成井恒雄

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なるい つねお

成井 恒雄
生誕 1939年(昭和14年)10月17日[1]
日本の旗 日本 栃木県芳賀郡益子町
死没 2012年平成24年3月18日[2](72歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 陶工[3]
陶芸家
時代 昭和 - 平成
団体 成井窯
影響を受けたもの 益子焼他の日本の陶器
影響を与えたもの 佐藤敬[3] 他多数[3]
活動拠点 日本の旗 日本 栃木県芳賀郡益子町
配偶者 成井美沙子
子供 成井亙(長男)
成井ふみ(義娘:長男・亙の妻)
川崎桃子(4女)
成井金治
家族 成井立歩(長兄)
成井藤夫(次兄)
成井清治(末弟)
成井俊雄(甥)
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成井 恒雄(なるい つねお、1939年昭和14年〉10月17日[1] - 2012年平成24年〉3月18日[2])は、栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶工であり陶芸家である[4][5]

愛称は「ツーやん[2][3][4][6]

益子の土地と土と共に生き[7][4]、益子焼の職人や、陶芸家を志し益子町にやってくる若者たちから慕われた[2][3][4][8]

生涯[編集]

生い立ち[編集]

1939年昭和14年10月17日[1]栃木県益子町益子焼の窯元「円道寺窯」当主成井金治[9]の三男として生まれる[7][10][11]

1955年昭和30年)中学校卒業後、15歳から「父親からやれ」と言われ[12]、兄たちの後に従って家業である「円道寺窯」の従事陶工となり[7][5]、益子焼の職人たちと共に窯を手伝い陶器制作の技術を身に付けた。

益子への惑いと自覚[編集]

その頃の益子は日本の生活環境の変化により、それまで益子で作られていた陶器製の日用品であるすり鉢や甕が売れなくなっていく「陶器不況」に陥っていた[7]。数多くの窯が閉じられていき、仲間たちも「焼き物」を捨て東京へ就職し、窯の火は次々と消えていった[7]

中卒が「金の卵」と持て囃され、労働力として期待されていた時代であり、東京で就職した同級生たちが盆や正月のたびに革靴に背広姿で帰ってくるのを見て[7]、母親は「窯を止めて東京へ行った方が」と説得するが、父親は首を縦に振らなかった[7]。そして4年間、来る日も来る日も轆轤の前に座り、皿を挽いていった[7]

そして恒雄は「このまま「焼き物」を続けていいのか」と惑い、一時は世捨て人のようになってしまい[4]、京都、備前、萩、瀬戸、丹波などの日本各地の陶器の窯場を放浪するかのように巡り歩いていった[7][4][13]

1959年(昭和34年)頃のそんな惑いの日々の中の、とある日のこと。岡山県倉敷市大原美術館に立ち寄った。そして「益子から来た」と告げると、年配の男性が一般客には観せていない建物の裏手に案内してくれた。そこには朝鮮・李朝の茶碗が数多く置かれており、恒雄はそこで半日、ずっと李朝の茶碗を手に取っては眺め、そして「自分が好きなのはこれだ」と気が付いた [7]

振り返れば濱田庄司合田好道に影響を受けた成井立歩成井藤夫の二人の兄がいて[7]田中福太郎[14]黒子留吉[14]瀬尾圭たち「蹴轆轤師」たちがいて[13]、「自分は既にそこに向かっていたのだ」と気が付いたと言う。

そして父親から許されて初めて作った鉢に「答え」があり、窯出しの日に佐久間藤太郎がやってきて、しきりに褒めてくれたという[7]

そしてこの後、1958年(昭和33年)2月1日から発売されていた「おぎのや」の「峠の釜飯」が一躍ヒット商品となり、その容器である「釜っこ」生産のため塚本製陶所による益子の窯元への注文生産が開始され、陶器不況が終わり「釜っこ景気」が始まり、その後の「民芸の町・益子」へと繋がる流れとなっていった[7]

「益子の陶工」として[編集]

1966年昭和41年)、27歳の時に幼なじみに請われて「大宿窯」の築窯に参加したが、1970年昭和45年)、31歳の時に「一人で自由にやるのが一番」と独立し[15]、益子に登り窯を筑窯した。

父・金治が若き頃の恒雄の作品を人知れず出品したため「国画会工芸部会入選」の実績もあるが、作家への道には行かず、「父の代からのものを大事にしたい」と「一人の陶工」としての道を歩んだ[16]

その一方で1974年昭和49年)4月、34歳の時に、「明るい益子町をつくる会」を主軸として陶器労組の一部や若手陶芸家や文化人を結集させ、共産党の期待の若手として益子町町長選挙に無所属で出馬[17]

