モンティニー=レ=メス

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Metz
Blason ville fr Montigny-lès-Metz (Moselle).svg
Montigny-Lès-Metz.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ロレーヌ地域圏
(département) モゼル県
(arrondissement) メス=カンパーニュ郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 57480
郵便番号 57950
市長任期 ジャン=リュック・ボール
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Metz Métropole
人口動態
人口 22,843人
2006年
人口密度 3409人/km²
住民の呼称 Montignien(ne)s
地理
座標 北緯49度06分02秒 東経6度09分14秒 / 北緯49.1005555556度 東経6.15388888889度 / 49.1005555556; 6.15388888889座標: 北緯49度06分02秒 東経6度09分14秒 / 北緯49.1005555556度 東経6.15388888889度 / 49.1005555556; 6.15388888889
標高 最低:165 m
最高:190m
面積 6.7km²
Metzの位置(フランス内)
Metz
Metz
公式サイト www.montigny-les-metz.fr
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モンティニー=レ=メスMontigny-lès-Metz)は、フランスロレーヌ地域圏モゼル県の都市。

地理[編集]

モゼル川とその支流セイユ川(fr)に抱かれたモンティニー=レ=メスは、メスの西にあり、北部をジュイ=オー=ザルシュ運河が横切る。モンティニー=レ=メスはコミューン全体がほぼ都市化されている。人口密度もメスより高い。

由来[編集]

モンティニーとは、2つのラテン語から成立したと考えられる。Monsとは山を意味する。ignisとは火を意味する。したがって、ガリア人は『火の山』と呼んでいた[1]

歴史[編集]

モンティニー=レ=メスの文明化を示す最古の痕跡は旧石器時代にさかのぼる。1万年前、東から来た流浪の採集民族が暮らしていた。1882年、紀元前200,000年頃のものとされる磨かれた石器と宝石がモゼル川の川床から見つかった。

モンティニー=レ=メスは長くメス地方(fr)に依存し、フランス革命までメス司教の支配下にあった。モンティニーを管理していたのはヴァリズ領主であった。テンプル騎士団もモンティニーに領地を持っていた。領主権は15世紀にメスのウー家が、18世紀にはサン=タントワーヌ=ド=パドゥ修道院が持っていた。

1552年、メスがフランス王国に併合され、モンティニーはトロワ=エヴェシュ(fr神聖ローマ帝国支配下にあったメス、トゥールヴェルダンの各司教領の総称)の一部となった。

19世紀半ば、コミューンは成長を始め、農家の占めたモンティニーは大都市メスの郊外となった。モゼル県の他のコミューンと同様に、モンティニーは1871年から1918年までドイツ帝国支配下にあった。19世紀のモンティニーは、重要な軍の駐屯地だった。プロテスタント教会やサン=ジョゼフ教会のような多くの建物はヴィルヘルム1世時代に建てられている。1915年から1918年まで、ドイツ語でモンテニンゲン(Monteningen)と呼ばれた。1940年から1944年まで、ナチス・ドイツに占領された。ドイツ占領時代、モンティニーはモンテニヒ(Montenich)改名されていた。メスの戦いの後の1944年11月19日、ジョージ・パットン指揮下の第5機甲師団によってモンティニーは解放された[2]

出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Mont Saint-Quentin
  2. ^ 1944-1945:Les années liberté, Le républicain Lorrain, 1994 (p.14:Recensement préfectoral sur les dates de libération)