妻女山

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妻女山
岩野駅方面より望む妻女山(赤坂山)
標高 411 m
所在地 長野県長野市
位置 北緯36度33分40.691秒 東経138度10分17.188秒 / 北緯36.56130306度 東経138.17144111度 / 36.56130306; 138.17144111 座標: 座標オプションが認識できません
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プロジェクト 山
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妻女山(さいじょさん)は長野県長野市松代町千曲市土口が境を接する山。第4次川中島の戦いにおいて上杉謙信の軍が陣を張った地として知られるが、異論として「斎場山」(さいじょうざん)についても併記する。

概要

武田信玄が築いた海津城川中島平を見下ろすことができる位置にあり、上杉謙信はこの山上から海津城に立ちのぼる夥しい炊煙を見て武田方の攻撃を察知した。そして秘かに山を下り、夜陰に紛れて雨宮の渡しから千曲川を渡河して敵の裏をかいたと伝えられる。

なお現在「妻女山」とされて展望台や甲越合戦の解説版が設置されている所は、斎場山の尾根上の頂(元は「赤坂」又は「赤坂山」と呼ばれた)であり、謙信配下の殿(しんがり)部隊甘粕近江守景持が陣を敷いた場所とされる。この場所には忠霊殿、忠魂碑もあるが何れも戊辰戦争戦死者らを祀るもので、ここで幕末期に松代藩士らが銃撃訓練をした縁で建立された。そこでは明治期以来、新政府樹立に寄与した功績を称えて盛大に春秋の祭礼が行われた。従って、以来この場所に集うことを「妻女山に行く」事とされるようになったようである。

名称について

現在一般化している「妻女山」(さいじょざん)の表記は、上杉軍将兵が望郷の念を抱いて、遠く離れた郷里に残して来た「妻女を偲んで涙した」と江戸時代中期になってから芝居や浄瑠璃、講談等で語られて広まったことによるとされている。

元々上杉軍が陣を設けた場所について、『甲陽軍鑑』の記載は「西條山」(さいじょうざん)である。この記載は江戸時代中期に松代藩真田家)から「妻女山を西條山と書すは誤也、山も異也」(真田氏史書『真武内伝』)と指摘を受けているが、江戸期の地図は概ね「西條山」あるいは「西条山」と記載されている。そのため、明治になってから作られた唱歌「川中島」の歌いだしも「西条山は霧ふかし」である。

しかし本来「西條山」あるいは「西条山」の名がつく山は南に10kmほど離れた全く異なる山であり、川中島の戦い当時は海津城将が上杉軍来襲を甲斐に狼煙で急報した烽火台があった場所とされている。松代藩が「西條山=妻女山」とした理由については不明であるが、西條山と同じ読みである斎場山が上杉軍が陣を設けた場所とする説が、現在でも地元を中心に残されている(長野市の「信州・風林火山」特設サイトでも紹介されている[1])。

「斎場山」と周辺には多くの古墳が存在(埴科古墳群参照)し、古代から死者を弔い祭る山とされ「斎場」もしくは「祭場」と表記するのが正しいとされる。 斎場山は戸神山脈(もしくは鞍骨山脈、大峰山脈とも)にある上部の鞍骨城と、その下部の天城城の二つの山城を北に下った尾根先で東西に伸びる山脈を形成している。その東端は赤坂で西端が笹崎、中央部の主峰が謙信布陣と伝えられる斎場山である。しかし斎場山や薬師山と表記されている地図もあれば、「赤坂」を「妻女山」と表記して、この最高地の「斎場山」を無名にしている地図もある。無名にしてある地図の方がむしろ多い。

この主峰を「妻女山」のままが良しとする説もある。それによれば「斎場山」山頂の古墳(直径40メートルの円墳)は、麓にある「会津比売神社」の祭神「会津比売命」の墓と伝説される。そして地元では「天上」もしくは「御天上」とも言うのだといい「会津比売命」は建御名方神の孫娘に当たる。初代信濃の国造である「建五月建命(伝説では森将軍塚古墳の被葬者)」の妻であるので「妻女」の山が正しいとするものである。

その他

上杉謙信の妻女山布陣は定説となっているが「史実にはない」と否定するむきもある。武田家を滅ぼし北信濃を領有した織田軍の森長可本能寺の変織田信長の後ろ盾を失って撤退後、徳川、北条らとの三つ巴の草刈場と化した川中島に、北条軍の北上に備えた上杉景勝が妻女山に布陣した史実との「混同」だとするのがそれである。

展望台へは舗装路があり普通乗用車でも行けるし途中で運がよいとカモシカに遇える。妻女山頂上には未舗装路ながら軽乗用車でも四駆でなら行けるが御勧めは出来ない。付近には樹木の幹に猪が体をこすり付けた跡が沢山あり、夏季は樹木が繁って眺望を期待できないし蜂に用心。

関連項目

外部リンク