ノート:徳仁/過去ログ1

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敬称について[編集]

最近は「さま」と敬称される。----以上の署名のないコメントは、211.3.65.248会話/Whois)さんが 2004年3月28日 (日) 00:07 (UTC) に投稿したものです(利用者:野良人による付記)。

身位について[編集]

「皇族としての地位は親王。」との表記ですが、少し気になります。 「地位」という言葉ですが、ニュアンスが違うのではと思います。 皇室典範では、男の皇子を親王とするというようなことが書かれているのですが、 これは女の子供を娘と呼ぶくらいの意味合いで、地位ではないのではと思います。

冒頭を徳仁親王とする程度か、 呼び名のところで皇太子徳仁親王と記述する程度でよいと思うのですが。

皇室典範↓ http://www.houko.com/00/01/S22/003.HTM okamich 2004年7月13日 (火) 15:15 (UTC)

親王」は単に性別のみを表しているのではなく、天皇の子・孫と兄弟姉妹を「親王」・「内親王」とし、曾孫以下を「」・「女王」とする(「皇室典範」第6条、第7条)ように立場(天皇との距離)によって区別するための言葉です。親王は、内親王、王、女王と比べて“皇族の身分の離脱”も難しくなっています(同第11条)。ただ、「地位」という単語自体は、地位、位置、立場、身分、格、ランク、クラスなど、思い浮かんだ候補のうちの一つに過ぎないので特に拘泥りません。
「冒頭を徳仁親王とする」ことについては、「皇太子同妃両殿下のご略歴[宮内庁]にも「お名前 徳仁(なるひと)」とあるように、「親王」という言葉が名前に含まれるものではないことから反対です。「皇太子徳仁親王と呼ばれる。」というような記述ならば反対しません。Sh 2004年7月13日 (火) 23:58 (UTC)

Sh様。 変更してみました。呼び名は今一番下にあり、上に持ってくるか悩みましたがとりあえず場所はそのままにしておきました。三国志の記述などでは、最初の段落で呼び名についてはしっかり記述しているようです。 okamich 2004年7月14日 (水) 04:04 (UTC)

suifuと申します。タイトルでは、徳仁親王とする方が相応しいかと思います。皇太子の身位をつけることは必要ないかと思いますが、私人としてのお名前であればタイトルのレベルで掲載するものではなく、文中にあれば足りることではないかと思います。掲載するタイトル名としては親王という身位も含めた皇族名であることの方がしっくり来るのですが。特に古代の皇族との関連で見ても一貫している書き方の方がいいかなと思います。

お名前を徳仁とのみ記すあたりは姓を持たず、身位と諱(●仁、信長、家康などの名)を区別する上では、その様に書かれるのは当然のことです。ただ、その記述をもって現皇太子の公的・代表的な呼称とはいえないでしょう。皇族であることはともかく、特定の人を記載する折はペンネームや通称を以ってタイトルとされることが多いこともあります。一般的に通るのは、徳仁親王だと思います。

遅ればせながら、記事名に関する合意形成の結果、Wikipedia-日本の皇族の記事名に関する合意事項に基づき、記事名において宮号及び身位を付記することとなりましたのでご報告致します。--Suifu 2005年12月24日 (土) 05:02 (UTC)

結婚記念の法律について[編集]

>結婚の日の当日は、「皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律」が制定されて休日となった。 とあるのですが、そのような事実はないのでは!?皇太子の結婚記念日が休日だという話は聞いたことないのですが・・・ - Scopoletine 2004年9月6日 (月) 14:32 (UTC)

当該法令へのリンクを「外部リンク」に追加しましたので、ご参照ください。Sh 2004年9月6日 (月) 23:39 (UTC)
見ました。「結婚の儀」の日の1日だけ休日になったということで、毎年6月9日が休日になったわけではないのですね。「当日」と書いてはいるものの、ちょっと誤解してしまいました。 - Scopoletine 2004年9月12日 (日) 14:56 (UTC)

お見舞い前の相撲観戦について[編集]

お見舞い前の相撲観戦について、ノートでの議論無しに差し戻しが続いていたので保護しました。以下の記述

>しかし両陛下の帰京と見舞いを待っている間の10日、雅子と愛子と国技館で相撲観戦し、女性誌の表紙に掲載され、多くの愛読者や国民たちを失望させた。

が事実として正確なのか、事実誤認が含まれていないか、また、正確であった場合でも百科事典にて記述すべきほど重要なことがらなのか、ご検討をお願いします。--miya 2006年11月24日 (金) 23:22 (UTC)

