和泉黄金塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
和泉黄金塚古墳
Izumikoganeduka Kofun 20080720.jpg
位置 北緯34度30分51秒
東経135度27分21秒
所在地 大阪府和泉市上代町
形状 前方後円墳
規模 全長約94m
築造年代 古墳時代前期末
出土品 銅鏡、革製漆塗盾、勾玉、鉄鏃など
史跡指定 平成20年(2008年)国指定
テンプレートを表示

和泉黄金塚古墳(いずみこがねづかこふん)は、大阪府和泉市上代町(うえだいちょう)にある古墳時代前期末築造と考えられる前方後円墳景初三年銘画文帯神獣鏡が出土したことで知られる。国の史跡に指定されている。

概要[編集]

信太山丘陵先端に位置する二段築成と推定される墳丘をもつ前方後円墳である。 大きさは、全長約94メートル、後円部は直径約60メートル・高さ約9メートル、前方部は推定幅約42メートル、高さ約6.5メートルである。

古墳時代前期末(4世紀後半頃)の築造で、後円部の粘土槨に木製棺の埋葬施設が3つ平行に並んでいた。

中央槨の棺外から出土した画文帯四神四獣鏡には、景初三年(239年)の銘があり、魏志倭人伝における邪馬台国卑弥呼が魏の皇帝から銅鏡百枚を贈ったとの記述との関連性が考古学者の一部で指摘されている。(発掘当事者の一人である森浩一は否定している)

また、古墳の周囲には棚田の景観が残っていることも特筆される。

2008年3月28日に国の史跡に指定されている。

発掘調査[編集]

敗戦直後の1945年11月に、当時17歳の少年だった森浩一(のちの同志社大学文学部教授)が同古墳の荒廃に気付いたのをきっかけとして末永雅雄博士とともに応急調査し、旧陸軍が掘った塹壕の横(のちの東槨)からは巴形銅器3個が着いた革製漆塗盾が、後円部の西(のちの西槨)からは短甲、鉄刀、打製石鏃などが出土した。

1950年から1951年にかけて、大阪府教育委員会と日本考古学協会による合同調査が実施され、後円部から粘土槨に木棺を納めた埋葬施設3基(中央槨・東槨・西槨)が出土した。中央槨の棺内からは半三角縁二神二獣鏡、勾玉、棗玉、管玉、石釧、車輪石などが、棺外からは景初三年銘画文帯四神四獣鏡、鉄刀、鉄剣、鉄斧、鉄鎌などが出土した。東槨からは棺内から三角縁盤龍鏡、画文帯四神四獣鏡(2面)、甲、冑、勾玉、棗玉、管玉、鍬形石、水晶製大型切子玉(日本最大のもの)などが、棺外からは鉄槍、鉄鉾、鉄鏃などが出土した。これら出土品は一括して国の重要文化財に指定されており、東京国立博物館に所蔵されている。

2001年から2005年にかけて、和泉市教育委員会により調査が行われ、前方部墳裾に円筒埴輪列が出土したことから古墳の規模が確認された。また、東のくびれ部から、形象埴輪が多く出土した。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 「僕は考古学に鍛えられた」森浩一著 筑摩書房 1998年
  • 「シンポジウム 和泉黄金塚古墳を考える 資料集」和泉市教育委員会 2008年