ハインリッヒ・キューン
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ハインリッヒ・キューン(Carl Christian Heinrich Kühn, 1866年 - 1944年)は、ドイツ生まれオーストリア人のピクトリアリスムの写真家。「Heinrich Kuehn」と綴られることもある。
人物 [編集]
当初薬学を志すも、断念して写真に進む。
ウィーン分離派にも含められ(具体的には、「Wiener Kamera Klub(ウィーン・カメラ・クラブ)」に参加したり、ヒューゴー・ヘンネスベルク(Hugo Henneberg、1863年-1918年)とハンス・ワツェック(Hans Watzek、1848年-1903年)との3人で「Das Kleeblatt」(クレーブラット)または「Vienna Trifolium(または、単に(The) Trifolium)」(ウィーン・トリフォリウム)というグループを結成した)、のちリンクト・リングとフォト・セセッションにも参加した。1900年代初頭にスティーグリッツとの交流が始まり、その後長らく続くことになる。「カメラ・ワーク」にも多くの作品が掲載されている。
1914年から1915年にかけては、インスブルックで写真学校を開校した。
その作品は、ピクトリアリスムに顕著なソフト・フォーカスや「ぼかし」を多用した作品が多いが、単にそれだけにとどまらずストレートフォトグラフィへと向かう過渡的な性格がうかがわれる。
参考文献 [編集]
- ハインリッヒ・キューン ウィーン分離派からフォト・セセッションへ/蔦谷典子(島根県立美術館学芸員)(日仏美術学会報 第22号・2002年)
- ハインリッヒ・キューン――ウィーン分離派からフォト・セセッションへ(蔦谷典子)(『美術フォーラム21』第六号・2002年)
- (注)上記2件の文献は、掲載誌が異なるだけで、同じ内容か?