ノート:ヲシテ/過去ログ1

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推敲中と思われる文章

<削除>


Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをお読みになって、百科事典にふさわしい内容で投稿してください。--うまやど 2009年6月10日 (水) 12:02 (UTC)

本文が整えられていっていますので、推敲中と思われる文章は削除しました。--うまやど 2009年6月29日 (月) 12:49 (UTC)

記事の削除に関して

お疲れ様です。第三者に対するWikipedia:検証可能性を提示する、公開情報への外部リンクを削除されているようですが、どういう理由で削除されているのか根拠をお聞かせ願えれば幸いです。

参考リンク

--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年11月27日 (金) 15:28 (UTC)

学会とはどの学会ですか?

うまやどさん、2009-12-08T14:28:39時点における版において差し替えになっているのはなぜですか? 学会の定義が曖昧でしたのでそのようにしたのですが。(「日本学術会議」は認定機関なのですか?) とのことですが、定義の通り、国の機関であるようです。

参考リンク

でもって、「日本語解説部分」のフォントの差し替えをすれば、文字解説の図版の差し替えは構わないと思います。(元々解説用です)--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月8日 (火) 19:18 (UTC)

「日本学術会議」は学会ではありません。論文の審査もしません。学会に関して言えば、学会を審査するところです。そもそもヲシテやヲシテ文献そのものを扱う学会はありません。国語ということでいえば、国語学会(現日本語学会)があります。--うまやど 2009年12月9日 (水) 03:50 (UTC)

それから、ウィキペディアは、あなたの自説を展開する場所ではありませんし、あなたの自作のフォントのPRの場ですらありません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをお読みください。--うまやど 2009年12月9日 (水) 03:50 (UTC)

なるほど、では国語学会と記述したらよろしいですね。自作フォントの披露をしているわけじゃないです。一方的で乱暴な差し戻しには抗議します。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月9日 (水) 04:20 (UTC)

基 建吉(MOTOI Kenkichi)氏による編集について

国語学会は、この分野の学会であると例示しただけです。根拠なく記事をお書きになるのはおやめ下さい。「学会では・・・」という場合、その根拠となる論文がありますから。それを知られないのに言葉を振り回されるのは、記事の質を下げるだけです。

次に、ご掲載になりましたイメージ図とヲシテ基本48文字についてですが、あなたの独自の創作であることがうたわれていますので、「独自の発明」にあたると考えます。この場合、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかにある次の項目に該当いたします。

独自の発明 KYのような新しい言葉、酒宴のゲーム、ダンスの新しいステップを発明したとしても、それが複数の、独立した、信頼できる二次情報源で報じられるまでは、ウィキペディアの記事の題材として特筆に値することになりません。ウィキペディアはあなたが思いついたものを掲載する場所ではありません[4]。

イメージ図とヲシテ基本48文字は、「複数の、独立した、信頼できる二次情報源で報じられる」を満たしていません。ウィキペディアはあなたが思いついたものを掲載する場所ではありません。別の言い方をすれば、アニメのキャラクターがあって、それをそのまま掲載すると著作権に違反するので、似て非なる似顔絵を掲載しているようなものです。

Japanese_Wosite_Base_48_table.svg‎ に、

ヲシテ48文字の解説にあたり、作成した。フリーのフォント用にするため、フォントフェイスのデザインを新たに起こしなおした。主に参考にしたのは、池田 満・青木 純雄・平岡 憲人『よみがえる日本語-ことばのみなもと「ヲシテ」』明治書院 2009/05 ISBN 4625634075 などのヲシテ研究書籍である。

とあり、「似て非なる似顔絵」としての創作です。

また、Awauta.svgは、

あわうた(ヲシテ)明治33年(1900年)3月3日小笠原長弘本より(復刻版ホツマツタヱ 復刻監修・松本善之助・日本翻訳センター)、本文9ページ ISBN 978-4-93132604-0 c0021 08000

の著作権を侵害しています。

これらのことから、編集をUndoさせていただきました。

他の編集者のご意見を頂戴したいと思います。--うまやど 2009年12月9日 (水) 04:49 (UTC)