この記述は必要ないと思われます。異論がなければ、不記載とすることで合意としたいと思います。--経済準学士 2006年12月10日 (日) 14:32 (UTC)
この記述はwikipediaには必要とは思われません。女性週刊誌のゴシップ記事がお似合いです。Elthy 2006年12月15日 (金) 03:06 (UTC)
相撲観戦は報道のとおり事実ですね。しきたりとして天皇より先に見舞うことができるのか、できないのかは検証できなさそうです。相撲観戦が公務としての性格が含まれるか含まれないかもはっきりとはわかりません。(私は含まれると思います。)公務としたら、喪に服す場合(この場合は大相撲も延期になるかもしれません。)を除いて中止されるべきではなかったと思います。秋篠宮妃の出産日はあらかじめ決まっていたので天皇の帰京日もあらかじめ決まっていたことと、9月6日出産、9月10日相撲観戦(秋場所初日、千秋楽ならば24日)の日程が非難されるものではないでしょう。中傷のたぐいなので記載する必要はないと思います。--Tiyoringo 2006年12月23日 (土) 13:06 (UTC)
私は必要あると思います。事実ですからね。ウソじゃないです。--演斎 2006年12月31日 (日) 13:08 (UTC)
国民を失望させたかどうかは検証不能なので、事実とは言いがたいですね。不記載とすることに賛成です。Pica 2006年12月31日 (日) 15:19 (UTC)
演斎氏と同感です。掲載すべきです。よって、必要だ。--なにわはなっこ 2007年1月7日 (日) 01:14 (UTC)
俺も必要です。--ぼるちゃん 2007年1月9日 (火) 06:38 (UTC)
他に全く投稿履歴が他にない、ぼるちゃん氏が急にノートに参加するのは不可解。同意見の方のソックパペットの疑いがあります。演斎氏やなにわはなっこ氏やぼるちゃん氏が失望したとしても、それは個人の意見であってウィキペディアへの掲載にふさわしいものではありません。--Tiyoringo 2007年1月9日 (火) 14:15 (UTC)(追記)--Tiyoringo 2007年1月9日 (火) 14:19 (UTC)

保護解除に向けて[編集]

編集合戦の該当箇所の議論も収束したようですので、そろそろ保護を解除してもよろしいかと思いますが、いかがでしょうか?--Alljal 2007年3月17日 (土) 01:47 (UTC)

同じく保護されている徳仁親王妃雅子愛子内親王と同様に荒らされるおそれが極めて強いと思われます。[1][2]ただし、雅子妃ほどは危険性が低いので徳仁親王、愛子内親王は保護解除しても差し支えないかもしれません。--Tiyoringo 2007年3月17日 (土) 02:10 (UTC)

敬語表現について[編集]

たとえ皇族であろうとも「~をご卒業された」等ではなく「~を卒業した」と記述するべきではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、219.67.108.125会話投稿記録)さんが 2007年3月17日 (土) 12:08 (UTC) に投稿したものです(Alljalによる付記)。

「皇族であろうとも」とはどういうことでしょうか?皇族の皆様には敬語、丁寧語を心がけるべきです。--Alljal 2007年3月24日 (土) 06:23 (UTC)
ん~。ここは対象を客観視して記述する「百科事典」ですから、219.67.108.125さんのご指摘のとおりですね。皇室の方々への敬意を個人的に抱くことはとても良いことだとおもいますが、そうした敬意をウィキペディアに持ち込むことは、中立的な観点に抵触してしまうのです。ウィキペディアに限らず百科事典とはそういうものだ、とご理解ください。--shimoxx 2007年3月24日 (土) 15:11 (UTC)
そうでしょうか?中立的な観点から敬語を使わないというのはちょっと違うのではないかと感じます。中立的な観点から敬語を使わないとなると皇族を疎ましく思っている人もいるということでしょうか?中立的かはおいておいて、ここは暗黙の了解で敬語にしておくべきと思います。--Alljal 2007年3月24日 (土) 22:11 (UTC)
暗黙の了解ということであればですね、例えばこここことか、ここここここなどをご覧いただければ瞭然ですが、むしろ敬語表現を採用しないことの方が暗黙の了解だといえそうです。そもそも、百科事典ですとか論文・研究報告などの文章では敬語表現を一切排除することが当たり前となっています。百科事典たるウィキペディアでもその慣行は守られるべきでしょうし、上記の各議論を読みましても、たとえ陛下や殿下に対してであっても敬語表現を廃する、というコンセンサスがウィキペディア内で形成されていることが読み取れます。
まあ、敬語表現を用いないということについては、これ以上、議論の余地がありませんので、Alljalさんにはどうぞご理解いただければと思います。--shimoxx 2007年3月27日 (火) 15:19 (UTC)
Simoxx氏に同意。敬語表記はしないのが普通でしょう。Alljal氏が皇族の方をどう思うかとは別です。--コシ 2007年3月27日 (火) 15:23 (UTC)

