王宝明

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王宝明(王寶明、おう ほうめい、455年 - 512年)は、南朝斉の文恵太子蕭長懋の妃。鬱林王蕭昭業の母。宣徳皇太后。文安皇后に追尊された。本貫琅邪郡臨沂県

経歴[編集]

の太宰祭酒の王曄之と桓氏(豊安県君)の間の娘として生まれた。蕭長懋の妻として迎えられた。474年元徽2年)、桂陽王劉休範が反乱を起こし、蕭道成が新亭にいたとき、自邸が反乱軍に襲撃されたことがあった。蕭長懋と蕭子良裴恵昭や庾妃や宝明を連れて宝明の兄の王昺の家に送り届け、反乱が鎮圧されるまでのあいだ身をひそめた。479年建元元年)、斉が建国されると、南郡王妃となった。482年(建元4年)、皇太子妃となった。493年永明11年)、皇太孫太妃となった。蕭昭業が即位すると、皇太后に立てられ、宣徳宮と称された。494年建武元年)、蕭鸞が即位すると、宮中を出て鄱陽王の旧居に住んだ。501年永元3年)、蕭衍建康を占領すると、宝明は再び宮中に迎えられて称制した。翌年、斉の和帝から蕭衍に帝位が禅譲され、が建国された。512年天監11年)、死去した。享年は58。崇安陵に葬られた。安皇后と追諡された。

伝記資料[編集]