Himetvと申します。Awauta.svgに関しては原版が109年前の作品であり、既に著作権は喪失していると考えます。でないと「鳥獣戯画」等も復刻出版され続ける限り著作権が喪失しないことになってしまいます。他のご主張に関しては特に意見はございません。--Himetv 2009年12月9日 (水) 07:37 (UTC)
うまやどです。Awauta.svgに関しては原版が109年前の作品ということで問題ないということですね。わかりました。--うまやど 2009年12月12日 (土) 03:17 (UTC)
コメント 単なるタイプフェイスデザインは、独自研究の適用対象にならないでしょう。「既に発表されている一次資料や二次資料に基づいて」いると考えられます(独自研究は載せないをご参照下さい)。字形を破綻させているとか、既存資料に基づかない文字が混入されているとかなら独自研究になりますが、Hotsuma.gifと並べて眺めたところ、破綻なくモダンゴシック体にデザインされているものと思います。ゴシック体康熙字典の「似て非なる似顔絵」である、なんて言いませんよね。同じことです。
著作権侵害については、Himetvさんの指摘通りですね。著作権保護期間を過ぎているのではありませんか。
法律家ごっこは記事の質の向上に寄与しません。根拠となる論文の存在を主張するのであれば、それこそ出典を明記するに従うべきでは? 方針の恣意的運用を試みているという疑義を招きかねません。
--にゃ会話 2009年12月10日 (木) 23:10 (UTC)
「根拠となる論文の存在を主張するのであれば」については、必要であれば明示いたします。
ヲシテの一部を拡大した絵について基 建吉(MOTOI Kenkichi)氏は「よみがえる日本語」を主たる出典とされています。同書で拡大して利用されている「縄文文字ヲシテ」には、意匠権が設定されています。文字であり同時に「絵」でもあります。そのため、「似て非なる似顔絵」ということは単なる例えではありません。
なお、氏は、http://d.hatena.ne.jp/awamomo/20091108 において、「縄文文字ヲシテ」をフリー化(意匠権の解放、あるいは、許諾の自由化)をすべきであると主張しておられ、その主張の延長線上に、「フリーフォントの縄文文字ヲシテAが使えればいいんですが・・・」の発言をしておられます。映像のアップは、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの趣旨「ウィキペディアは無政府主義の実験ではありません」「ウィキペディアは戦いの場ではありません」「ウィキペディアは演説台ではありません」に抵触していると考えます。--うまやど 2009年12月12日 (土) 03:17 (UTC)
え? 意匠権を開放すべきである、と書いてますか? フリーの定義に認識違いがあると思います。で、こちらの江戸幕府 氏 Amazon.co.jpのプロフィールページにある「ヲ」の図版は、池田満先生の意匠権を害していると思われますので、抗議なされた方が宜しいかと思われます。丸パクリなのでヤバいとおもいます。で、戦いではなくて、第三者にいかに伝えるか、の問題かと思われます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月12日 (土) 07:47 (UTC)
コメント 特許電子図書館で検索する限り、意匠登録は確認できませんでした。文献番号をご提示下さい。個人的には、『よみがえる日本語』で拡大表示されている文字は標準字形を解説するためのものであって、「専ら情報伝達のためだけに使用される文字」で意匠法の保護対象とはならないし、そもそも標準字形に(意匠登録の要件であるところの)新規性が認められるとは思えません。また、モダンゴシック体であるファイル:Japanese_Wosite_Base_48_table.svgを「類似の意匠」と主張するのも無理があるでしょう。
出典として『よみがえる日本語』が提示されていることは、ファイル:Japanese_Wosite_Base_48_table.svgが二次的著作物である可能性を示していますが、意匠権はそれが二次的著作物であるかどうかにかかわりません。二次的著作物として著作権を侵害しているかという点では、タイプフェイスが著作物に該当するためには独創性を備える必要があるとされており(モリサワタイプフェイス事件)、標準字形は著作物にあたらないと考えるべきでしょう。
失礼ながらうまやどさんには、Wikipediaの方針文書の理解について、かなり問題があるように思います。ウィキペディアは何ではないか 3 コミュニティ冒頭にあるとおり、ウィキペディアは無政府主義の実験ではありませんウィキペディアは戦いの場ではありませんは、内容に関するものではありません。
ウィキペディアは無政府主義の実験ではありません……これはWikipediaがともすれば無政府主義的と見えてしまうほどオープンなコミュニティであるが、その思想的背景に無政府主義を持ったものではないという話であって、誰かが無政府主義者である(疑いが持たれる)場合のことなどではありません。
ウィキペディアは戦いの場ではありません……その通りです。ファイル:Japanese_Wosite_Base_48_table.svgが何かしらの権利を侵害していると考えるならば、削除依頼によるべきであって、1記事のノートに、参加者の持つ思想を推測し外部サイトから引くような個人攻撃めいた批判を展開するべきではありません。
さきに法律家ごっこを示したのは方針の精神を無視して方針の表面上の字面だけを厳密に追っているように見受けられたためですが、今回の「独自研究に該当しないなら今度はこの方針文書だ」といったご主張は、それこそWikipediaの方針を曲解したものではありませんか。
--にゃ会話 2009年12月12日 (土) 15:10 (UTC)
コメント もうひとつ。Hotsuma.gifはGFDL/CC-BY-SAライセンスとされていますが、これはうまやどさん(=平岡憲人氏ですね)がタイプフェイスをデザインしたものでしょうか? 出典に書かれている「ほつまつたゑ」国立公文書館蔵小笠原長武写本ですね)からの複製(配置を整えた程度の変更を含む?)であれば、著作権の保護期間が過ぎたパブリックドメイン、もしくはうまやどさん以外の方が著作権を有する(写本時代、明治期;1868〜1921とあり1966年生の平岡憲人氏は著作者ではあり得ない)もので、うまやどさんが著作権を主張すべきものではない、ということになりませんか。もしうまやどさんがデザインしたものであれば、他ならぬうまやどさんご自身の主張により、「Hotsuma.gifは独自研究である」といわねば、うまやどさんは二重基準をお持ちであるということになります。私は「どちらのファイルも独自研究に該当しない」と考えますが。--にゃ会話 2009年12月11日 (金) 10:10 (UTC)
Hotsuma.gifには、わたしの創作性はありません。GFDL/CC-BY-SAライセンスの定義を再度確認いたします。タイプフェースは、古文書から採取したもので、それを配列したものだからです。--うまやど 2009年12月12日 (土) 03:17 (UTC)
コメント そうでしたら、うまやどさんはファイル:Hotsuma.gifについて著作権を主張することはできず、保有する著作権に基づく使用許諾を行うことができません。LicensingはPD-oldとすべきです。--にゃ会話 2009年12月12日 (土) 15:10 (UTC)
コメント ライセンスを改めました。--うまやど 2009年12月17日 (木) 01:26 (UTC)

