田中健之助

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田中 健之助(たなか けんのすけ、1908年2月7日- 1993年1月9日 )は、日本経営者

来歴・人物[編集]

三重県四日市市出身[1]1930年に行文行政科に合格し、1931年東京帝国大学法学部法科を卒業した後に鉄道省に入省した[1]1952年には日本国有鉄道理事に就任した[1]

1954年5月に近畿日本鉄道常務に就任し、1961年11月には専務に就任した[1]。一方で、1955年には近畿日本ツーリスト社長に就任した。

1968年5月から1976年6月までに三重交通社長を務め、1976年6月から1978年6月までに防長交通及び防石鉄道社長を務めた[1]

1971年11月に藍綬褒章を受章し、1978年11月に勲三等旭日中綬章を受章した[1]

1993年1月9日脳梗塞のために死去[2]。84歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 興信データ株式會社 1991, た38頁.
  2. ^ 1993年 1月12日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献[編集]

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、1991年。