毛利高謙

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毛利高謙
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保11年(1840年)5月
死没 明治9年(1876年7月11日
改名 岩之助、高謙
戒名 温良院
官位 従五位下伊勢守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜明治天皇
豊後佐伯藩
氏族 藤原姓毛利氏
父母 父:毛利高泰、母:不詳
細川立則の娘・美女子
養子:高範
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毛利 高謙(もうり たかあき)は、江戸時代後期の大名豊後国佐伯藩の第12代(最後)の藩主。官位従五位下伊勢守

略歴[編集]

第11代藩主・毛利高泰の長男として誕生した。幼名は岩之助。

安政元年(1855年)10月、13代将軍徳川家定御目見する。同年12月、従五位下・伊勢守に叙任する。文久2年(1862年)12月9日、父が病を理由に隠居したため、その跡を継いだ。翌年から軍備の近代化、海防の強化などを行なった。高謙は外交に巧みな人物で、幕命を受けて江戸佃島などの守備を行なう一方、朝廷孝明天皇に対しても特産の和紙を献上して気脈を通じていた。慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れた後、新政府軍に恭順を誓った。

明治元年(1868年)10月2日、豊国神社再建のために瓦を献上する。明治2年(1869年)の版籍奉還により知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県により免官となる。明治9年(1876年)7月11日、37歳で死去した。法号は温良院。

系譜[編集]

父母

正室

養子