越後与板打刃物

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越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)は、新潟県長岡市与板町で生産される打刃物。1986年3月12日に、通商産業省(現在の経済産業省)から伝統的工芸品としての指定を受けた[1]

越後与板打刃物は越後与板打刃物組合の登録商標。

歴史[編集]

越後与板打刃物は約500年前、戦国時代のころに始まった。直江大和守実綱(のちの景綱で、直江兼続の義父)が春日山から刀剣師を与板に招いたのが起源と伝えられている[2]

その後の江戸時代中期、大工道具の生産が始まり、幾度にも及ぶ江戸の大火や、新田開発による需要の急増により建築用刃物の発展となった。この頃、与板で生産された大工道具は「土肥のみ(土肥助右衛門作)」「兵部のみ」と呼ばれ[2]、全国に広く天下に知れ渡った。

幕末から明治の初期、与板の職人たちが東北随一の金物産地であった会津若松への出稼ぎに行った。刀工の古川和泉守兼定の門弟に入るなどで技術を磨き、今日に続く技術を会得してきた。

大正時代には300の鍛冶屋が軒を連ねた与板町だが、電動工具の出現などにより大工道具の需要は激減し、現在は約10軒にまで大きく減少した。

与板独自の製造方法[編集]

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鑿は二本付けと呼ばれる、1本の地金に2本分の鋼を乗せて鍛接し、その後2つに切断することで1度の鍛接で2本の鑿を製造する技術がある。

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鉋には2枚付けと呼ばれる、通常は地金(錬鉄)の上に鋼を乗せて鍛接するだけであるが、与板では地金の上に鋼と頭側に極軟鋼を乗せて製造する技法がある。頭に極軟鋼を付けることにより鉋刃を玄能でたたいてもへこみにくいという特性が得られる。

製品[編集]

主な製品として(のみ)、(かんな)、(まさかり)、(ちょうな)が伝統的工芸品の指定を受けており、その他にも木彫り用鑿や、彫刻刀包丁ナイフなど、技術を生かした製品づくりをしている。

出典[編集]

  1. ^ 越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)”. www.pref.niigata.lg.jp. 新潟県. 2023年11月27日閲覧。
  2. ^ a b 与板打刃物 | TECH NAGAOKA [テックナガオカ]”. 長岡市商工部産業支援課. 2023年11月27日閲覧。

外部リンク[編集]