個人的には動詞における尊敬語は不要だと思います。「崩御」などの名詞は表記して欲しいとは思いますが。--経済準学士 2007年3月30日 (金) 18:18 (UTC)

過度な侮辱的な表現を控えるのと同様に、過度な尊敬の表現も控えるべきです。 敬語表現を行うと、日本国民という視点から項目を見ることになります。 それでは中立的ではありません。 --Rondosasami 2012年1月30日 (月) 08:37 (UTC)

公務について[編集]

最新の編集で公務について加筆されていますが、全ての公務を加筆するのはどうかと思いますが、いかがでしょうか。文仁親王コウノトリ関連の公務のようにニュースソース価値の高いものを厳選して加筆することには反対しませんが。--Tiyoringo 2007年4月20日 (金) 15:52 (UTC)


流産した第一子について[編集]

徳仁親王の流産した第一子が男子であったというのは初耳でしたもので、該当部分を編集された方、もしくは出典がおわかりになる方がいらっしゃいましたら、出典をお教え頂きたく存じます。--ÉdeC 2007年4月22日 (日) 11:23 (UTC)

仮に事実だとしても、美智子皇后のようにパッシングに利用されるだけなので、宮内庁や徳仁親王などから明らかにされていない以上、記述すべきではないような気がします。--Tiyoringo 2007年4月23日 (月) 15:02 (UTC)

事実であるかどうかが定かではないことはWikipediaに記述すべきではありません(Wikipedia:事実を確認するを参照)。明確な出典も提示されないようですので、本記事、並びに美智子 (皇室)における「徳仁親王の流産した第一子は男子」との記述は削除致しました。今後もご意見等がございましたらこちらにお願い致します。--ÉdeC 2007年5月3日 (木) 17:21 (UTC)
少々唐突に削除してしまったようにも思われましたので、追記させて頂きますと、「(流産した第一子は)男子であったと言われるが、詳細は不明である。」という記述に関しては、明確な出典がない限り削除すべきだと考えますが、「仮に男子であった場合、皇位継承順位は第2位となっていた。」などといった「仮に男子であったと仮定した場合」の記述に関しては、許容することも不可能ではないように思われます。--ÉdeC 2007年5月4日 (金) 06:33 (UTC)


人格否定発言の部分や、天皇家の記述などに、雅子のキャリアや人格を否定する一派の策動を感じるのですが気のせいでしょうか。問題があることを知らしめられたのは、親王家以上に宮内庁だと思うのですが。FXMC 2007年5月10日 (木) 10:38 (UTC)

2007年5月22日あたりの編集合戦について[編集]

ご成婚番組の番組名などを列挙するのは冗長すぎると思います。その他の議論についてはまず今編集合戦状態となってしまっているお二人にお任せしたいと思います。--Tiyoringo 2007年5月22日 (火) 16:15 (UTC)

冗長という意見に同意します。--経済準学士 2007年5月22日 (火) 17:56 (UTC)

エピソードの欄[編集]

Wikipedia:存命人物の伝記に従って、ソースなき記載を除去しました。戻す場合は、ソースを明示した上で、ここノートページで(要約欄でなく)意見してください。--fromm 2007年5月23日 (水) 02:30 (UTC)

質問です[編集]

「このページのノートに、このページに関する質問があります。」ということですが、どこに質問があるんでしょうか?分かりにくいので「notice-summary」変数を使うか、用が済んだのであれば取ってほしいのですが。--124.96.235.11 2007年9月1日 (土) 14:10 (UTC)

ノートでの議論が3ヶ月以上見られなかったので本文から除去しました。ご指摘ありがとうございます。再度必要があったらテンプレートが加筆されればいいことでしょう。--Tiyoringo 2007年9月1日 (土) 14:15 (UTC)

