常陸山虎吉

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常陸山 虎吉(ひたちやま とらきち、1850年2月25日嘉永3年1月14日) - 1915年大正4年)11月1日)は、茨城県出身で入間川部屋に所属した大相撲力士。最高位は前頭筆頭。本名は五十嵐 虎吉(後出羽ノ海姓)。4代出羽ノ海横綱常陸山谷右エ門の師匠。

来歴[編集]

1873年明治6年)4月入間川部屋から初土俵を踏む。徐々に番付を上げ、1878年(明治11年)5月十両昇進。1882年(明治15年)に入幕した。幕内上位から中堅で活躍し、1886年(明治19年)5月大関剣山預かり1891年(明治24年)1月、1892年(明治25年)1月剣山、1894年(明治27年)1月関脇朝汐を破っている。1890年(明治23年)1月から四股名を「出羽ノ海」と改めた。大酒飲みで知られ、安い濁酒ばかり飲んでいたため「ドブ虎」とあだ名された。取組中、酒と引き換えに勝ちを譲ることもあったという。最高位は前頭筆頭(1889年1月)で終わり、三役には手が届かなかった。1896年(明治29年)5月限りで引退、出羽ノ海部屋を興した。部屋から横綱常陸山ほか多くの弟子を輩出し、隆盛を極めた。1915年(大正4年)5月に常陸山が引退すると部屋を譲り、隠居し、その年の11月に死去した。

関連項目[編集]

参考文献[編集]