同年4月7日、告示日に一番乗りで立候補を届け出をし、兄・成井藤夫の藤夫窯で、矢口鉄男町議、大阿久照代共産党県婦人部長、見目肇党芳賀地区委員長を始めとした約50人が集まり選挙事務所を開設。「町政を刷新して物価高を引き起こした自民党の政策を断ち切り町民のための町政を確立させる」と第一声を上げた[18]。そして同年4月14日、投票が行われたが523票で落選した。[19]

その後は生涯「益子の一陶工」として生き[6]、益子の土と蹴轆轤と登り窯の炎に向き合いながら[4]陶器を作り[6]、「やきものをやる人ややりたい人を大事にしたい[20]」と、細工場を訪れる益子焼の職人や陶芸家志望の若者たちと共に囲炉裏を囲みながらお茶を飲み、多くの人たちから慕われた[8][21]

その一方で子育てがひと段落した後の2004年(平成16年)以降、たびたび個展を開いており[10]2004年(平成16年)11月にはギャラリーカフェ「star net」のオーナーであった馬場浩史のたっての希望で「star net」で「人生初の個展」となる「茶わん展」が開催された[22]。そして2005年(平成17年)6月には初めて成井本人の希望により「やまに大塚」内「ギャラリー緑陶里」で個展が開かれ[10][11]、同年10月には益子町のカフェギャラリー「starnet」で抹茶碗に絞った個展を開き[23]2008年(平成20年)11月にも「starnet」で個展を開いた[24]

2012年平成24年3月18日に逝去した。享年72[2]

遺言により葬儀は執り行われなかったため、しばらくは逝去を知らない人が少なくなかったという[2]

逝去後[編集]

これまでに様々な形で成井恒雄の遺作展や回顧展が開かれている[2][25][6][26][27][28][29][30]

生前の2009年平成21年)に撮影されていた成井恒雄の映像が用いられた池田泰教による映像作品「3 PORTRAITS and JUNE NIGHT」が制作され2014年平成26年)から各地で上映された[31][32][33]

2021年令和3年)3月13日から4月25日にかけて「道の駅ましこ」企画展示として「師匠のことば 成井恒雄と仲間たち」展が開かれた[5][34][35][36]

人物[編集]

益子焼人間国宝であった島岡達三に「益子の風土そのもの。濱田庄司先生の遺産を正しく伝える陶工」と言わしめ、財界人であった木村昌平からは「益子の老子」と謳われた[4]

弟子は取らない主義であったが、蹴轆轤の扱い方を教えて欲しいという陶芸家志望の若者が後を絶たず、豊かとは言えない自宅に転がり込んでくる若者たちを無条件で受け入れて[15][4]無言で見守り続けて、共にお茶を飲み、共に悩み、共に楽しみ、対等な人間関係を築き[5]共に作陶に励んだ[4]、数多くの「弟子」がいる[8]

「円道寺窯」の従事陶工だった頃から職人たちの話相手をしていたため鳩や鶏や小鳥を飼うことも教えてもらうほど、職人の生活や気質を知り尽くした[9]

若い頃は陶器の産地を巡って全国を放浪した事もあったが[4]「益子の外を出ると気分が悪くなる」ようになってしまい[15]、益子に生まれ、益子で育ち、益子で仕事をしている。それが嬉しいと語り[12]、その生涯を益子で過ごした[21]

益子の職人気質を受け継ぎ、蹴り轆轤や登り窯にこだわり、その高度な蹴り轆轤の技術と達観した姿勢は益子焼の陶芸家たちに一目置かれていた[10]

その一方で縄文土器や、全国各地を放浪して得た、日本全国の窯業の地に息づいていた先人たちの仕事も手本としていた[10]

益子焼の伝統的な釉薬である並白釉を用いた端正な茶碗や酒器が中心であったが、徐々に豪快な作風となっていった[10]

そして「地元の利かな。好きに作っていれば大丈夫なんだ。とにかく好きだから大丈夫なんだ。」と益子訛りで語ったという[7]

名言[編集]

「無理を通さず出来たなり」[4]を始めとして、自らの陶作手法に独特の哲学や思想を持っていた成井恒雄は、主に弟子たちに向けた様々な言葉を残している[3]

2021年令和3年)に「道の駅ましこ」で行われた「師匠のことば 成井恒雄と仲間たち」展で30人以上の人たちにインタビューが行われ、それらの「名言」がまとめられ、「名言」を用いた展示が行われた[36][37][38]

以下にその一部を記す。

  • 根性には持続性がない
  • 草の一本いっぽんを見ろ
  • チャンスは掴むな、チャンスは捨てろ
  • 魚が川から飛び跳ねたように作る
  • ダメでいいんだ

家族[編集]

父親は益子焼の窯元「円道寺窯」2代目当主の成井金治[9]