「徳仁親王」の名称について[編集]

5年前にも同様の議論がありましたが、もう一度皆さんに考えていただきたいと思います。
現在このページは「徳仁親王」と名付けられています。しかし、これではこのページの人物がお持ちになる「皇太子」「親王」の身位のうち、「皇太子」が入っておらず、ページ名としては不十分だと感じております。
さらに疑問なのが、Wikipedia-日本の皇族の記事名に関する合意事項が形成され、宮号(秋篠宮など)や身位(親王など)をページ名に盛り込むことが合意されたにも関わらず、「徳仁親王」には「親王」の身位のみを入れたにすぎないのです。前述の合意が成されたことで、「文仁親王」は宮号を加え「秋篠宮文仁親王」へ、「美智子(皇室)」は身位を加え「皇后美智子」(「皇后」も身位)へとページ名を確立させることになったのと比べると、やはり疑問が残ります。
「皇太子」と「徳仁親王」が分けて考えられてしまうことで、皇太子 徳仁親王 と別々にリンクが貼られてしまう事態にもなっています。いくら「皇太子」というページが存在するからといって、「皇太子徳仁親王」という皇族名を分解するのは、「徳仁親王」を 徳仁 親王 とするのと同様に問題であると思います。「皇太子○○親王」の「皇太子」と、「身位は皇太子である。」の「皇太子」とではその意味も異なるでしょう。
以上のことから、便宜的に「現在の皇太子は、徳仁親王である。」のように言う時以外は、「皇太子徳仁親王」と表記するのがよいと考えます。皆さんはどうお考えでしょうか。--Gwe2008 2009年7月27日 (月) 09:47 (UTC)

(記事名の改名に限って賛成)官報に掲載される内閣告示、宮内庁告示では、現在では必ず「皇太子」が冠されますのでそれに沿った記事名のほうがふさわしいと考えます。過去の官報を見ますと、今上陛下の皇太子時代に単に「明仁親王」と表記された例が散見されるため、「公文書では昔から一貫して必ず皇太子が冠されるのだ」などと主張することはできないのですが、少なくとも徳仁親王殿下に関しては、昭和64年1月7日午前6時33分以降は「皇太子徳仁親王」又は単に「東宮」と表記され「徳仁親王」単独の例はないので、記事名にも皇太子を冠するべきとのご意見に賛成です。この場合、同様に「徳仁親王妃雅子」を「皇太子徳仁親王妃雅子」へ改名することも必要と思います。ただし、記事本文の各所においてまで、一々すべて「皇太子徳仁親王」とフルで書くべき、というご主張には賛同できません。記事名とか、表のセル、箇条書きのようなデータ的側面、羅列的側面のある箇所では「皇太子」の冠称を原則とすべきですが、記事の文中では、文脈により「皇太子」あるいは「徳仁親王」で問題ないと考えます。でないと、記事が冗長になります。--無言雀師 2009年7月27日 (月) 11:16 (UTC)
ご意見ありがとうございます。誤解しないでいただきたいのは、私が「便宜的に『現在の皇太子は、徳仁親王である。』のように言う時以外は、『皇太子徳仁親王』と表記するのがよいと考えます。」と申し上げたのは、記事名を含め、本文の冒頭(初めて名前が出る時)などに正式名称でこのページの人物を記述する際に「徳仁親王」ではなく「皇太子徳仁親王」とすべきだという意味であり、記事の文中すべての表現を「皇太子徳仁親王」にするということではもちろんございません。文脈や前後との関係によって「皇太子は~」「徳仁親王が~」などとなるのは問題ないと思います。以前、ページ名が「徳仁親王」だからといって敢えて「徳仁親王」の表現を初出で用いる記事がよく見受けられたので、このようなややこしい言い方になってしまいました。申し訳ありません。--Gwe2008 2009年7月28日 (火) 13:53 (UTC)
賛成 ご提案に賛成いたします。宮号を持つ他の皇族方の記事との兼ね合いから皇太子の御称号が無いのが気になっていました。本文中の表現についてはGwe2008氏無言雀師氏のおっしゃっている形でよろしいかと存じます。--高橋呑舟 2009年7月29日 (水) 14:35 (UTC)
賛成 Wikipedia-日本の皇族の記事名に関する合意事項の策定に関与したsuifuこと海衛士と申します。当該ご提案は私たちの議論から漏れていた点であり、遅ればせながら、賛成致します。尤も、合意事項としては数年前に有効となっているので、あまり意味もありませんが、合意事項の一覧に反映致しましょう。--海衛士会話2013年8月19日 (月) 01:25 (UTC)