フリーフォントの縄文文字ヲシテAが使えればいいんですが……池田満氏、日本ヲシテ研究所に了承を得ていないので不可能と思われます。当時、文章の解説のために図版が必要でした。このフォントが使用できない場合、オリジナル性のあるデザインで無いと盗用や著作権上の問題となりやすいので、独自に製作せざるをえませんでした。なお、出版物になると図版は更に著作権の関係がややこしいので、即時削除の可能性があります。音楽、動画などのマルチメディア系のアップロードに関しても、その基準はかなり厳しいかと思います。 なお、独自研究ではなくWikipedia:特筆性を目指して作成しました。更に、クリエイティブコモンズの表示、継承ライセンスを用いています。どのような改変も自由に可能ですので、表現が違うと思うのであれば、どうぞ、思うとおりに改良してください。なぜ、そうされないのか、理解に苦しみます。 うまやどさんの、私の後の編集は記事の削除で、どっちかというと検証可能性や中立性を欠いている、第三者にとってわかりづらい記事となっている気がします。むしろ、小笠原長武写本によるホツマ文字の標準字形、『「ほつまつたゑ」国立公文書館蔵』とある図形の、TCMフォントに対する相似性の方が気になりますが……。学会の件に関しては、意見が過剰と思い記事を取り下げていますので、ご了承願います。図版に引用元を書いて、その著作権侵害と言われるのは納得がいきません。1万行のうちの4行のどこが著作権侵害なのでしょうか? 理解に苦しみます。引用された図版自体も、70年以上の時間が経っていますので著作権が消滅していると考えます。が、このような使い方の「どこがいけないか」具体的に書いていただければ訂正いたしますので、お手数をおかけしますが、是非ご教授下さいませ。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月9日 (水) 10:42 (UTC)

