ポメラニア文化

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初期鉄器時代のヨーロッパ:
オリーブ色はポメラニア文化
濃い緑は北欧青銅器時代の諸文化
エンジ色はヤストルフ文化
黄色はハルプシュテット・ニーンブルク文化
オレンジはケルト系の文化群
黄緑は家形骨壺文化英語版

ポメラニア文化英語Pomeranian culture)、ポメラニア顔形骨壺文化英語Pomeranian Face Urn culture)、またはポメレリア顔形骨壺文化英語Pomerelian Face Urn culture[1]ポーランドのポメラニア地方における鉄器時代文化。

紀元前650年ごろにルサチア文化から発展[2]し、南方へ拡大した。ルサチア文化はプロト・スラヴ系のトシュチニェツ文化[3]を基層とするが、北欧の青銅器時代(en:Nordic Bronze Age)ともしばしば関連づけられる[4]

紀元前200年から紀元前150年にかけて、東ポメラニア地方ではオクシヴィエ文化に発展し、ヴィスワ川オドラ川を遡った一帯ではプシェヴォルスク文化に発展した[5]

特徴[編集]

ポメラニア文化に特徴的な、人の顔のついた骨壺

ポメラニア文化に最も特徴的なのは、人の顔のついた骨壺を用いていることである。骨壺は石棺に納められている。顔形のこの骨壺はどれも東方のステップ地帯の諸部族のものと似た帽子を形どった蓋が載せてあり、小さな青銅製のイヤリングがついていることも多い。愛嬌あるこれらの顔は非常に写実的なものもあり、どの顔も他の顔とは異なっている。骨壺には顔の他に狩りの場面、チャリオット(二輪戦車)競争、騎馬の人物などが彫刻されている。金属製の副葬品としては、トゥウコム(Tłukom)で発見されたものと同型のブローチや、たくさんの青銅製リングがついたネックレスなどがある。

経済構造はルサチア文化のものと似ている。ライ麦が組織的に栽培され始めているが、まだ主要穀物ではない。ヒルフォート断崖の上に作った要塞)はルサチア文化の西部地方と比べると少ない。南方からの輸入品はあまりない。

関連文化[編集]

同時代の関連文化としては、ドイツ中部の家形骨壺文化英語版がある。

拡大[編集]

前8世紀(後期青銅器時代)のヨーロッパ東部。
赤色がルサチア文化LUSATIAN
茶色がミログラード文化英語版MILOGRAD
紺色がチェルノレス文化CHERNOLES
うぐいす色がスルブナ文化英語版PROTO-SCYTHIAN

後期青銅器時代ルサチア文化ミログラード文化英語版が広がっていた地域へ、鉄器時代になるとチェルノレス文化が影響を与えてポメラニア文化が形成され、後期鉄器時代になるとポメラニア文化は南方へ拡大し、浸透していった。ポーランドマゾフシェ地方では、文化的融合により、鐘の形状をした墓地を持った文化が発展した。

脚注[編集]

  1. ^ Anthropological Literature, Tozzer Library, The Pomerelian Face Urn culture: a report on the status of the research, Acta praehistorica et archaeologica Berlin, no. 11/12, 1980/81. p. 219-304., Redgrave Pub. Co., 1982
  2. ^ Jan M Piskorski, Pommern im Wandel der Zeit, 1999, p.23, ISBN 8390618486
  3. ^ "Trzciniec culture", J. P. Mallory and D. Q. Adams, Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn Publishers, London and Chicago, 1997.
  4. ^ Dabrowski (1989), p. 73 .
  5. ^ J. B. Rives, Tacitus' Germania, Oxford University Press, 1999, p.8, ISBN 0199240000

参考文献[編集]

関連項目[編集]