吉田克己 (公衆衛生学者)

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吉田 克己(よしだ かつみ、1923年9月13日[1] - 2016年1月16日[2][3])は、日本の公衆衛生学者。三重大学名誉教授。

人物[編集]

岐阜県出身。京都帝国大学を卒業。1958年昭和33年)、三重県立大学(現・三重大学医学部)の教授に就任する。四日市ぜんそくの発生原因について疫学的な見地から研究をおこない、硫黄酸化物との関連を指摘、住民による訴訟においても証人として出廷した[3]1960年代以降に四日市市の公害防止対策委員などを歴任して、四日市公害と環境未来館の設立時に資料などを提供した。1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)まで、三重県公害センター所長を兼任した。三重県による硫黄酸化物の総量規制の制定にも関与した[3]

2016年平成28年)1月16日に岐阜県大垣市の自宅で肺がんで死去した[4]

著書[編集]

  • 『四日市公害―その教訓と21世紀への課題』柏書房、2002年

脚注[編集]

  1. ^ 吉田克己 - デジタル版日本人名大辞典plus(コトバンク
  2. ^ 吉田克己氏死去(三重大名誉教授・公衆衛生学)”. 時事ドットコム (2016年1月18日). 2016年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月19日閲覧。
  3. ^ a b c “訃報 吉田克己さん 92歳=三重大名誉教授、公衆衛生学専攻”. 毎日新聞. (2016年1月19日). http://mainichi.jp/articles/20160119/ddm/041/060/130000c 2016年1月24日閲覧。 
  4. ^ 伊勢新聞2016年1月19日、15面