端宗 (宋)
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| 端帝 趙昰 | |
|---|---|
| 南宋 | |
| 第8代皇帝 | |
| 王朝 | 南宋 |
| 在位期間 | 1276年6月14日 - 1278年5月8日 |
| 姓・諱 | 趙昰 |
| 諡号 | 裕文昭武愍孝皇帝 |
| 廟号 | 端宗 |
| 生年 | 1269年 |
| 没年 | 1278年5月8日 |
| 父 | 度宗 |
| 陵墓 | 永福陵 |
| 年号 | 景炎:1276年 - 1278年 |
端宗(たんそう)は、南宋の第8代皇帝(在位:1276年6月14日 - 1278年5月8日)。姓は趙、諱は昰。第7代恭帝の兄に当たる。元代に編まれた『宋史』では建国公として、恭帝(瀛国公)、衛王(永国公)と共に本紀の最後の巻(第四十七)にまとめられている。
益王に封じられていたが、1276年に南宋の首都・臨安が陥落し、恭帝が元に降伏して捕らえられると、趙昰と母親の楊淑妃、弟の趙昺(衛王)は楊亮節などの手引きにより福建へ脱出した。趙昰は新たな皇帝に立てられ、福州濂浦において7歳で即位し、景炎と改元した。張世傑や陸秀夫主戦派は故地回復を画策するが、元軍が迫ると有効な対抗策がなく、張世傑とともに海路避難することに終始した。
1278年(景炎3年)3月、元軍に追われ広州湾に逃れた端宗であるが、乗船した船が転覆する事故が発生する。海中より救助された端宗であるが、これが原因で病となり、碙州(現在の広東省雷州湾)に逃れた際に同地でわずか10歳で崩御した。
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