荘清彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

荘 清彦(しょう きよひこ、1894年11月25日[1] - 1967年9月28日)は、日本経営者三菱商事社長を務めた。荘清次郎の次男。妻・花子は樺山資英の長女[1]

経歴[編集]

東京都出身[1]1920年東京帝国大学経済学部を卒業し、三菱造船での勤務を経て、1932年三菱商事に入社[1]。機械部長、常務を経て、1948年に清光産業社長に就任し、1954年7月に三菱商事副社長に就任し、1960年7月には社長に昇格[1]1966年に会長に就任し、三菱重工業監査役、原子力産業会議評議員なども歴任[2]

1963年藍綬褒章を受章し、1965年11月に勲二等瑞宝章を受章[1]

1967年9月28日心筋梗塞のためにで死去[2]。72歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1966, し125頁.
  2. ^ a b 読売新聞1967年9月29日朝刊、p9

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第23版 上』人事興信所、1966年。