橋本首相の葬儀について[編集]

内容要約で「橋本龍太郎に転記」と述べましたが、よくよく出典を読むと執筆者が述べている「秋篠宮以下全員が参列する」に類する記述はありません。天皇陛下や皇族の方が葬儀に使いを派遣されたり、供花をされることは別段特別なことではありません。よって転記は中止するとともに記述は不要であると考えられます。--彩華1226 2009年12月26日 (土) 22:48 (UTC)

(追加)宮内庁のHP上に掲載されている皇室のご活動を参照したところ、橋本首相の内閣・自民党合同葬に皇太子様と秋篠宮様が、宮澤首相の内閣・自民党合同葬に秋篠宮様が参列されていることが確認できました。また、首相官邸のHPで検索を行ってみたところ、小渕首相の内閣・自民党合同葬に皇太子様ら皇族方が、鈴木首相の内閣・自民党合同葬に秋篠宮様ら皇族方が参列されたことが確認できました。そもそも内閣で葬儀を行っているのであり、皇族の参列は別段不自然ではありません。皇太子様は橋本首相の葬儀だけでなく小渕首相の葬儀にも参列されており、「珍しい」という理由が当てはまらないことがはっきりとしました。--彩華1226 2009年12月26日 (土) 23:18 (UTC)

出典不明の発言や逸話[編集]

公人ではありますが、皇太子は存命中の人物であることから出典が不明な発言や逸話の類は削除します。 立場上、本当にした行為や発言であれば出典なども見つかりやすいと思いますので、復活させる時には出典を明記して下さい。 出典を明記せずに復活させる場合はその理由をここに明記してくださると助かります。 なお、具体的な場所や日時が書かれているものや、出典がなくともおそらく実際に行動や発言をしていたのであろうと思われるものも数多くありますが、基本的に宮内庁の公式見解や何らかのメディアなどにおけるソースがないものは削除しました。--パンダ三郎 2011年4月12日 (火) 01:31 (UTC)

歴史学者として[編集]

歴史学者としての業績として、たとえばつぎのようなものがあります。

  • 「室町前中期の兵庫関の二、三の問題」(安田元久先生退任記念論集刊行委員会編『中世日本の諸相・下巻』、吉川弘文館、1989年)
  • 「18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について」(『地学雜誌』第100巻第1号、1991年)
  • 「忘れられた車図--陽明文庫所蔵『納言大将車絵様』および『車絵』について」(木村真美子共著)(『学習院大学史料館紀要』第12号、2003年)

また、著書として、つぎのものがあります。

  • 『テムズとともに‐英国の二年間‐』(学習院教養新書、1993年)

これらは記載の価値があると思います。  --101.141.132.125 2012年12月7日 (金) 22:44‎

ローカルルール[編集]

皇位継承発生時には、プロジェクトで合意されたプロジェクト:日本の皇室#皇位継承に関するローカルルールに従ってください。--Garakmiu2会話2016年3月17日 (木) 07:52 (UTC)

即位後の記事名について[編集]

今上陛下の退位に伴う即位まで1週間を切りました。これにより地位としては「皇太子」ではなくなる訳ですが、今上陛下と同じように記事名は「徳仁」(本記事へのリダイレクト)とするべきでしょうか。即位が近づいているのにこの点について誰も論議するのが気になりましたのでこちらで提起させて頂きます。--106.72.165.0 2019年4月25日 (木) 01:52 (UTC)

賛成です。今上天皇に合わせて実名「徳仁」でよいと思います Shuricastle会話2019年4月26日 (金) 06:43 (UTC)

コメント 失礼します。皇位継承に伴う改名については、プロジェクト:日本の皇室でローカルルールを取り決めておりまして、皇太子徳仁親王妃雅子皇后雅子なども含む一括議論不要の改名が可能となっています。本記事名につきましても、5月1日になった時点で出典を加えていただければ「徳仁」に改名で問題ありません。ルールの詳細と背景につきましてはプロジェクトおよびプロジェクト‐ノート:日本の皇室での議論(for the X day以降いくつかの節)をご覧ください。--Garakmiu3会話2019年4月26日 (金) 15:33 (UTC)
取り下げ 既に改名に関して合意が取られていることについて確認致しました。この件は取り下げして、ローカルルールに準じた改名に従いたいと思います。--106.72.165.0 2019年4月30日 (火) 03:58 (UTC)