「文章の解説のために図版が必要でした」ということですが、アニメのキャラクターの説明をしようとして、絵を使うことができない場合は、著作権を尊重して、その範囲で説明すればいいだけです。ウィキペディアの記事ではその範囲で記事が書かれていませんか?それが、創作に対する敬意だと考えます。縄文文字ヲシテの創作までの努力・「よみがえる日本語」完成までの努力を尊重されず、http://d.hatena.ne.jp/awamomo/20091108 で述べられるフリー化(意匠権の解放、あるいは、許諾の自由化)という自説の主張の題材にされるのは、正当なこととは考えられません。ヲシテのことを一般に伝えようとされる姿勢には、敬意を払いますが。--うまやど 2009年12月12日 (土) 03:17 (UTC)
努力を尊重するからデザインを起こしたのですが。そもそも尊重しないんであれば、豪快に日本ヲシテ研究所のフォントを無許諾で載せてます。そんなのは確実にリバートされますが。また、尊重するから、その功績を知るために、記事に書かれていた商標について調べ、そのリンクを掲載したのですが……
うーん、日本固有の古来の文字を独占化して金儲けがしたいんですか? であるなら、その差益の一部を小笠原家の皆さんに還元してあげた方が宜しいかと思います。金儲けすることを止めはしませんし、その権利もありません。それとも、小笠原家200年以上の研究を無にされるんですか? 
異説本の「駒井邦義本」が原典に掲載されていなかったり、吾郷清彦氏の文献を無視したり、鳥居礼氏の文献を無視したりと、偏向甚だしいからです。記述が真実であるとすると、少なくとも数千年も守り伝え続けた努力は無視して都合のよい伝説だけを残すのでは、歴史の改竄となりえますので承服しかねます。古事記・日本書紀の三書比較もその基本コンセプトは江戸時代に既に提唱されていたものだと思われるのです。それを完遂なしえた、池田満氏には敬意を表します。Wikipedia界隈でもIPユーザーではなく、ちゃんと登録ユーザーで記事を書かれると宜しいです。で、ヲシテ文字自体の成立に関しても著者ウタタネコカミなどの性格上文献が多分存在しえます。
そういう論争はさておき、
よみがえる日本語にある論説をすべて否定するものではありません。この分野が研究されるのは稀有なことでありますし、第一線で出版した努力は大いに認めます! 快挙です! 
ただ、異説もある、と言う場合、中立性を保つ観点から、Wikipediaにおいてはそれを併記すべきじゃないですか? と思われます。でまぁ、このようにフォントが多くある現状で、私の図版を否定する根拠がブログの記述である、との事で、今後の記述は誤解なきよう反省して書かせていただきます。現有するヲシテ®の権利侵害を促すのではありません。
  • ではそのblogの記述の件と、編集を一切無視してリバートするのと図版を取り外す、の関連性は何ですか?
  • ヲシテ®は池田満氏の登録商標である、という現実に対してその検証のために追加した記事に対する記事削除の理由は何ですか?
との疑問を呈します。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月12日 (土) 04:41 (UTC)
「学会では・・・」という場合、その根拠となる論文がありますから。それを知られないのに言葉を振り回されるのは、記事の質を下げるだけです。

根拠となる論文を提示しなければ検証性が乏しいので記事としては難しい、という論理で行きますと、情報公開されており、ネットでも公開してある情報に関してのリンクを削除されている理由がますますわかりません。根拠となる論文の提示に関して納得の行く説明をされてないのでありますし、図版差し替えに関しては出典の偽装の可能性がありますので、ますます記事の質を下げていると思われますが如何ですか? よみがえる日本語の著者が、出典の明らかでない思いつきの独自理論を展開するwikipediaでも無いと思われます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月10日 (木) 03:51 (UTC)

