大名塚古墳

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大名塚古墳

石室開口部
別名 大名塚1号墳
所属 大名塚古墳群(四反田古墳群)
所在地 三重県津市安濃町草生字四反田
位置 北緯34度46分16.15秒 東経136度25分15.15秒 / 北緯34.7711528度 東経136.4208750度 / 34.7711528; 136.4208750座標: 北緯34度46分16.15秒 東経136度25分15.15秒 / 北緯34.7711528度 東経136.4208750度 / 34.7711528; 136.4208750
形状 円墳
規模 直径23m
高さ4m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 銅鏡・剣形石製品・玉類・刀・須恵器
築造時期 6世紀後半
史跡 津市指定史跡「大名塚古墳」
地図
大名塚古墳の位置(三重県内)
大名塚古墳
大名塚古墳
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大名塚古墳(おおなづかこふん、大名塚1号墳)は、三重県津市安濃町草生にある古墳。形状は円墳。大名塚古墳群(四反田古墳群)を構成する古墳の1つ。津市指定史跡に指定されている。

概要[編集]

三重県中部、経ヶ峰東麓の小独立丘陵上に築造された古墳である。周辺では北側に2号墳(現存)、北西に3号墳(消滅)が分布する。1903年明治36年)に所有者らによる発掘がなされている[1]

墳形は円形で、直径23メートル・高さ4メートルを測る[2][1]。墳丘表面で葺石埴輪は認められていない[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室全長8.95メートルを測り、津市内ひいては中勢地域では最大規模の石室になる[1]。石室内からは明治期の発掘で多数の副葬品が出土しているが、現在ではその多くが散逸している[2]。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定され、6世紀末頃の追葬が認められる[1]

古墳域は1998年平成10年)に旧安濃町指定史跡(現在は津市指定史跡)に指定されている[3]

遺跡歴[編集]

埋葬施設[編集]

石室 玄室

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:8.95メートル
  • 玄室:長さ4.55メートル、幅1.9メートル、高さ2.9メートル
  • 羨道:長さ4.2メートル、幅1.2-1.4メートル、高さ1.7メートル

石室の石材は、付近で産出する黒雲母片麻岩・黒雲母花崗岩である[5]。石室の一部が崩壊しているため、本来の石室全長は若干伸びると推測される[2]。羨道は開口部に向かって若干広がる形態をとる[2]

石室内からは、明治期の発掘時に鏡2・剣形石製品・玉類・刀・須恵器が出土したというが[5]、現在では須恵器の一部を残す以外は散逸している[4][2]。須恵器には坏・高坏・提瓶・平瓶・甕などが認められ[1]、これらの様相から6世紀後半頃に1人目の初葬が、6世紀末頃に2人目の追葬が想定される[1]

文化財[編集]

津市指定文化財[編集]

  • 史跡
    • 大名塚古墳 - 1998年(平成10年)4月1日指定[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 史跡説明板。
  2. ^ a b c d e f 大名塚古墳(歴史散歩37) (PDF) (津市ホームページ)。
  3. ^ a b c 市指定文化財(一覧表)(津市ホームページ)。
  4. ^ a b 大名塚1号墳(三重県史) 2005.
  5. ^ a b 大名塚古墳(平凡社) 1983.

参考文献[編集]

  • 史跡説明板(津市教育委員会設置)
  • 地方自治体発行
  • 事典類
    • 「大名塚古墳」『日本歴史地名大系 24 三重県の地名』平凡社、1983年。ISBN 4582490247 

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、大名塚古墳に関するカテゴリがあります。