ロバート・ウィリアム・コウマー

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ロバート・ウィリアム・コウマー

ロバート・ウィリアム・コウマー(Robert William Komer, 1922年2月23日 - 2000年4月9日)は、アメリカ合衆国政治家ベトナム戦争における和平工作の主要人物であり、市民の平定を目的とする「革新のための市民行動委員会」を組織した。

生涯[編集]

イリノイ州シカゴにて誕生。ミズーリ州セントルイスにて育ち、ハーバード大学を卒業。第二次世界大戦時代は従軍し、1947年に中央情報局に参加。

国家安全保障会議職員として勤務し、マクジョージ・バンディを補佐。バンディの退任後は、暫定的に後を継いで国家安全保障担当補佐官代行を務めた。その後コウマーはベトナム戦争の和平工作任務に就いた。

コウマーはベトナムにおいてフェニックス計画英語版を指揮。中央情報局主導の作戦であり、コウマーは後に20,587名の暗殺を自ら証言した[1]。思想家ノーム・チョムスキーはフェニックス計画における死亡者数について反論し、コウマーの在任中に推定6万人が殺害されたと主張した。またチョムスキーはコウマーについて、伝説的に「非常に凶悪なタイプ」の「冷戦の軍人」とも見なした[2]

1968年12月から1969年5月まで在トルコ大使。1979年10月から1981年1月まで国防次官(政策担当)

出典[編集]

  1. ^ Weiner, Tim (2000年4月12日). “Robert Komer, 78, Figure in Vietnam, Dies”. New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=940CE5D7153EF931A25757C0A9669C8B63&sec=&spon=&partner=permalink&exprod=permalink 2008年10月11日閲覧。 
  2. ^ Chomsky, Noam. “American Power and Third World Fascism” 
外交職
先代:
パーカー・トンプソン・ハート
在トルコアメリカ合衆国大使
1968年12月3日 - 1969年5月7日
次代:
ウィリアム・ジュールズ・ハンドリー
公職
先代:
スタンリー・ロジャーズ・リーザー
アメリカ合衆国国防次官(政策担当)
1978年8月14日 - 1979年4月1日
次代:
フレッド・チャールズ・イクレ