ロドリゲス島

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ロドリゲス島 (ロドリゲスとう、Rodrigues Island) とはインド洋モーリシャス島から北東560kmに位置するモーリシャス領の孤島で、3つの島からなる。マスカリン諸島の一部。

ロドリゲス島
Rodrigues
Zil Rodrigues
Rodrigues Island Region
ロドリゲス島の旗
(旗)
ロドリゲス島の地図
公用語 英語フランス語ロドリグァン・クレオール語
中心地 ポート・マチュリン
政府
大統領
高等弁務官
行政長官
モーリシャスの属領
アヌルード・ジュグノート
ジョンソン・ルーセティ
ジャン=クロード・ピエール=ルイス
面積 109km2
人口(概算) 40,000人
通貨 モーリシャス・ルピー

概要[編集]

火山島で最高峰はリモン山 (Mont Limon、396m) である。島の周囲は広いラグーンに囲まれている。面積は109km2、人口約40,000人、ロドリゲス島の中心地かつ州都は人口約2,000人のポート・マチュリン(ポール・マチュラン、Port Mathurin)。経済は開発が遅れており、牧畜、漁業、農業が中心。最近ではエコ・ツーリズム的な観光産業に力を入れている。

歴史[編集]

ポルトガルディエゴ・ロドリゲス (Diego Rodriguez) が1597年または1528年に発見した。しかし10世紀にはアラブ人航海士が島に訪れていたと言う。ロドリゲスによる島の到着後、たびたびヨーロッパ人が島に訪れるが長期滞在者はいなかった。

フランスルイ14世アンリ4世国王の出した新教徒を認めるという勅令を撤回したためフランスの新教徒ユグノーの一団はオランダに逃げた。その頃、オランダのインド会社がインド洋に船団を送り込みロドリゲス島の植民地を狙っていた。1691年にオランダに逃げていたフランスの新教徒フランソワ・ルガとその一団はオランダ政府の庇護の下で、プロテスタントの社会を築き上げようとロドリゲス島に住み着いた。彼ら新教徒たちは2年間島に住み着くが、孤独とサイクロンなどに悩まされ、ついにはモーリシャスに逃げた。

18世紀になるとフランスがレユニオン、モーリシャスそしてロドリゲス島に植民地化を狙って入植者を送り込んだ。特にロドリゲス島は航海船の食料補給基地としての役割が大きく、ロドリゲス島は発展していった。食料とされたのは島に生息している鳥類のロドリゲスドードー、そしてゾウガメである。両方とも人間に捕獲され絶滅してしまった。

19世紀になるとイギリスが占領。1715年にフランスに占領されるが1810年に再びイギリスが占領しイギリスの領土になった。1968年にモーリシャスがイギリスから独立。現在ロドリゲス島はモーリシャスの一州で独自の自治省を設置している。

関連項目[編集]


ポート・マチュリン


外部リンク[編集]