田中次郎 (技術者)

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田中次郎
キ74の前に立つ田中次郎
国籍 日本の旗 日本
生誕 1917年1月16日(97歳)
東京都渋谷区
最終学歴 東京工業大学
職業 技術者会社役員
業績
勤務先 立川飛行機
陸軍
プリンス自動車工業
日産自動車
日産ディーゼル工業
設計
受賞歴 日本自動車殿堂(2008年)
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田中 次郎 (たなか じろう、1917年大正6年)1月16日 - )は、日本の航空機・自動車技術者。
立川飛行機入社後、陸軍に入隊し、陸軍機の各種エンジン評価を担当。1944(昭和19)年から、軍籍のまま元の勤務先の立川飛行機にて、試作遠距離偵察爆撃機キ74与圧室装備等の設計仕上げを担当。
戦後、米軍にキ74キ77を引き渡すための修理・整備を行う。
その後、立川飛行機から分離した東京電気自動車(後のたま電気自動車→たま自動車→プリンス自動車工業)にて電気自動車、そしてガソリン自動車の開発に従事する。
日産自動車と合併後、同社役員を経て、日産ディーゼル工業副社長を歴任し、1986(昭和61)年、同社を顧問で退社。
2008(平成20)年、日本自動車殿堂入り。

略歴[編集]

  • 1917(大正6)年1月16日 - 東京に生まれる
  • 1939(昭和14)年3月 - 東京工業大学機械工学科卒業
  • 1939(昭和14)年4月 - 立川飛行機株式会社入社
  • 1939(昭和14)年10月 - 陸軍第一期技術候補生(短現)入隊
  • 1940(昭和15)年2月 - 陸軍中尉 陸軍航空技術研究所
  • 1947(昭和22)年6月 - 東京電気自動車株式会社の分離設立により移籍
  • 1952(昭和27)年11月 - プリンス自動車工業株式会社〔旧〕と改称
  • 1953(昭和28)年7月 - 同社技術部長
  • 1954(昭和29)年4月 - 富士精密工業株式会社に合併
  • 1958(昭和33)年4月 - 自動車技術会賞受賞
  • 1959(昭和34)年9月 - 同社技術本部研究部長
  • 1961(昭和36)年2月 - プリンス自動車工業株式会社〔新〕と改称(旧社名に戻す)
  • 1962(昭和37)年12月 - 同社設計部長
  • 1966(昭和41)年8月 - 日産自動車株式会社と合併。同社プリンス事業部第一車両技術部長
  • 1969(昭和44)年11月 - 同社取締役就任
  • 1972(昭和47)年 - 自動車技術会担当理事。自動車工学便覧編集委員長
  • 1977(昭和52)年6月 - 同社常務取締役就任
  • 1979(昭和54)年6月 - 同社専務取締役就任
  • 1983(昭和58)年6月 - 日産自動車株式会社退社。日産ディーゼル工業株式会社 代表取締役副社長就任
  • 1985(昭和60)年6月 - 日産ディーゼル工業株式会社取締役退任、顧問に就任

関連項目[編集]

  • 中川良一 - 1954(昭和29)年4月のプリンス自動車工業(旧)・富士精密工業合併時以降、日産時代までの田中の上司。
  • 伊藤修令 - 1959年(昭和34年)4月に富士精密工業に入社して以来、プリンス自動車工業(新)時代に最も影響を受けた人物として、田中と桜井眞一郎の名を挙げている。[1]

参考文献[編集]

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  1. ^ 伊藤修令著 『走りの追求 - R32スカイラインGT-Rの開発』 P11 2005年4月18日 グランプリ出版刊 ISBN 4-87687-270-8