マルクス・ペトレイウス

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マルクス・ペトレイウスラテン語: Marcus Petreius, 紀元前110年頃 - 紀元前46年4月)は、共和政ローマの軍人・政治家。

生涯[編集]

ペトレイウスはノビレス(貴族)階級の出身であり、当初よりレガトゥス(総督代理)等で軍務に就いていたとされる。紀元前64年プラエトル(法務官)に就任した。

紀元前63年執政官ガイウス・アントニウス・ヒュブリダen)の指揮下でルキウス・セルギウス・カティリナ率いる一派がイタリア北部で起こした反乱の鎮圧に従軍し、カティリナ軍をピストリアの戦いで破り、カティリナを討ち取って内戦の芽を摘み取る活躍を見せた。紀元前55年からヒスパニア総督となったグナエウス・ポンペイウスの代行としてルキウス・アフラニウスen)と共にヒスパニアの統治に当たった。

紀元前49年からのローマ内戦では元老院派に組して、ヒスパニアへ侵攻したガイウス・ユリウス・カエサル軍と戦ったが敗北、アフラニウスやマルクス・テレンティウス・ウァロらと共にギリシアへと逃れた(イレルダの戦い)。紀元前48年8月のファルサルスの戦いにも参戦するが敗北、北アフリカへと逃れた。紀元前46年4月のタプススの戦いでは騎兵を率いて奮戦したが元老院派は完敗。再度逃亡を試みたが叶わず、最後はヌミディアユバ1世と刺し違えて命を絶ったと伝わっている。