百耕資料館

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武井悌四郞から転送)
百耕資料館
百耕資料館の位置(神戸市内)
百耕資料館
神戸市内の位置
施設情報
事業主体 財団法人武井報效会
開館 1987年(昭和62年)10月
所在地 654-0009
兵庫県神戸市須磨区板宿町2丁目2-1
育英幼稚園内
位置 北緯34度39分41.9秒 東経135度7分47.2秒 / 北緯34.661639度 東経135.129778度 / 34.661639; 135.129778座標: 北緯34度39分41.9秒 東経135度7分47.2秒 / 北緯34.661639度 東経135.129778度 / 34.661639; 135.129778
外部リンク 百耕資料館
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百耕資料館(ひゃっこうしりょうかん)は、兵庫県神戸市須磨区にある資料館

概要[編集]

神戸市須磨区板宿地区の旧家・武井家が伝えてきた歴史資料(旧摂津国八部郡板宿村関係文書)及び美術資料(絵画、書蹟、陶磁器等)を保存・研究するとともに、一般に公開している[1]

武井家[編集]

資料館の名前の百耕は、地元の資産家・武井伊右衛門(1845-1917)の号である。伊右衛門は1881年より1883年まで兵庫県の県会議員を務めたほか、八部郡郡長、有馬郡郡長なども務めた。書画、漢詩をよくし、邸内に秋錦園(菊園)、魁春園(梅園)の二園を開いて一般に開放した。武井家は長女・愛子の婿・武井悌四郞(竹末朗平の四男)が家督を継いだ。悌四郞は神戸新聞社主筆を経て、千葉県佐倉中学校、京都府女子師範学校、京都師範学校、新潟第二師範学校、熊本県第二師範学校、大阪第二師範学校の各校長を歴任し、1917年に須磨町長、1920年に神戸市会議員に就任し、1925年に没した。家督は長男の武井尹人(京都帝国大学法学部卒)が継いだ[2]。四男・康夫は尾道造船社長・浜根岸太郎(二代目)の婿養子となり、同社を継いだ[3]。二男・陸雄の岳父に島津源蔵 (2代目)がいる。

施設[編集]

  • 常設展:「板宿の歴史」 原始古代近現代の板宿地区の歴史を紹介
  • 企画展:板宿・須磨神戸の歴史に関わるテーマ及び武井家所蔵の美術資料

利用情報[編集]

  • 開館:10:00~16:00(入館は15:30まで)
  • 休館日:毎週月曜日(祝日にあたるときはその翌日)、盆、年末年始
  • 入場料:大人 300円(250円) 中・高・大学生 200円(150円) ※()内は団体20名以上の場合
  • ひょうごっ子ココロンカードの対象施設になっている。
幼稚園の敷地内にあることから、入り口はロックされているため、インターフォンにて来館の旨を伝える必要がある。

周辺情報[編集]

交通[編集]

出典[編集]

  1. ^ 百耕資料館リーフレット
  2. ^ 武井尹人『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  3. ^ Before Foundation尾道造船