モハマッド・ファイズ

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モハマッド・ファイズ1940年 - 1980年9月11日)は、アフガニスタンの政治家、外交官、軍人。内務相、国境相、民族問題相等を歴任。

経歴[編集]

パキスタンワジリスタン出身。パシュトゥーン人、ワジル部族、マスード氏族。

1961年、カーブルのハシカリ・ハーン貴族学校、1964年、カーブル陸軍士官学校歩兵学部を卒業。アフガニスタン人民民主党、パルチャム派。

  • 1964年 – 中尉、歩兵部隊に勤務
  • 1966年 – 上級中尉
  • 1969年~1970年 – 大尉、ソ連空挺軍の将校訓練特種課程研修
  • 1973年 – ムハンマド・ダーウードのクーデターに参加し、少佐に昇進
  • 1973年~1975年 – 内務相
  • 1974年 – 中佐
  • 1975年~1977年 – 国境相
  • 1977年~1978年 – 駐インドネシア大使
  • 1978年7月~1980年 – 駐イラク大使
  • 1980年1月11日 – 民族問題相。アフガニスタン人民民主党中央委員会委員、革命軍事会議議員

パクティヤー州、ラケ・チガ村において、ムジャーヒディーンにより殺害。