メルセデス・ソーサ
| メルセデス・ソーサ Mercedes Sosa |
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メルセデス・ソーサ(1973年)
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| 基本情報 | |
| 出生名 | Haydée Mercedes Sosa |
| 出生 | 1935年7月9日 サン・ミゲル・デ・トゥクマン |
| 出身地 | |
| 死没 | 2009年10月4日(満74歳没) |
| ジャンル | フォルクローレ |
| 職業 | 歌手 |
| 活動期間 | 1960年代 - 2009年 |
メルセデス・ソーサ(Haydée Mercedes Sosa, 1935年7月9日 - 2009年10月4日)はアルゼンチン・フォルクローレの女性歌手である。
[編集] 生涯
北西部のトゥクマンで貧しい労働者の家庭に生まれる。15歳の時にラジオ局のコンテストに優勝して二ヶ月の出演契約を結ぶが、ディレクターがフォルクローレをバカにしたことに怒って喧嘩して帰ってきてしまった、というエピソードが知られている。その後、首都ブエノスアイレスに出て様々な職を転々としたのち、1960年代半ば、30歳頃に歌手として世に出る。
1973年、作詞のフェリックス・ルナ、作曲のアリエル・ラミレスと組んで、アルゼンチン史上の8人の女性(7人のアルゼンチン人と1人のボリビア人)を歌ったアルバム「アルヘンティーナの女(Mujeres argentinas)」を発表、フォルクローレ史上に不朽の名を残す。しかしアルゼンチンが軍事独裁政権下にあった1970年代後半には、フランス、次いでスペインへの亡命を余儀なくされた。歌による社会変革を目指した新しい歌運動の第一人者と目された時期もある。
1982年、アルゼンチンが民政に復帰するのと前後して彼女も帰国するが、それ以降はアルゼンチンのフォルクローレという枠を越えて、キューバブラジルなどラテンアメリカの広い範囲の曲を取り上げるとともに、アルゼンチンの曲でも、ビクトル・エレディア、ペテコ・カラバハル、レオン・ヒエコなど、(1980年代前半当時としては)若手音楽家の作品を数多く歌っている。歌うことが専門であり、ギターの演奏、作詞・作曲などは知られている限りはまったく行っていない。
もともとどっしりした体格であるが、晩年は見るからに体重の増加が著しく、そのことに起因して健康状態はあまり良くないと伝えられた。1975年と1977年の2度来日公演を行っている。2003年9月、26年ぶりの来日公演(日本以外にもアジア数カ国でも)が予定されていたが、直前になってその健康状態から来日公演が中止されてしまった。
2009年10月4日、多臓器不全のためブエノスアイレスで死去。74歳没[1]。
[編集] 主な作品
- アルフォンシーナと海 - Alfonsina y el mar(アルヘンティーナの女-Mujeres argentinas収録)
- ファナ・アスルドゥイ - Juan Azulduy(アルヘンティーナの女収録)
- 人生よありがとう - Gracias a la vida(ビオレータ・パラ作詞・作曲)
- バルデラーマ - Balderrama
- この手に大地を - Cuando tenga la tierra
- エストレージャ・アスル - Estrella azul(ペテコ・カラバハル作詞・作曲)
- 歳月 - Años(パブロ・ミラネス作詞・作曲)
- 開かれた血管 - Venas abiertas
- すべては変わる - Todo cambia
[編集] 出典
- ^ “アルゼンチンの女性歌手メルセデス・ソーサさん死去”. 朝日新聞. (2009年10月5日) 2009年10月6日閲覧。