ロドリゲス島

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ロドリゲス島

Rodrigues
Zil Rodrigues
Rodrigues Island Region
ロドリゲス島の旗
ロドリゲス島の位置
ロドリゲス島の位置
モーリシャスの旗 モーリシャス
首府 ポート・マチュリン
政府
 • 指導者 ジョンソン・ルセティ英語版(自治政府高等弁務官)
ジャック・デヴィ・ヒー・ホン・ウィー(Jacques Davis Hee Hong Wye)(自治政府行政長官)
プラビンド・ジュグノート(ロドリゲス大臣)
面積
 • 合計 109 km2
人口
(2015年)
 • 合計 41,942人
 • 密度 380人/km2
等時帯 UTC+4 (MUT)
ISO 3166コード MU-RO

ロドリゲス島 (ロドリゲスとう、Rodrigues Island) とはインド洋モーリシャス島から北東560kmに位置するモーリシャス領の孤島で、3つの島からなる。マスカリン諸島の一部。

概要[編集]

ロドリゲス島の位置

火山島で最高峰はリモン山 (Mont Limon、396m) である。 島の周囲は広いラグーンに囲まれている。 2015年の人口は4万1942人、面積は104km2、人口密度は403.3人/km2。 ロドリゲス島の中心地かつ州都はポート・マチュリンで、人口は7990人。 経済は開発が遅れており、牧畜、漁業、農業が中心。 最近ではエコ・ツーリズム的な観光産業に力を入れている。

ポート・マチュリン

気候[編集]

ケッペンの気候区分ではサバナ気候(Aw)に属する。

ロドリゲス島の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 33.9
(93)
34.0
(93.2)
33.9
(93)
33.0
(91.4)
30.9
(87.6)
30.9
(87.6)
30.4
(86.7)
31.2
(88.2)
30.7
(87.3)
30.9
(87.6)
30.9
(87.6)
33.1
(91.6)
34.0
(93.2)
平均最高気温 °C°F 29.2
(84.6)
29.3
(84.7)
29.4
(84.9)
28.7
(83.7)
27.5
(81.5)
26.0
(78.8)
25.0
(77)
24.8
(76.6)
25.4
(77.7)
26.3
(79.3)
27.4
(81.3)
28.7
(83.7)
27.3
(81.1)
平均最低気温 °C°F 23.6
(74.5)
23.8
(74.8)
23.7
(74.7)
23.0
(73.4)
21.6
(70.9)
20.1
(68.2)
19.1
(66.4)
18.8
(65.8)
19.3
(66.7)
20.1
(68.2)
21.3
(70.3)
22.8
(73)
21.4
(70.5)
最低気温記録 °C°F 18.4
(65.1)
19.8
(67.6)
19.0
(66.2)
18.4
(65.1)
18.1
(64.6)
16.5
(61.7)
14.5
(58.1)
15.2
(59.4)
15.8
(60.4)
16.5
(61.7)
17.2
(63)
19.2
(66.6)
14.5
(58.1)
降水量 mm (inch) 150.0
(5.906)
184.7
(7.272)
131.2
(5.165)
117.0
(4.606)
78.3
(3.083)
77.6
(3.055)
80.8
(3.181)
59.4
(2.339)
43.8
(1.724)
40.7
(1.602)
70.0
(2.756)
71.0
(2.795)
1,104.5
(43.484)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 12 13 13 13 12 13 15 13 9 8 7 8 136
湿度 79 81 80 79 75 74 75 74 74 74 76 77 76
平均月間日照時間 275.9 240.1 257.3 243.0 244.9 219.0 232.5 244.9 237.0 275.9 273.0 285.2 3,028.7
平均日照時間 8.9 8.5 8.3 8.1 7.9 7.3 7.5 7.9 7.9 8.9 9.1 9.2 8.9
出典:Mauritius Meteorological Services[1]

歴史[編集]

10世紀には、アラブ人航海士が島に訪れていたと言う。

1528年もしくは1597年ポルトガル人のディエゴ・ロドリゲス英語版が発見した。 ロドリゲスによる島の到着後、たびたびヨーロッパ人が島に訪れるが長期滞在者はいなかった。

1685年フランスルイ14世アンリ4世国王の出したナントの勅令(ユグノー等のプロテスタント信徒に対してカトリック信徒とほぼ同じ権利を与える勅令)を廃棄した。 同時に発されたフォンテーヌブロー勅令によって弾圧されたユグノーオランダに逃げた。 その頃、オランダのインド会社がインド洋に船団を送り込みロドリゲス島の植民地を狙っていた。

1691年、オランダに逃げていたフランスの新教徒フランソワ・ルガとその一団はオランダ政府の庇護の下で、プロテスタントの社会を築き上げようとロドリゲス島に住み着いた。 彼ら新教徒たちは2年間島に住み着くが、孤独とサイクロンなどに悩まされ、ついにはモーリシャスに逃げた。

1715年、フランスがレユニオン、モーリシャスそしてロドリゲス島に植民地化を狙って入植者を送り込み占領した。 特にロドリゲス島は航海船の食料補給基地としての役割が大きく、ロドリゲス島は発展していった。 食料とされたのは島に生息している鳥類のロドリゲスドードー、そしてゾウガメである。 両方とも人間に捕獲され絶滅してしまった。

1810年イギリスが占領した。

1883年8月、ロドリゲス島の警察本部長であるジェイムズ・ウォリスは、この月の保護領日誌に「26日から27日の午後3時にかけて、3、4時間おきに7-10回、東の方角から銃砲が轟くような音が聞こえた」といった趣旨の記録をしている。これは1883年のクラカタウの噴火による音であった。クラカタウとロドリゲス島の間には約 4776キロメートルの距離があり、この距離は、自然音が聞き取れた場所とその発生源との間の距離の最長記録である。この記録は現在も破られていない。

1968年、モーリシャスがイギリスから独立。 現在ロドリゲス島はモーリシャスの一州で独自の自治省を設置している。

脚注[編集]

  1. ^ Climate of Rodrigues & other outer islands”. Mauritius Meteorological Services. 2015年1月26日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]