興福院 (柏市)

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興福院
所在地 千葉県柏市手賀712
位置 北緯35度50分42.3秒 東経140度04分23.0秒 / 北緯35.845083度 東経140.073056度 / 35.845083; 140.073056座標: 北緯35度50分42.3秒 東経140度04分23.0秒 / 北緯35.845083度 東経140.073056度 / 35.845083; 140.073056
山号 龍猛山
院号 興福院
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観音
創建年 大同年間(806年 - 810年
中興年 弘長5年(1263年)【第1次】、江戸時代初期【第2次】
中興 澄尊【第1次】、長運【第2次】
札所等 東葛印旛大師八十八ヶ所霊場第75・77・85番札所、下総四郡八十八所霊場第75番札所、下総三十三ヶ所観音霊場第8番札所
公式サイト 【公式】興福院平和公園共同墓地
法人番号 4040005013898 ウィキデータを編集
興福院の位置(千葉県内)
興福院
興福院
興福院 (千葉県)
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興福院(こうふくいん)は、千葉県柏市にある真言宗豊山派寺院

歴史[編集]

大同年間(806年 - 810年)に開山された。その後、1263年弘長5年)に澄尊によって中興された。その際に「無薬院」から「興福院」に改称した[1]

1579年天正7年)、手賀城城主原胤親は当院で戦勝祈願し、成就することができた。これにより原家は檀家となり、土地等が寄進された。しかし、1590年(天正18年)、小田原合戦で手賀城は落城、当院も焼失した[1]

江戸時代初期、長運が旧手賀城二ノ丸跡地の現在地に移転し再興させた[1]

江戸時代は、西光院・明王院・千手院・花下院・宝寿院・福蔵院・南蔵院弘誓院(以上、柏市)・延命寺東光院(以上、白井市)・龍泉寺我孫子市)の末寺を擁していた。明治以降に廃寺や活動停止状態になっている寺もある。これらの廃寺の仏像は当院に移されている[1]

当院の本尊十一面観音である。弘法大師空海の作とも運慶の作とも伝えられており、現在は秘仏である[1]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 沼南町史編さん委員会 編『沼南風土記』沼南町、1981年、101-103p

参考文献[編集]

  • 沼南町史編さん委員会 編『沼南風土記』沼南町、1981年

外部リンク[編集]