マクシム・トピリン

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マクシム・トピリン
Максим Анатольевич Топилин
マクシム・トピリン(2012年5月23日撮影)
生年月日 (1967-04-19) 1967年4月19日(57歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
出身校 モスクワ国民経済大学(現在のプレハーノフ記念ロシア経済アカデミー
前職 労働・保健・社会福祉専門家、コンサルタント、連邦労働雇用庁長官、ロシア連邦保健・社会開発省次官
現職 ロシア連邦労働・社会保護大臣
称号 経済学博士候補勇敢勲章

内閣 ドミートリー・メドヴェージェフ内閣
在任期間 2012年5月21日 -

内閣 第1次ミハイル・フラトコフ内閣
第2次ミハイル・フラトコフ内閣
ヴィクトル・ズブコフ内閣
第2次ウラジーミル・プーチン内閣
在任期間 2004年3月29日 - 2008年7月31日
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マクシム・アナトリエヴィチ・トピリンロシア語: Макси́м Анато́льевич Топи́лин、ラテン文字転写の例:Maksím Anatól'yevich Topílin1967年4月19日 - )は、ロシアエコノミスト官僚政治家経済学博士候補2004年から2008年まで、連邦労働雇用庁長官。2012年5月21日からドミートリー・メドヴェージェフ内閣ロシア労働・社会保護大臣

経歴・人物[編集]

1988年モスクワ国民経済大学(現在のプレハーノフ記念ロシア経済アカデミー)を卒業する。 1988年労働研究所で研究助手として勤務。1994年から2001年までロシア連邦政府で労働・保健(厚生)社会福祉分野の専門家、コンサルタントとして勤務した。1996年安全衛生管理部門コンサルタント。1997年社会開発局コンサルタントを経て、1998年社会開発局社会政策労働部長。 2001年ロシア連邦労働社会開発省次官2004年から2008年まで、連邦労働雇用庁(ロストルード)長官。また、この間2005年にはロシア連邦首席国家労働監督官(国家労働監督長官)も務めた。2008年7月31日ロシア保健・社会開発省次官。2012年5月21日、ドミートリー・メドヴェージェフ内閣で新設されたロシア連邦労働・社会保護大臣2012年9月19日ウラジーミル・プーチン大統領は、大統領令で命じた施策が次期予算案に反映されていないと激怒し、トピリン、オレグ・ゴヴォルン地域開発相、ドミートリー・リヴァーノフ文相の三閣僚を懲戒処分にした[1][2]

私生活では、夫人との間に二女がいる。

ヴェドモスチ紙の報道によると、ブルガリアに二軒の家屋を含む134平方メートルの不動産を所有している[3]

脚注[編集]

  1. ^ Указ Президента Российской Федерации от 19 сентября 2012 года № 1304 «Об объявлении дисциплинарного взыскания Министру образования и науки Российской Федерации, Министру регионального развития Российской Федерации, Министру труда и социальной защиты Российской Федерации»
  2. ^ https://web.archive.org/web/20121020090923/http://sankei.jp.msn.com/world/news/121017/erp12101719180002-n1.htm
  3. ^ Елена Мязина, Ирина Мокроусова (20.08.2012). “В каких странах у российских госслужащих есть недвижимость”. Ведомости. 2012年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月25日閲覧。

外部リンク[編集]

先代
初代
ロシア労働・社会保護大臣
2012年 -
次代
現職
先代
初代
連邦労働雇用庁長官
2004年 - 2008年
次代
ユーリー・ゲルツィ