田尻城

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田尻城
福岡県
別名 田尻飛塚城
城郭構造 山城
築城年 明応年間以前
主な城主 田尻氏立花織部
廃城年 慶長6年(1601年
遺構 堀、土塁
指定文化財 未指定
位置 北緯33度06分40.7秒 東経130度29分12.1秒 / 北緯33.111306度 東経130.486694度 / 33.111306; 130.486694
地図
田尻城の位置(福岡県内)
田尻城
田尻城
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田尻城(たじりじょう)は、福岡県みやま市にあった日本の城山城)。

概要[編集]

飯江川が形成した平野の南側丘陵の先端に位置する。本丸の他、二の丸や三の丸といった曲輪が設けられ、西側は急崖となっていた。

明応8年(1499年)に田尻氏大友政親から山門郡三池郡に300町を宛行われており、この時期までに当城は存在していたと考えられている。天文17年(1548年)に田尻親種鷹尾城を築いて移ると、一族の田尻左京が城代となった。天正15年(1587年)の九州国分で当城は立花宗茂に領有され、立花織部が城代となっている。慶長6年(1601年)に田中吉政が筑後に転封されると廃城となった。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

現存しない福岡県の建築物