交響曲第3番 (グレツキ)

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交響曲第3番悲しみの歌の交響曲』(ポーランド語Symfonia pieśni żałosnych作品36は、ヘンリク・グレツキの代表作のひとつであり、20世紀後半において最も成功した交響曲のひとつでもある。

成立[編集]

編成[編集]

この交響曲は、管弦楽とソプラノ独唱のための交響曲である。 フルート 4 (うち2本はピッコロ持ち替え)、クラリネット 4、ファゴット 2、コントラファゴット 2、ホルン 4、トロンボーン 4、ハープピアノソプラノ独唱、弦五部

構成[編集]

三楽章から構成される。全楽章を通じて非常にテンポはゆっくりである。形式的には、古典的な「交響曲」の急緩急形式からは大きく逸脱している。

第1楽章 Lento[編集]

第1楽章の歌詞は15世紀ラメントに取材されている。中央を頂点とする3部旋法性で作られたカノン形式。

第2楽章 Lento e largo - Molto lento[編集]

第2楽章の歌詞は、ゲシュタポ収容所の壁に書かれた言葉に取材されている。

第3楽章 Lento - Lento e largo - Molto lento - Largo ben tenuto[編集]

第3楽章の歌詞は民謡からとられている。最後は長三和音で締めくくられる。

背景[編集]

共産主義政権下では、現代芸術は当局からしばしば「形式主義」と批判され、好意的とはいえない政治的環境の下に置かれていたが、1956年に現代音楽祭「ワルシャワの秋」が始まったことで戦後ポーランドの作曲家たちは、前例のないほどの創作の自由を享受することができた[2]。グレツキは前衛的作曲家たちの間で、初期の実験的な不協和音やセリエル音楽的作品で広く知られるようになっていた。1960年のワルシャワの秋で好評を博した「Scontri」や、1961年パリ青年ビエンナーレで第1位を受賞した交響曲第1番のような現代的作品を通して、グレツキは国際的な音楽シーンに登場した[3]。1960年代を通して、グレツキは、ピエール・ブーレーズカールハインツ・シュトックハウゼンら、実験的作曲家やセリエル音楽の作曲家たちとの交流を続けた。

1970年代に入ると、グレツキは、初期の作品に見られたセリエル音楽や極端な不協和音などの要素から、徐々に離れ始め、交響曲第三番では、その少し前に発表された合唱曲「euntes ibant et flebant」(作品32、1972年)や「Amen」(作品35、1975年)と同様に、以前用いていた技法を完全に放棄している。グレツキの交響曲第三番における変奏の欠落と、繰り返しへの依存は、後年の作品に見られる和声的ミニマリズムと一層単純化されたテクスチュアへとグレツキが進んでいった過程における、ひとつの段階を示すものであった。テクスチュアの単純化は彼の初期からの特徴であったが、これに「交響曲第二番」で全オーケストラによる和音とオクターブを加えたのである。その後、この「交響曲第三番」ではモーダルなメロディーと停滞する遅い和声、そしてオーケストラ的とは呼べない室内楽的な薄い書式を第三楽章で全面的に開放した。

この時期のグレツキの作品がもっている宗教的性格から、批評家も音楽学者も、しばしばグレツキを、根源的に単純化された音楽のテクスチュア、調性旋律を追求し始めた、あるいは、宗教的意味を帯びた作品を作るようになった、他の現代作曲家と結びつけようとした。同様の考えをもっていた、アルヴォ・ペルトジョン・タヴナーのような作曲家たちは、しばしばグレツキと一緒に、ホーリー・ミニマリズム英語版という用語[4]でまとめられたが、そのように括られた作曲家たちは、何らかの共通の影響があったとは誰も認めなかった。

グレツキは、前衛音楽やコンピュータ音楽から離れるために反復を使ったのではなく、「前衛音楽を超えた」音楽の創造のために用いたのであり、本来はこれを新しい単純性とは呼ばない。しかしながら、不幸にも彼のこの作品は新しい単純性の典型例[5]です、と多くのメディアで報道されてしまい現在に至る。このため、彼の音楽は交響曲第三番以降の作品を典拠に論じる[6]ようになってしまい、初期作品を全く知らない聴衆が出現するのに時間はかからなかった。

1990年代に入るとドーン・アップショーの歌唱によるCDがチャート入り[7]するなど、日本にもその余波はおよび、各地で「グレツキ・フィーバー」と呼ばれる人気を得て、ポーランドのローカルな作曲家は一躍スター作曲家に躍り出た。しかし、彼はすでに健康を害しており、新作の作曲は困難であった。

現在もグレツキは「新しい単純性のホーリー・ミニマリズム」に分類されており、この分類に必ずしも合致しないとされる初期作品[8]は全くCD化されていない。

参考文献[編集]

  • Górecki, Henryk Mikołaj (2003). "Remarks on Performing the Third Symphony". Polish Music Journal 6 (2). Retrieved 3 October 2012.
  • Howard, Luke B. (1998). "Motherhood, Billboard, and the Holocaust: Perceptions and Receptions of Górecki's Symphony No. 3". The Musical Quarterly 82 (1): 131–159. doi:10.1093/mq/82.1.131. JSTOR 742238.
  • Howard, Luke B. (2007). "Henryk M. Górecki Symphony No.3 (1976) as a Symbol of Polish Political History". The Polish Review 52 (2): 215–222. JSTOR 25779666.
  • Jacobson, Bernard (1995). A Polish Renaissance. London: Phaidon. ISBN 0-7148-3251-0.
  • Layton, Robert, ed. (1995). A Guide To The Symphony. Oxford: Oxford University Press. ISBN 0-19-288005-5.
  • Steinberg, Michael (1998). The Symphony: A Listener's Guide. New York, NY: Oxford University Press. ISBN 0-19-512665-3.
  • Thomas, Adrian (1997). Górecki. Oxford Studies of Composers. Oxford: Clarendon Press. ISBN 0-19-816394-0.
  • Thomas, Adrian (2005). Polish Music Since Szymanowski. London: Cambridge University Press. ISBN 0-521-58284-9.

脚注[編集]

  1. ^ Thomas, Adrian (1997). Górecki (Oxford Studies of Composers). Oxford: Clarendon Press. pp. 163. ISBN 0-19-816394-0. 
  2. ^ Thomas (2005), pp.85–86
  3. ^ Howard (1998), pp.134
  4. ^ Sacred Minimalismとも呼ぶ
  5. ^ 西洋の音楽と社会(11) 世界音楽の時代 現代 I (西洋の音楽と社会―現代)
  6. ^ 初期作品はMuzaとOlympia以外ではリリースがない
  7. ^ 西洋の音楽と社会(11) 世界音楽の時代 現代 I (西洋の音楽と社会―現代)
  8. ^ ポーランド国内では初期作品の演奏は行われて、認知もされている。