真実

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真実(しんじつ、: ἀλήθεια: veritas: truth)は、虚偽反対語。本当のこと、偽りでないこと。歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかにされることをいう。

漢字の意味は、事柄の中身を開いて見たときに、(じつ)として充満しているもの、ということ。このため、具体的には、「外見=人間の見方、に依らない事実そのものの中身」と「外見=客観と呼ぶがじつは他人の視線、に依らない本人の心の中身」という二つの対極的な用法がよくある。以上の用法の違いは、分野の違いによって現れることが多い。

概論[編集]

科学関係の真実とは、ほとんど客観性のことである。人によらずに、客観的現象を客観的に測定することで、事物自体を試されることが多い。

文学分野の真実は、理性的な事実や他人による視点と、本人の心との葛藤で使われることも多い。この場合、「真実を決められるのは私の意思によるしかない」などという問題も発生する。

社会関係で真実とは、そのときどき、とくに立場で用法自体が異なることも多い。

哲学分野では、真実は重要な考察の対象となっている。たとえば、

「真実は複数あるが、事実は1つしかない」のようによく言われる。多くの場合、真実は事実に対する人の評価(真偽)を伴う。そのため、しばしば、「信念」や「信義」と連関することがある。その意味で、真実はカントの言う権利問題である。真実および事実は認定が必要である。裁判所における「事実認定」には、カントの言う事実問題における認識のほか、同じく権利問題における認定を伴う。権利問題のクラスにおいては、真実は人によって認識(認定)が異なるとするのが通常である。しかし、事実問題のクラスにおいて見ると、1つであると通常は考えられている事実も、一義的なものではないとされる。
哲学的には、たとえば、認識主体と客体について考えてみると、「現実」は主体から見た客体に対する視点の問題であり、「実在」は主体から分離された客体としての「存在」であり、「現象」は主体が認識した客体であり、また「存在」は「現象」により構成される。そのため、「主体」は「現象」により構成されないものを「存在」として認識することができない。そう言ったものをカントは「物自体」として仮定した。


関連項目[編集]


執筆の途中です この「真実」は、哲学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正して下さる協力者を求めていますPortal:哲学)。