レナード・フェザー
| レナード・フェザー (Leonard Feather) |
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| 基本情報 | |
| 出生名 | レナード・ジェフリー・フェザー (Leonard Geoffrey Feather) |
| 出生 | 1914年9月13日 |
| 出身地 | |
| 死没 | 1994年9月22日(80歳) |
| ジャンル | ジャズとブルース |
| 職業 | ピアニスト 作曲家 音楽評論家 |
| 担当楽器 | ピアノ |
レナード・ジェフリー・フェザー(Leonard Geoffrey Feather, 1914年9月13日 – 1994年9月22日)は、アメリカ合衆国で活躍したイギリス出身のジャズ・ピアニストで作曲家および音楽プロデューサー。しかし音楽ジャーナリストや音楽評論家としての文筆で最も名高い。作詞家・作曲家のロレイン・フェザーの父である。
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略歴 [編集]
ロンドンにおいて、厳格な国教会信者の、上位中流階級のユダヤ人の家庭に生まれる。正式な音楽教育は受けなかったが、ピアノやクラリネットを演奏するようになり、十代後半にはすでにジャズや映画についての文章を手懸けていた。21歳で初めて渡米し、イギリスやアメリカでレコード・プロデューサーとして働いた後、1939年にニューヨーク・シティに定住する。1960年にロサンジェルスに移住して、歿年まで『ロサンジェルス・タイムズ』紙の首席ジャズ評論家を務めた。80歳でカリフォルニア州のシャーマン・オークスにて永眠。
ダイナ・ワシントンが歌った《イーヴル・ギャル・ブルース(Evil Gal Blues)》《ブロウトップ・ブルース(Blowtop Blues)》など、フェザーが作った楽曲は広く録音されているが、中でもおそらく最大のヒット曲は、ブルースのミュージシャンであるルイス・ジョーダンとB・B・キングによって発表された《ハウ・ブルー・キャン・ユー・ゲット(How Blue Can You Get?)》である。フェザーがバンドリーダーを務めたアルバムは、いくつか入手可能なものもある。エラ・フィッツジェラルドの持ち歌として名高い、ベニー・ゴルソンが作曲したジャズ・スタンダードの《ウィスパー・ノット(Whisper Not)》に作詞したとも伝えられる(但し誤りとされる)。しかしながらフェザーの最大の遺功は、ジャズを主題とする文筆家としてのものであった。音楽ジャーナリストやジャズ評論家・ジャズ史研究家・講師としての活躍は、「フェザーは長い間、最も親しまれたジャズ評論家であり、最もジャズに影響力のある作家だった」[1]と評されている。
註釈 [編集]
- ^ Brian Priestley, in Carr, Fairweather, & Priestley, p.248
外部リンク [編集]
- The Leonard Feather Scrapbooks
- Leonard Feather — brief biography by Scott Yanow, for AllMusic.
- Carr, Ian, Digby Fairweather, & Brian Priestley. Jazz: The Rough Guide. London: Rough Guides. ISBN 1-85828-528-3
- Richard Cook & Brian Morton. The Penguin Guide to Jazz on CD 6th edition. ISBN 0-140-51521-6
- Leonard Feather pianist and producer appearing on Continental 78 rpm Jazz Records