路恵男

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路恵男(路惠男、ろ けいだん、412年 - 466年)は、南朝宋の文帝劉義隆の夫人。孝武帝劉駿の母。本貫丹陽郡建康県

経歴[編集]

路興之と徐氏(余杭県広昌郷君)のあいだの娘として生まれた。容貌の美しさで選抜されて後宮に入り、劉駿を産んで、淑媛に立てられた。齢を重ねて、文帝の寵愛もなくなり、劉駿の出藩に従って地方に下向した。453年元嘉30年)2月、文帝が皇太子劉劭に殺害され、劉駿が劉劭を討つべく起兵すると、恵男は尋陽にとどまった。4月、劉駿(孝武帝)が即位すると、建平王劉宏が恵男を迎えるべく派遣された。5月、恵男は皇太后に立てられ、宮を崇憲といった。顕陽殿に居住した。

461年大明5年)、孝武帝の巡幸に従って南豫州に赴いた。464年(大明8年)、前廃帝が即位すると、恵男は太皇太后に立てられた。

465年泰始元年)12月、明帝が即位すると、崇憲皇太后を号した。466年(泰始2年)1月、死去した。享年は55。は昭皇太后といった。孝武帝の景寧陵の東南に葬られ、陵号を修寧陵といった。

伝記資料[編集]