神紀フェリー

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神紀フェリー株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
兵庫県神戸市生田区明石町18-1[1]
事業内容 一般旅客定期航路
資本金 3億円[1]
主要株主 丸紅
流通海運
日本通運
興紀相互銀行[2]
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神紀フェリー株式会社(しんきフェリー)は、兵庫県神戸市に本社のあった海運会社である。神戸市と和歌山県白浜町及び海南市を連絡するフェリー航路を運営していた。

概要[編集]

丸紅、流通海運等の出資によって設立され、新造カーフェリー「紀州」「白浜」の2隻によって、1972年(昭和47年)8月19日に神戸 - 白浜航路の運航を開始した[3]。当初、海南港への寄港を計画していたが、漁業補償の折り合いがつかず、直航での就航となり、翌1973年(昭和48年)8月1日から海南寄港を開始した[3]。1972年10月には第三船の「勝浦」も就航している。

当時、物流の海上ルートとして多数のフェリー航路が開設される中、観光開発を主目的としたことで注目された[1]が、石油ショックによるコスト増大、不況もあって営業はふるわず、1975年(昭和50年)4月1日、航路を休止し[4]、翌1976年(昭和51年)3月29日には廃止された[5]

また、丸紅、流通海運には「中国南紀横断フェリー」の計画もあった[6]が、実現せずに終わっている。

航路[編集]

所要時間4時間40分(直航)、6時間(海南寄港)
一日2 - 4往復運航

船舶[編集]

1972年6月竣工、大島造船所建造。
2,274.51総トン、全長86.49m、型幅15.00m、型深さ5.40m、ディーゼル4基、機関出力6,400ps、航海速力18.0ノット、旅客定員800名。
1976年日本カーフェリーに売船、「さるびあ」に改名[8]
1972年6月竣工、大島ドック建造。
2,263.53総トン、全長86.49m、型幅15.00m、型深さ5.40m、ディーゼル4基2軸、機関出力6,400ps、航海速力18.8ノット、旅客定員610名、乗用車30台・トラック22台。
1977年キプロスに海外売船。
1972年10月9日竣工、大島ドック建造。
2,263.51総トン、全長86.49m、型幅15.00m、型深さ5.40m、ディーゼル4基2軸、機関出力6,400ps、航海速力18.8ノット、旅客定員601名。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本海事年鑑』昭和49年版,日本海事新聞社,1973. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11915536 (参照 2024-03-24)
  2. ^ 『総合商社年鑑』1972年版,政経通信社,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11915945 (参照 2024-03-24)
  3. ^ a b 『日本のカーフェリー その揺籃から今日まで』海人社〈世界の艦船別冊〉、2009年3月、315頁。全国書誌番号:21554342 
  4. ^ 『世界の艦船』第214集(1975年6月号)、海人社、1975年、91頁。 
  5. ^ 兵庫県企画部統計課 編『兵庫県統計書』昭和50年,兵庫県企画部統計課,1977.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10262329 (参照 2024-03-24)
  6. ^ 『海事産業研究所報』1月(91),海事産業研究所,1974-01. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2641753 (参照 2024-03-24)
  7. ^ 『旅客船 : 機関誌』(98),日本旅客船協会,1972-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810981 (参照 2024-03-24)
  8. ^ a b 『日本のカーフェリー その揺籃から今日まで』海人社〈世界の艦船別冊〉、2009年3月、177頁。全国書誌番号:21554342 
  9. ^ 国土交通省海事局 監修『船の科学』26(2)(292),船舶技術協会,1973-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3231728 (参照 2024-03-24)

関連項目[編集]