長兄は「円道寺窯」3代目だった成井立歩(本名:正直)。
次兄は「益子焼窯元共販センター」と「益子陶芸村」の設立者であり「藤夫窯」で作陶活動もしていた成井藤夫[9][4](本名:豊[39])。

弟には「よみうりカルチャー」で陶芸教室を行いながら作陶活動を続ける成井清治がいる[40][41]

妻は陶芸家でもあった成井美沙子(故人)[42][43][44]

長男・成井亙(わたる)とその妻成井ふみ、そして成井恒雄の4女であり亙の妹である川崎桃子の三人で、父親が遺した窯元「成井窯」で作陶活動を続けている[45][46][47][48][3]

弟子[編集]

成井恒雄は「弟子は取らない主義」としていたが、教えを請う人たちが後を絶たず、これを拒まず教授していたため結果として成井の元で修行した[5]数多くの弟子がいた[8]。弟子と言わずとも、成井恒雄から蹴轆轤を習った人たちは50人は越えると言われている[36][5]。なお弟子たちには自身のことを愛称である「ツーやん」と呼ばせていた。

以下、五十音順に記載する。

[57]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 近藤京嗣 1989, p. 121.
  2. ^ a b c d e f g 「下野新聞」2013年(平成25年)3月24日付 14面「益子の伝統受け継ぐ陶工」「成井恒雄回顧展・遺作展 30日から小山」「大日山美術館 大皿や大壺など300点」「たから園現代工芸 普段使いの食器800点」石川忠彦 文責
  3. ^ a b c d e f g h i 「土を動かす」…色や形を超えて、受け継がれてゆく成井恒雄さんの意思。”. ろばの家 (2023年5月25日). 2023年9月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 「朝日新聞」2017年12月8日 朝刊 栃木県版 24面「とちぎの風」「魂に汗をかく」「木村昌平 13」「世を去った「益子の老子」」
  5. ^ a b c d e f 「読売新聞」2021年(令和3年)4月3日付 東京朝刊 栃木2 20面「陶芸家・成井恒雄の「言葉」」「弟子たちの思い出・手書きメモ」「道の駅ましこ 作品とともに紹介」
  6. ^ a b c d 「下野新聞」2013年(平成25年)5月30日付 24面「民芸に思い寄せ」「故成井さん回顧展」「代表作55点」「益子の陶芸家ら 地元開催」
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n 下野新聞 1998年(平成10年)8月9日付 7面「転機 私のルネサンス 18」「成井恒雄 陶芸」「豊かな大地の生命宿る」
  8. ^ a b c d e 佐藤 敬さん|ものづくりの現場vol.008|栃木県芳賀郡益子町”. colocal コロカル (2012年7月4日). 2023年9月24日閲覧。
  9. ^ a b c d 下野新聞社 1999, p. 142.
  10. ^ a b c d e f 「下野新聞」2005年(平成17年)6月26日付 20面「豪快、自由の境地」「益子の成井さんが陶芸展」
  11. ^ a b 「下野新聞」2005年(平成17年)7月16日付 7面「自然体の作風 350点並ぶ」「益子で成井恒雄陶展」
  12. ^ a b 無尽蔵 1980, p. 58.
  13. ^ a b 益子焼 うつわギャラリー「野の花の道」チラシ裏面
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  15. ^ a b c 下野新聞社 1999, p. 143.
  16. ^ 小寺平吉 1976, p. 123-124.
  17. ^ 下野新聞 昭和49年4月2日 5面
  18. ^ 下野新聞 昭和49年4月8日 1面
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  20. ^ 小寺平吉 1976, p. 124.
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  23. ^ 「下野新聞」2005年(平成17年)10月27日付 7面「「表情」多彩に 抹茶わん120点」「成井さんが陶芸展」
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参考文献[編集]

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  • 下野新聞社『とちぎの陶芸・益子』下野新聞社、1999年10月10日、142-143,223頁。ISBN 9784882861096NCID BA44906698国立国会図書館サーチR100000002-I000002841202-00 
  • 近藤京嗣 著、近藤京嗣 編『益子の陶芸家 平成12年』近藤京嗣(自家出版)、2000年11月、78-79,89頁。真岡市立図書館 検索結果矢板市立図書館 検索結果大田原市立図書館 検索結果 
  • 陶工房編集部『粉引の器 その発想と作り方』株式会社誠文堂新光社、2020年7月22日、134,136-137,141頁。ISBN 9784416620076 

関連項目[編集]

  • 益子陶芸村:益子焼専門店「野の花の道」にて成井恒雄の作品(非売品)や関連書籍が展示されている。また成井恒雄の弟子たちの作品も展示販売されている。

外部リンク[編集]