長覚寺

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長覚寺
所在地 愛媛県西条市新市503-3
山号 福田山
宗派 臨済宗東福寺派
本尊 阿弥陀如来
開山 鉄牛印大和尚
開基 桑村治部少輔俊直公
法人番号 9500005004094 ウィキデータを編集
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長覚寺(ちょうかくじ)は、愛媛県西条市新市にある、臨済宗東福寺派の寺院。山号は、福田山(ふくでんざん)。本尊は、阿弥陀如来(立像)。開山は、鉄牛印大和尚(観応2年2月13日示寂、号は鉄牛、諱は継印または景印)である。開基は、桑村治部少輔俊直公、戒名は長覚寺殿通庵虚明大居士神儀(天正13年7月12日歿)。

歴史[編集]

小千深躬(おちふかみ、越智深躬、河野深躬)が、桑村郡を治めるようになってから、桑村郡新市村北ノ町に館(桑村城)を構えていたとされ、やがて城主が桑村姓を名乗るようになったと伝えられている。桑村俊直が、天正の陣により、自害をした後、末裔が桑村城跡を寄進して、菩提を弔うために、長覚寺を建立したとされる。この地の300メートル南の「ころげ山」にあった庵寺を移したとされている。永禄11年(1568年)に鉄牛和尚を勧請したということが伝えられている。文政3年に、境内から、俊直の持念佛とされる十一面観音菩薩(三寸一分五厘)を発掘し、脇仏としたとされる。

本堂は、小松の神社の社を移築したものだと伝えられてきたが、小松藩の敷地内にあった神社の写真と一致することから、小松藩が解体されるときに、その社が移築されたものと考えられる。庫裡は、2012年平成24年)に再建。以前の庫裡は、丹原町高知の大澤家(庄屋)の家屋を移築したものであった。再建された庫裡には、桑村家の「隅入り角に三つ星」の家紋が彫られている。

鎮守は、羽黒大権現、三島大明神、若宮大明神である。

歴代は、前住當山傳外預公禪師、當山中興大解脱和尚(法祖)、當寺再中興廣觀智大和尚、前住當山洞明俊和尚禪師(大分市賀来の圓成寺徒弟)、東福第一座當山湛海信和尚、贈普門當山快翁活西菴和尚禪師、東福東堂無安参和尚大禪師、前住東福當山誓願中興南齢辰和尚大禪師(石丸南齢和尚は、大本山東福寺住職が不在の時期に、東福寺執事長を務め、東福寺法堂建設に尽力、完成後、止喝庵・家永一道老師を管長として迎え、昭和8年に法堂の落慶法要を厳修して後、執事長を退任した)、前住東福當山文淨明和尚大禪師。

村俊直の命日である旧暦の7月12日から、月遅れとなる8月12日に長覚寺の先祖供養も併せて施餓鬼法要(現在は8月18日)を行い、「治部さん」の縁日としてと親しまれてきた。桑村治部少輔俊直公の法要と新市地区の盆踊りは、毎年8月12日に行われている。

脚注[編集]