メキネンサ

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'Mequinenza'

Bandera de Mequinensa.svg   Escut de Mequinensa.svg

Mequinenza.jpg
アラゴン州
サラゴサ県
面積 307.45km²
標高 75m
人口 2 492人(2009年)
人口密度 8.11人/km²
住民の呼称 Mequinenzano, -na
Localización de Bajo Cinca (Aragón).svg
バホ・シンカ郡内での位置
北緯41度22分0秒 西経0度18分0秒 / 北緯41.36667度 西経0.30000度 / 41.36667; -0.30000

メキネンサスペイン語:Mequinenzaカタルーニャ語:Mequinensa)は、スペインアラゴン州サラゴサ県の自治体。アラゴン州内におけるカタルーニャ語地域、ラ・フランハ地方(en)の北東部にあたる。

概要[編集]

エブロ川、セグラ川(en)、シンカ川(es)の3河川の合流地点にある。時として洪水に見舞われることもあったが、川の船上輸送が盛んであった。

公用語はスペイン語となっているが、住民は話し言葉としてカタルーニャ語を話している。

石炭採掘、織物産業が盛んである。古くから行われてきた養豚、養羊は減少傾向にある。アーモンド、オリーブ、穀物生産が行われ、灌漑設備を利用してサクランボやモモの果樹栽培が行われる。

歴史[編集]

メキネンサ城

メキネンサには先史時代の定住地Los Castelletsがあった。

ローマ時代、ローマ人がオクトゲサ(Octogesa)を建設した。ローマ衰退後は西ゴート族に占領され、その後はベルベル人に征服された。アルアンダルス時代は、ミクナサ・アル=ザイトゥン(Miknasa al-Zaytun)またはミクナサ・デ・ロス・オリボス(Miknasa de los Olivos)の名で知られた。714年から719年の間に町が建設されたと信じられている。この時代にメキネンサに城が建てられた。年代記作家アル=イドリシは、『小さいが非常に堅固、そしてアルアンダルス国境において強力に見える。』と記している。

レコンキスタ時代に初めてメキネンサ攻略が試みられたのは1133年だった。アラゴンアルフォンソ1世は征服に成功するが、同じ年のうちにムラービト朝が奪還した。最終的にバルセロナ伯ラモン・ベレンゲー4世が征服を完了したのは1149年10月、リェイダフラガ攻略と同日であった。

半世紀後のメキネンサは王領の代官区となり、アイトナおよびセロスとともにモントカダ家の荘園となっていた。モントカダ家がメキネンサ城を建てた。レコンキスタ時代のこの3つのビリャ(町)の住民はイスラム教徒が大半を占めていた。その後数年間、メキネンサとフラガの間で境界をめぐる争いが続いた。 1348年には黒死病流行で多くの住民が死んだ。15世紀から16世紀は、幾度かの反乱のために悲劇と飢餓が起きた。

ナポレオン戦争期の1810年、将軍スーシェはかつてバルセロナ伯が1149年にしたようにメキネンサ、フラガ、リェイダを占領した。ナポレオンが勝利した戦いの一つとして、メキネンサの名がパリのエトワール凱旋門に刻まれている。メキネンサはカルリスタ戦争、そしてスペイン内戦におけるエブロの戦いの舞台となった。エブロの戦いではメキネンサの橋が破壊され、1950年代まで復興がなされなかった。1957年から1964年にかけ、水力発電用に巨大なダムが建設された。

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外部リンク[編集]