天皇陛下の画像が金日成に度々変更されている由々しき問題について[編集]

これは由々しき事態であるため、半保護をすべき事案と思料されるが如何。 --上和野勇会話2019年5月1日 (水) 03:11 (UTC)

至急[編集]

テンプレートの編集ミスにより「諱」があることになっています。至急訂正願います。--2400:4153:A380:1600:30D6:C5E7:121C:74C0 2019年5月4日 (土) 23:54 (UTC)

テンプレート上の問題についてはTemplate‐ノート:基礎情報 天皇にお願いいたします。また、「諱」の用法として日本では実名を指す語として用いられることも多く、誤りではないと思いますが…。諡と取り違えておられませんか。--ratexio会話2019年5月5日 (日) 00:54 (UTC)
失礼しました。取り消します。--2400:4153:A380:1600:D41F:DEA7:20F2:B6B 2019年5月5日 (日) 05:17 (UTC)

【告知】本記事名について[編集]

プロジェクト‐ノート:日本の皇室#天皇等の個人記事の記事名についてにおいて、本記事名に関わる議論が行われています。ご参加ください。--Susuka会話2019年6月7日 (金) 11:27 (UTC)

カテゴリ「ヴィオラ奏者」について[編集]

カテゴリ「ヴィオラ奏者」に入れられていましたが、「クラシック音楽の演奏家一覧」のノートでも話題にしましたがふつう演奏家というとき、そのための専門教育を受けた職業音楽家をいうものです。皇太子がヴィオラを弾くことは有名であり著名演奏家との親善演奏会も行っていますが職業音楽家とは違います。よってカテゴリから外します。--KINU会話) 2005年12月14日 (水) 15:08 (UTC) ※KINU氏による署名に投稿時刻が付されていませんでしたので補いました。--野良人会話履歴 2019年10月26日 (土) 23:33 (UTC)

写真が頻繁に差し替えられる件について[編集]

即位後、写真が4回も差し替えられていますが、相応しい写真に固定してはいかがでしょうか。編集合戦みたいに頻繁に写真が差し替えられては記事が無駄になってしまいます。--210.153.128.187 2019年9月11日 (水) 13:07 (UTC)

追加です。写真は正面を向いた写真が相応しいと思います。--210.153.128.187 2019年9月11日 (水) 13:31 (UTC)

明仁も在位中にそうであったように、本記事も写真を御装束に統一してみてはいかがでしょうか。明仁は退位に伴って皇位の象徴たる御装束を洋装に差し替えましたが、徳仁は当面の間在位するであろうから、御装束がふさわしいと思います。昭和天皇の場合は御装束の写真が70年以上前のあまりにも古い写真だったので、戦後に撮影された洋装の写真なのであって、先日誰かがアップロードした写真は最新なので問題ありません。また、「グローバルなファイル使用状況」を見ればわかるように、多くの他言語版Wikipediaでは御装束が写真に設定されています。徳仁(英語版)でも御装束姿です。--RSSFSO会話2019年10月27日 (日) 05:05 (UTC)

賛成 天皇としての正式なお姿は、RSSFSOさんが指摘なさる通り、御装束姿でしょう。「在位中にトップに配置する写真は、御装束姿の鮮明な写真が著作権侵害なく使用可能なのであれば、それに統一する」という提案に賛同します。なお、同様のことを「皇后雅子」にも適用できると考えます。--Pooh456会話2019年10月27日 (日) 08:38 (UTC)

反対 たしかに現在、天皇の和服における最高礼装は御束帯ですが、前4代の天皇と整合性を図るため、今の「冒頭=洋装、その下に束帯」という形が良いと思います(すべて束帯に揃えるという考え方もありますが、大正天皇のみ黄櫨染御袍の画像がありません)。 また、頻繁に写真が差し替えられると良くないというご意見ですが、人の顔は加齢に伴って変化します。毎日差し替えがあるようでは私もおかしいと思いますが、年に1回程度であれば、Wikipedia記事においてその人物を象徴するといっても過言ではない冒頭画像が、最新の画像に変更されることがあっても良いと思います。--Shuricastle会話2019年10月27日 (日) 13:51 (UTC)

