広瀬村 (岐阜県)

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ひろせむら
広瀬村
廃止日 1897年4月1日
廃止理由 合併
広瀬村坂本村川上村
坂内村
現在の自治体 揖斐川町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
池田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,514
(揖斐郡志[1]、1897年)
隣接自治体 岐阜県
池田郡川上村坂本村徳山村鶴見村
滋賀県
東浅井郡上草野村東草野村
広瀬村役場
所在地 岐阜県池田郡広瀬村
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広瀬村(ひろせむら)は、かつて岐阜県池田郡にあったである。現在の揖斐郡揖斐川町坂内広瀬に該当する。

概要[編集]

村名は、この地が広瀬氏の居住地だったことによる。1573年天正3年)の文書には「小島庄廣瀬郷」の名が現れる。人家は3集落から成り、広瀬の集落が最大で、西村・北村・羽根村に分かれる。大草履は西方40(約4.3km)のところにあって人家は山腹に散在した。浅又はその南方の浅又川(広瀬浅又川・坂内川の支流)に沿って広く散在するが、その多くは農繁期の際の住居に過ぎなかった[2]

正保年間(1645年 - 1648年)に広瀬村は羽根村、西村、北村に分立したが、1875年明治8年)6月1日に羽根村、西村、北村が合併して広瀬村が成立した[3][4]

1616年元和2年)の村高(石高)は414181873年(明治6年)の調高では456石2斗6、段別4185(約41.5ha)・12町4段21歩(約12.3ha)・屋敷5町2段15歩(約5.2ha)、外に試起田7町9段4歩(約7.8ha)・同畑2町1段6畝20歩(約2.1ha)があった[1]

1897年明治30年)4月1日の揖斐郡設置時に、坂本村川上村廃置分合(合併)して揖斐郡坂内村の一部となり[5]、同村の大字となる。

歴史[編集]

神社・仏閣[編集]

  • 広瀬神社

教育[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 揖斐郡志』、438頁
  2. ^ 揖斐郡志』、437頁
  3. ^ a b 岐阜県市町村合併等経過一覧表』、60頁
  4. ^ a b 岐阜県町村合併史』、145頁。『岐阜県町村合併史』では、合併期日の異説として1875年(明治8年)3月も掲載する。
  5. ^ a b 「町村廃置分合」明治30年3月31日岐阜県告示第58号
  6. ^ a b 揖斐郡志』、272-274頁
  7. ^ 明治12年2月18日岐阜県甲第10号布達
  8. ^ 明治22年6月27日岐阜県令第40号
  9. ^ 岐阜県下郡廃置及郡界変更法律(明治29年4月20日法律第86号)施行による。法令全書. 明治29年』内閣官報局、164-165頁https://dl.ndl.go.jp/pid/787999/1/91 
  10. ^ 揖斐郡志』、292-295頁

参考文献[編集]

  • 梶原猪之松 編『岐阜県令達全書. 明治元年−20年』啓文社、1897年6月20日。doi:10.11501/788374https://dl.ndl.go.jp/pid/788374/1/148 
  • 梶原猪之松 編『岐阜県令達全書. 明治21年−28年』啓文社、1897年6月20日、891頁。doi:10.11501/788377https://dl.ndl.go.jp/pid/788377/1/76 
  • 岐阜県令達全書. 明治30年』岐阜県知事官房、1898年10月18日、167-178頁。doi:10.11501/788378https://dl.ndl.go.jp/pid/788378/1/101 
  • 岐阜県揖斐郡教育会 編『揖斐郡志』揖斐郡教育会、1924年12月31日。doi:10.11501/1019725 
  • 『岐阜県町村合併史』岐阜県総務部地方課、1961年11月1日。doi:10.11501/3022328 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年9月1日。doi:10.11501/12190664ISBN 4-04-001210-0 
  • 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年9月20日。doi:10.11501/12760487ISBN 4-490-10280-1 
  • 岐阜県市町村合併等経過一覧表”. 岐阜県地域計画局市町村室. 2014年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月8日閲覧。

関連項目[編集]