ラレド (スペイン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
'Laredo'

BanderaLaredo.jpg   EscudoLaredo.jpg

Laredo.jpg
カンタブリア州
カンタブリア県
面積 15.71km²
標高 5m
人口 12,591人(2009年)
人口密度 801.46人/km²
Laredo.png

北緯43度24分52秒 西経3度24分36秒 / 北緯43.41444度 西経3.41000度 / 43.41444; -3.41000

ラレードLaredo)は、スペインカンタブリア州の自治体。

語源[編集]

ラレードの語源は不明瞭で、諸説が存在する。最も知られているのは、『砂地』または『岩がちな土地』を意味するラテン語のglaretumから派生したというものである。ラテン語でカモメを意味するlaridaから派生したという説も提案されている。一方では、バスク語で『よい草地』を意味するlarre onから派生したとする説もある。

歴史[編集]

ストラボンがその名を伝えたコリスコ人が、かつてラレードの地に暮らしていた。彼らはアソン川両岸に定住していた。

ラレードの町が初めて記されたのは968年である。それ以前の757年に、修道士フランシスコ・デ・ベルガンサが著作の中で漁村の存在を示していた。ラレードにあるサンタ・マリア・デル・プエルト・デ・サントーニャ修道院の特許状台帳によれば、ラレードの地はサントーニャ修道院のいくつかの所領とともにラレードのサン・マルティン協会へ提供されていた。

1200年、代官区の設置とともに王立都市の特権を得た。同年にアルフォンソ8世が署名した憲章によれば、ラレードの領域はアソン川河口とアグエラ川西の間の海岸にまで及んだ。憲章授与はラレードにとって重要な意味を持っていた。ラレードの船乗りたちは、1248年のセビーリャ征服に参加したことが証明されている(ラレードの紋章にも描かれている)。1295年、ラレドはマリスマス兄弟会(es、カンタブリア主要港で結成された船団)の一員となった。1339年にラレードの船団はタリファ遠征に参加、1375年にはラ・ロシェル遠征勝利に貢献し、カスティーリャが対ブルッヘ貿易を再開させることになった。

15世紀にビリャ(町)に昇格し、引き続いて船を、そして船員を商業、軍事、漁業のため提供した。これが徐々に、ラレードのユダヤ人コミュニティーを消滅させることになった。カトリック両王時代のラレドは、人口2000人が暮らす輝かしい時期にあった。カトリック両王とその子孫たちは、カスティーリャに近い港のラレドをよく利用した。女王フアナフィリップ美公のもとへ嫁ぐ際や、カルロス1世フランドルから上陸した際に立ち寄っている。

19世紀半ば、缶詰製造と塩漬け魚の製造という産業が導入された。また観光業が盛んになり、海水浴客が訪れるようになった。1960年代には『コスタ・エスメラルダの中心』と紹介された。

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]