コメント 帝国憲法下では、天皇の正装は軍服であり、御真影と扱われたのは全て軍服の写真(または絵画)でした。ですので明治天皇と大正天皇のトップ画像は軍服であるのが正解と思います。戦前と戦後では制度が変わっていることを考慮すべきです。またトップ画像について「差し替え合戦」など発生しないに越したことはなく、ノートで合意を形成するのは有意義と考えます。--Pooh456会話2019年10月27日 (日) 14:03 (UTC)

「差し替え合戦」防止のためとは言え、在位中ずっと即位礼時の写真を掲載する必要はないと思います。ここで提案ですが、「容貌の変化も考慮し、差し替えは可能とする。ただし、差し替える際にはノートで提案し、合意を形成する。束帯の写真は宮内庁が発表した正式なものとしてこれを尊重し、テンプレート下に置くものとする」というのはいかがでしょうか? Shuricastle会話2019年10月27日 (日) 14:36 (UTC)

因みに、現在では洋装の礼装は燕尾服に勲章を着けたものです。和装礼装との優劣があるとははあまり聞きませんし、それをいってしまえば、「帝国憲法下での即位礼でも束帯を着用していたから、軍服より束帯が礼装だ。だから明治~昭和天皇の画像は束帯が良いだろう」という考え方が成立してしまうような気もします。 Shuricastle会話2019年10月27日 (日) 14:43 (UTC)

コメント - 私見です。私は先頭画像は「その人の顔」または「その人の全身像」がよくわかる画像にするべきだと考えています。なのでそういう意味では、今現在設定されている画像は「徳仁の顔」がよく分かる画像ですので、少なくとも今はこの画像で良いと考えます(例えば、明仁の先頭画像も今の画像の前は顔がアップになった画像でしたし)。黄櫨染御袍あるいは御束帯の画像は、記事中に掲載でもよいのではないでしょうか。--Nickel 2 Train(Talk//Post//Log) 2019年10月28日 (月) 06:46 (UTC)

Nickel 2 Trainさんのご意見に賛成。「顔がよく分かる」という観点からすれば、上皇や上皇后の画像も顔がアップになったものを使用するのもよいかもしれません。昭和天皇や香淳皇后は洋装の礼装かつ顔が見やすいものでした。明仁の画像などは礼装でこそあれ、顔は小さく、見辛いものです。海外王室のページを見ても(例えばエリザベス2世女王やウィレム=アレクンダー国王など)冒頭は顔がよく分かる画像であり、戴冠式・即位式のものではありません。徳仁や雅子の海外版ページでは装束姿のようですが、別にこれに倣う必要があるとは感じられません。 Shuricastle会話2019年10月28日 (月) 07:34 (UTC)

(追記)女王や国王のページの冒頭画像は、主に最近の写真(近影?)であることが多いです。(若干修正)-Shuricastle会話2019年10月28日 (月) 07:40 (UTC)

反対 御装束「のみ」が相応しいとは思いません。他の方も述べられていますが、和装洋装で優劣があるわけではありません。明治~昭和でも歴代天皇の肖像が飾られている神社宝物殿などでは明治・大正天皇は軍服の大礼装、昭和天皇は場所によって大礼装か燕尾服、孝明天皇以前は束帯や平安以前は時代に合わせたイメージで描かれていることが大半です。「天皇の画像は束帯であるべき」というのは御真影と異なるという点もあわせて少々乱暴な意見と思います。また、多少斜めを向いていたりカメラ目線からずれていても問題はないでしょうし、全身が見える必要はあるでしょうか?大臣や叙勲者の公式肖像でも全身像は聞いたことがありません。以前上皇陛下のページで用いられていたオバマ大統領来日時の写真は、ダブルの背広で胸より上のみでしたが画質もよく、長くトップ画像でした。故人であれば、その地位を象徴するような画像であるべきともいえると思いますが、存命である点を踏まえれば、どういった服装というよりも近影である方が優先されるべきと考えます。--ratexio会話2019年10月29日 (火) 12:42 (UTC)

情報 commons:File:Emperor Naruhito on October 22, 2019.jpgは、著作権侵害の疑いで削除依頼が出されています。--Momiji-Penguin会話2019年11月3日 (日) 06:11 (UTC)

反対 トップ画像は顔がよく分かる写真にすべきです。--melvil会話2019年11月16日 (土) 01:41 (UTC)