メルキゼデク

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メルキゼデクヘブライ語: מלכי-צדק‎)とは旧約聖書の登場人物で、『創世記』(14:18)にて「いと高き神の祭司」、並びに「サレムの王」として紹介されている。『詩篇』(76:3)の記述などを根拠に、「サレム」は伝統的にエルサレムと同一視されている。

彼の名前はウガリットの文書に記されていたカナンの神ツェデクに由来しているのだが、この「ツェデク」は王の称号、あるいは異名として代々エルサレムの王に引き継がれていたと見られ、実際、『ヨシュア記』(10:1)にはアドニ・ツェデク (אדני-צדק) がエルサレムの王として登場している。

メルキゼデクとアブラハム[編集]

『アブラハムとメルキゼデクの会見』 ディルク・ボウツ 1464-1467

『創世記』によれば、アブラハムエラムの王と盟友による連合軍との戦いに勝利し、ソドムの捕虜と財産、さらには甥のロトを救出して帰還した際、彼を祝福するためにメルキゼデクはパンとぶどう酒を持って現れる。

「天地の造り主、いと高き神に
アブラハムは祝福されますように。
敵をあなたの手に渡された
いと高き神がたたえられますように。」

『創世記』 14:19~14:20、新共同訳

この記述は、アブラハムの子孫にはカナンの相続権が確約されているとする伝統的な教義の下地になっている。だが、この経緯にまつわる一連の描写から読み取れることは、アブラハムとメルキゼデクが互いに敬意をもって接していたこと、両者の宗教的な信条(至高の神に対する信仰)が一致していたことくらいであろう。それどころか、アブラハムの神とメルキゼデクの神それぞれの様式の微妙な相違を双方ともが認識していたとも受け取れるのである。

いと高き神[編集]

メルキゼデクは「いと高き神」 (אל עליון) に仕えていたとされ、この神は『創世記』の記述ではアブラハムの神の異名であったという印象を受ける。ところが実際のところ、この神はカナンの宗教において祀られていた二柱の神、エル (אל) とエルヨン (עליון) のことを指しているのである。二柱の神の名前をわざわざ組み合わせてあたかも一柱の神ごとく装わせたのは、おそらく、周辺民族の都市が多神教崇拝であったのに対して、エルサレムにだけは一神教崇拝の伝統があったと強調したかったからだと思われる。

『創世記』外での解釈[編集]

メルキゼデクの名前は『創世記』だけでなく、『詩篇』においてもわずかながら触れられている。

主は誓い、思い返されることはない。
「わたしの言葉に従って
あなたはとこしえの祭司
メルキゼデク(わたしの正しい王)。」

『詩篇』 110:4、新共同訳

注釈家の多くはこの章句を、メルキゼデクの名前が隠喩として用いられることで、イスラエルの王による磐石な王権が象徴されていると見ている。また、この詩をユダの王ヨシャファトと関連付ける者もいる。

ハザルはメルキゼデクとセムノアの息子)を同一人物と見なし、セムからアブラハムに祭司職が譲られたと考えている(『ネダリーム』 32.2 『ベレシート・ラッバー』 50.6)。また、ミドラーシュによれば、エルサレムという都市名の決定においてもメルキゼデクは重要な役割を果たしているという。エルサレムには後に「神殿の丘」と呼ばれる山があったのだが、その山はイサクの燔祭が行われた場所とされている。アブラハムはその山を畏怖心を込めて「イェラエ」(畏怖)と名付けている。一方のメルキゼデクは「サレム」(平和)と呼んでおり、この両者が結び付いて「エルサレム」という名称が完成したとされている。

アレクサンドリアフィロンは、メルキゼデクの姿の中にロゴスの顕現を見ている。初期のキリスト教徒もその観点を継承し、ロゴスたるメルキゼデクを、父も母もいなければ初めも終わりもない正義の王、平和の王、そして永遠の祭司として理解していた(『ヘブライ人への手紙』)。

関連項目[編集]