オクシヴィエ文化

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オクシヴィエ文化(ポーランド北部の2つの茶色)
ヤストルフ文化エンジ色
ポメラニア文化オリーブ色、後にチェルノレス文化の影響を受けてプシェヴォルスク文化へと変貌)
東バルト文化(東に離れた場所にあるサーモンピンク
チェルノレス文化(ブルー)
(オクシヴィエ文化に東で隣接する紫色はヤトヴィンガ人と推測される西バルト文化)

オクシヴィエ文化(英語表記:Oksywie culture)は紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけてポメラニア地方東部およびヴィスワ川下流域に広がっていた古代文化。ゴート人の起源と考えられる。

「オクシヴィエ文化」の呼称は、ポーランドグディニア市近郊のオクシヴィエ村から採られた。この村ではこの文化の遺跡が最初に発掘調査された。

ポーランドのポメラニア地方における考古学調査により、オクシヴィエ文化は、ポーランドに広がっていたポメラニア文化のうちのこのポメラニア地方一帯の部分が紀元前2世紀にポメラニア文化から分離していったものと考えられている。この時期はドイツ北部から多くの人々がこのポメラニア地方へ移住してきた時期と一致する。以前に通説とされていた当時のスカンジナヴィアの文化からの大量移住などではなく、西方のドイツ北部のヤストルフ文化からの移住であったようである。さらに紀元後1世紀になると、東方から新しい人々がこのバルト海沿岸地方へと進出してきたと推測される。彼らは東バルト文化の担い手か、あるいはプシェヴォルスク文化の東部群の担い手のようである。このようにオクシヴィエ文化は多様な出自をもつ諸部族の集まりであった。

紀元後1世紀にかけて、オクシヴィエ文化はゴート人の文化として広く知られるヴィェルバルク文化へと次第に変貌していく。のちにヴィエルバルク文化はプシェヴォルスク文化の東部群との関わりを深め、プシェヴォルスク文化の東部群の人々はヴィエルバルク文化に吸収されたと考えられる。また、スカンジナヴィアの諸部族とも交易などを通じて深いかかわりがあったと考えられる。しかし、部族としてのゴート人がもともとスカンジナヴィアの部族であったという過去の通説に反して、スカンジナヴィアからの大量移住はなかったことが考古学調査によって判明しており、現在ではゴート族のスカンジナヴィア起源説(いわゆるゴート起源説)は中世初期の俗説、ないし政治的意図を持った捏造であると考えられている[1]

参照[編集]

参考文献[編集]

関連記事[編集]