島町のサムネイル
    大島交通 長岡交通 花交通タクシー 三原観光自動車 日産レンタカー トヨタレンタカー 海洋レンタカー 伊豆大島レンタカー モービルレンタカー 現在は東海汽船が独占しており、貨客船(さるびあ丸・「橘丸」)および高速ジェット船を運航。東京港(竹芝桟橋)、横浜港(大さん橋)、熱海港、利島、新島、式根島、神津島…
    24キロバイト (2,591 語) - 2024年5月13日 (月) 08:57
  • さんふらわあのサムネイル
    大洋フェリーが所有していた「さんふらわあ」「さんふらわあ2」を、関西汽船の「フェリーこがね丸」「フェリーにしき丸」と交換。 関西汽船は両船を来島どっくに売却し、5隻すべてが来島どっくの所有となった。 12月2日 - 【KK】関西汽船が「さんふらわあ」「さんふらわあ2」をチャーターし、大阪・神戸 - 別府航路に就航。…
    68キロバイト (9,958 語) - 2024年6月13日 (木) 12:59
  • 中島町 (愛媛県)のサムネイル
    間の愛媛県庁勤務の経験を生かし、人づくりや条例・規則の整備に尽力した。 武田満幸(たけだみつゆき) 農協組合長を経て就任。最後の町長となったが、町営汽船・フェリー・バス、町立病院など松山市との合併に際しての懸案事項を解決、松山市・北条市との合併を円滑に導いた。 役所 中島本島の大浦という集落にある。合併後は支所となっている。…
    10キロバイト (1,002 語) - 2024年4月21日 (日) 17:44
  • 「砂の女教師」『ソヴェート文学』第35号、1971年。 (井上研二訳) 「雀の旅」『ユリイカ』第6巻第14号、1974年。 (染谷茂訳) 「帰郷」岡林茱萸訳『白い汽船』飯塚書店、1974年。  「三番目の息子」岡林茱萸訳草鹿外吉ほか 編『世界短編名作選(ソビエト編)』新日本出版社、1978年。  「疑惑を抱いたマカール」安岡治子訳『世界の文学』…
    15キロバイト (1,705 語) - 2024年5月31日 (金) 17:30
  • A.P. モラー・マースクのサムネイル
    白い星。 1904年4月、ピーター・マースク・モラー(Peter Mærsk Møller)、アーノルド・ピーター・モラー(A.P. Møller)親子が、フュン島南部の町スベンボー(Svendborg)で、中古の汽船
    11キロバイト (1,390 語) - 2024年2月24日 (土) 02:36
  • おりおんのサムネイル
    PRIMAに船名を変更した。 大洋フェリー 大阪港 - 苅田港 フジフェリー 東京港 - 松坂港 関西汽船 大阪港 - 神戸港 - 今治港 - 松山港 - 別府港 名門大洋フェリー 大阪南港 - 新門司港 船体塗装は柳原良平によるデザインで、白い船体に側面に巨大な流れ星が描かれた。ファンネルは、商船三井系列のオレンジファン…
    6キロバイト (507 語) - 2023年1月20日 (金) 04:26
  • 西海市のサムネイル
    汽船によって運行されている。 琴海地区よりも南にある西彼杵郡の時津港から長崎空港行きの定期高速船が安田産業汽船によって運行されている。 上五島空港 - 平島から船で約15分の場所にあったが、現在就航便はなく、2006年(平成18年)4月より閉鎖されている。 市外への路線 瀬川汽船(旧 西海町渡船)…
    41キロバイト (5,548 語) - 2024年6月10日 (月) 13:39
  • 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。父は元東京農業大学常務理事の塚原周吾、祖父は東洋汽船創設者の塚原周造である。 東洋英和女学校小学部を経て、1938年(昭和13年)に東洋英和女学校を卒業。同級生に三枝佐枝子がおり、ともに新築地劇団の「…
    24キロバイト (2,918 語) - 2024年5月18日 (土) 18:34
  • 新田高等学校のサムネイル
    新田高等学校(にったこうとうがっこう)は、愛媛県松山市山西町にある私立高等学校。略称は新田高。 1938年(昭和13年)6月に内外汽船株式会社(現新田汽船株式会社)社長の新田仲太郎の独力出資により温泉郡味生村(現在の松山市山西町)に新田高等学校の前身、旧制新田中学校を設立。元々は男子校であったが、1…
    17キロバイト (2,472 語) - 2024年5月27日 (月) 06:04
  • PASPYのサムネイル
    のみ適用され、片道・障害者乗車券の場合は適用されない。 2023年3月31日までは、瀬戸内海汽船でも広島港・呉港・松山観光港の窓口で高速船・フェリーの乗船券を購入することにより利用可能で、共同運航の石崎汽船便にも対応していた。 ひろしまカレッジの受講証として利用可能。…
    99キロバイト (14,357 語) - 2024年6月8日 (土) 12:28
  • 北木島のサムネイル
    396640度 東経133.537784度 / 34.396640; 133.537784)。 笠岡住吉港 - 大浦港(旅客船) 所要約55分。三洋汽船による運航。なお、各島経由の数便と高速船全便は楠港には寄港しない。高速船の所要は約35分。 笠岡伏越港 - 豊浦港および金風呂港(フェリー) 所要約…
    13キロバイト (1,836 語) - 2023年11月14日 (火) 23:26
  • 酒田港のサムネイル
    田港、土崎港、函館港に寄港。時宜により、寿都港、江差港にも寄港)。 1888年 越佐汽船(現:佐渡汽船)が新潟港 - 酒田港路線を就航。毎日1往復。 1895年 宮ノ浦地区に、木造では日本最古の灯台である木造の白い六角灯台が立てられる。この灯台は後に日和山公園に移設され、通称「日和山灯台」として現存している。…
    18キロバイト (2,580 語) - 2024年5月6日 (月) 09:58
  • 壱岐丸のサムネイル
    壱岐丸(いきまる)は、山陽鉄道傍系の山陽汽船により、下関 - 釜山間の関釜航路開設のため三菱合資会社三菱造船所で建造された2隻の同型の海峡渡船の第1船で、1905年(明治38年)9月11日の本船就航をもって同航路は開設された。 1922年(大正11年)11月からは青函航路へ転じ、1923年(大正12…
    86キロバイト (14,876 語) - 2024年3月8日 (金) 05:27
  • 底本:昭和四十一年四月二十日筑摩書房発行『梶井基次郎全集 第一卷』 船は岬から岬へ、島から島へと麗しい航路を進んでゐた。瀨戸内海の日沒――艫の一條の泡が白い路となつて消えてゆく西には太陽の榮光はもう大方は濃い青に染んでしまつた雲の緣を彩つてゐたが、船の進んでゆく東の方はもう全く暮れてしまつて、美しい星が燦き初めてゐた。
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