ラグビー校

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ラグビー発祥の地と言われるラグビー校グラウンド

ラグビー校(ラグビーこう、Rugby School)は、ウォリックシャーラグビー (enの町にあるイングランドで最も有名で、最も古いパブリックスクールの1つで、11歳から18歳までの男女共学ボーディングスクールである。定員は950名。そのうち800名が寮生活をしている。ラグビーが生まれた地としても有名である。

毎年行われるサマースクールでは、日本やロシア、ヨーロッパ諸国、中国、韓国、タイなど、世界中から英語を学ぶ学生が集まる。

歴史[編集]

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エリザベス1世の御用商人として豪商に成長したローレンス・シェリフが1567年、ラグビー校を創設した。この学校は当初ラグビーとそれに隣接するブラウンスオーバー村の若者達を教える、無料の小学校であった。17世紀後半、金持ちで教養を身につけさせたいと思う親の子供たちの寄宿学校に発展していこうとしたが、上手くいかず近隣の子供たちの学校のままに留まった。1823年この学校でウィリアム・ウェッブ・エリスという少年が「フットボールのルールを勘違いして、」ゲームの最中にボールを両手で抱え込んでエンドラインの向こう側まで持ち込んで、それで1点を挙げようとして、そこで新しくラグビーというスポーツがこの学校から誕生した。 ただし、ラグビーの起源とされているこのエピソードは伝説の域を出ておらず、エリス少年が手を使った以前にも似たようなプレーが行われていたという説もある。

最も有名な校長は、1828年から1842年まで校長を務めたトーマス・アーノルドである。彼はラグビー校をイギリスの学校制度にとって模範となる学校に変えたことで知られる。 トーマス・アーノルドと彼の教育原則は、トマス・ヒューズの1857年の『トム・ブラウンの学校生活』によって、「キリスト教的紳士」の理想(もちろん、スポーッとフェアプレーの精神によって涵養されるものであることは言うまでもない)と共に世界的に有名になった。 学校は上流階級の子供たちの学校としてその存在意義を増してきたが、それはローレンス・シェリフの財団の目指していたものとは違う。そこで、1878年ラグビーの町の子供達のために、「ローレンス・ウェブ文法学校」が誕生した。この学校はラグビー校と組織上連結したもので、ラグビー校からも経済的に支援を受けている。1975年から女子もラグビー校に入学を認められるようになった。

ラグビー校にゆかりのある人々[編集]

校長を務めた人たち[編集]

主な出身者[編集]

外部リンク[編集]