マクマーティン保育園裁判

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マクマーティン保育園裁判(マクマーティンほいくえんさいばん、The McMartin Preschool Trial)、通称マクマーティン事件(McMartin case)は、アメリカ合衆国における子供の性的虐待裁判である。6年間続いた刑事裁判により、証拠は存在しないことが明らかになり、全ての容疑について1990年に無罪となった。最も長く、最も高価(約1500万ドル)な刑事裁判であった。この事件に関する報道は、全米の保育園関係者に対する魔女狩りを引き起こし、保育園に対するモラル・パニック(「保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖」、Day-care sex-abuse hysteria)が後続した。史上最悪の児童虐待事件と言われた本件は、史上最悪の冤罪事件となった。

経緯[編集]

1983年カリフォルニア州で、警察に自分の息子が性的虐待されたと届け出た女性、ジュディ・ジョンソンが登場した。ジョンソンの主張は、息子が便通に苦しみ、肛門が腫れているという事実に基づいていた。彼女は保育園の保育士で園長の孫であるレイモンド・バッキーを告発した。ジョンソンの息子は保育園の先生が彼を虐待したという母親の主張を否定し、父親によるものだと主張したが、父親は起訴されなかった。1984年の春までに60人を超す幼児の虐待が行われたと報道された。

警察は同校の親に質問状を送り、虐待の有無の調査をした。検事は国際児童研究所(CII)のキー・マクファーレンに調査を依頼。結果、1984年の春までに360人以上の子どもが虐待されたとされたが、物的証拠は何一つ発見されなかった。最初に告発した母親は同じ年に妄想型精神分裂病とアルコール依存症と診断された。批判家は質問者が子どもに反復的に誘導尋問を行い、架空の記憶を植え付けたと主張した。質問の記録ビデオでも人形を使い、誘導尋問を行っている様子が写されている。イギリスの精神医学の教授、マイケル・マローニーは明確な誘導尋問があったとして批判している。

この事件はロサンゼルスのABC系列テレビ局KABC-TVのリポーター、ウェイン・サッツによりセンセーショナルに報道され、アメリカ全土でパニックになった。当時アメリカでは多くの母親が子供を保育園や託児所に預けて働くようになっており、働く母親に対して批判的な風潮や、母親側にも子供を他人に預けることへの罪悪感があることが背景にあった。さらに事件がきっかけで起きたパニックで次々と同種の「事件」が報じられ保育園が閉鎖に追い込まれた。

マクマーティン事件で調査された子供のうちには、奇怪でしばしば物理法則を無視した被害があったと告発をした者もいた。何人かは、性的虐待を受けたことに加えて、「魔女が飛ぶのを見た」と主張し、熱気球で旅行したこと、秘密の地下トンネル(調査者によって探索されたが、結局発見されていない)を通ったことなどを語った。さらに、「窓のない飛行機に乗った」、「教会で動物を殺し、血を飲まされた」、「スーパー・マーケットで体を触られ、写真を撮られた」などという主張もあったが、その証拠も痕跡も一切発見されなかった。「墓地で墓を掘り返した」と証言した児童が反対尋問で、墓地へ一緒に行った人物について聞かれ、検事とチャック・ノリスの写真を示した。これにより少年の証言は虚偽記憶として無効になった。

少年たちの証言は荒唐無稽であり、裁判で有効になった物は一つもなかった。「ペニスの中にペニスを入れられた」と証言した少年もいた。しかしながら、様々なメディアが、託児所における子どもへの性的虐待は全国的でありしかも荒々しいと主張してパニックを煽った。

裁判[編集]

1984年3月22日、レイモンド・バッキー、母親のペギー・バッキー、祖母であり園長であるヴァージニア・マクマーティン、姉のペギー・アン・バッキー、教師のメアリー・アン・ジャクソン、ベティ・レイダー、福祉事業家のバベット・スピットラーが児童虐待に関する208件の訴因で告発された。予審の20ヶ月でその起訴は、悪魔的儀式虐待の理論を提示した。

1986年1月、ヴァージニア・マクマーティン、ペギー・アン・バッキー、メアリー・アン・ジャクソン、ベティ・レイダー、バベット・スピットラーは証拠薄弱のため、告訴を取り下げられた。

1986年12月、最初に告発した母親がアルコール摂取過多で死亡する。

1987年7月、これらの事件は公判にかけられた。それにより、証人のキー・マクファーレンはカリフォルニア州のほか、あらゆる州のセラピストやソーシャルワークの資格も持たないこと、精神医学に関する知識もないことが明らかとなった。彼女は「psychiatric(精神医学)」という単語の意味すら理解できなかった。弁護側の、「キーが誘導尋問を行なって強引に証拠を作った」という主張が認められ、ビデオや彼女の証言は無効となった。

レイ・バッキーと拘置所で同室だったジョージ・フリーマンは、「レイが虐待の話をした」と証言した。しかしフリーマンには検察からの起訴を優遇するという取引があった。フリーマンは偽証を認め、証言は無効となった。

サッツに批判的なマスコミは事件はでっち上げだという報道も行い、やがて市民も無罪を信じ始めた。サッツはキーと関係があり、メディアはサッツとキーを批判した。

1989年、ペギー・アン・バッキーは教師の資格を取り戻す。

そして1990年1月、6年の証言審理及び9週間の陪審による議論の後に、レイモンド、ペギーの両名はすべての点で無罪とされた。レイは65件のうち、2人の陪審員の合意が形成されず、13件評決不一致があった。マスコミはこの2人を批判した。検察はこの13件のうち、6件のやり直しを要求。

1990年7月、6件の審理はまたも陪審員の意見が一致せず評決不成立となった。検察は有罪をあきらめ、起訴をすべて取り下げた。

1992年11月24日、パニック報道の張本人であったサッツは心臓発作で死亡した。

映像化[編集]

これらの事件はHBOによってテレビ映画化された。映画的なドラマを織り交ぜつつも、ほぼ実際の事件通りに物語は進行する。一部のメディアやビデオ映像は実際のものを使用している。

  • 「誘導尋問」または「歪んだ法廷/マクマティーン事件の真実」または「誘導尋問/汚れなき証言者たち」。現行のDVD、VHSは「誘導尋問」となっている。

関連項目[編集]