論点整理

私の論点設定に誤りがあるようです。Wikipediaとして、建設的な議論をすべきと思います。以下の点についてWikipediaの記事として問題があります。

ヲシテ基本48文字の妥当性

にゃ氏より、Hotsuma.gifと並べて眺めたところ、破綻なくモダンゴシック体にデザインされているものと思う、とのコメントがありました。作者である、基 建吉(MOTOI Kenkichi) 氏にしても、同様の認識と思われます。しかしながら、そのことが問題です。この項目「ヲシテ」は、学会における通常の理解はふまえつつも、古代に使われていたであろう文字「ヲシテ」について記述しているものです。研究者の主張は、記紀より以前に使われていた文字・縄文時代の文字です。漢字に例えるなら、甲骨文字であるとか、金文であるとの主張です。そのような文字を紹介する図が、「モダンゴシック体」であることが妥当であるかどうかです。古代の歴史の中にある文字を紹介する項目で、歴史とは遊離し現代風でしかないデザインの文字で説明がなされています。これは、百科事典の項目の品質を著しく下げています。

「よみがえる日本語」の中で取り上げている字形は、諸写本の文字の比較、古文書中の記述の趣旨を踏まえた字形となっています。無論、研究途上のものですから、将来、さらに妥当な字形が生まれるであろうことを否定するものではありません。この字形については、意匠権[要出典]が設定されています。そうであるなら、Wikipediaとしてなしうるのは次のいずれかと考えます。

  • 字形を示さず、文章による記述で伝達する
  • 少なくとも、古文書に根拠のある字形で表現する

前者は、説明としては分りにくくなりますが、不適切な情報を与えるよりは良いと考えます。詳しく知られたい方は本をお読みいただけばよいともいえます。後者は、項目の記述に沿った表現であると考えます。少なくとも、江戸時代にさかのぼりうる文書に使われている文字であって、その文書の中で云々という説明ですから、その文書の中での形を提示することは、完全ではないものの、根拠のある記述となるからです。江戸時代の文書ということで、意匠権・著作権などは既に失効していると考えられ、表示にも問題を生じません。

なお、そうであるならば、私が字形を描くべきであるとか、修正すべきであるという議論はお断りします。必要であると考え、なしうる事で貢献させていただきます。--うまやど 2009年12月16日 (水) 10:51 (UTC)

古文書に根拠のある字形(本文内にその記述がある)で、かつ、もっともシンプルな造形を目指しました。つまり、合理的に文字本来の形を目指して創作しました。解釈が違うのは残念ですが、うまやどさんの図表も併記してありますので問題はないかと思います。それよりも、ミカサフミのほうが手薄なのでミカサフミのほうを追記していただけると助かります→うまやどさん。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月16日 (水) 13:59 (UTC)
古文書に根拠のあるというのは、独自の解釈ではなく、古文書の図柄そのままということを意図して書きました。まだ評価の定まらないものですから、これが安全だし、読者の誤導を最小限にする方法だと思いますよ。お時間があるようでしたら、ナガタケ写本かヤストシ写本の字形をもとに、図を上げていただけると助かります。ミカサフミのほうの追記ですか。私はまだ研究が足りません。読んでいて明らかにおかしいことを修正するくらいのことしかできません。--うまやど 2009年12月17日 (木) 06:27 (UTC)
つまり、解説の概念は研究中であるが新しく、現代文であるから、新しい現代向きの文字である必要があるんじゃないですか? 解説図面が古文字であると、その解説は現代的解釈であることの整合性がとれず、読者を欺く可能性があります。解説が古文書に書かれている、となるとその解説文を「写真版どおり」そのまま提示すべきです。でまぁ、ミカサに関しては了解しました。で、差し戻しの原因が未だにわかりません。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月17日 (木) 09:57 (UTC)
???仰っていることの意味がわかりません。甲骨文字の説明をしているとして、その説明文は、現代文であるから、甲骨文字を示すべきではなく、ゴシック体?の現代風な甲骨文字にすべきであるということですか? なんか、無理な論理な気がしますけど。私の理解力が悪いんですね。--うまやど 2009年12月17日 (木) 10:50 (UTC)
いや、本来ヲシテ文字は子音と母音に分解できないので、分解した場合は新しい解釈となります。子音と母音という概念を説明した図は、『ヲシテ時代』には無かったものではないんですかね? あと、著作権の理念から言って同一性は保持すべきであります。それを行うと『古文書の捏造』になりますから、少なくとも『無かった文字』を偽造するのはいけないのでは? ということですが。-基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月17日 (木) 11:56 (UTC)
つまり、まだ存在しない『ヲシテ研究の歴史』という項目と辞典の記述の時系列がごっちゃになっているから問題なのではないでしょうか? 整理すべきであります。で、現在進行形の研究結果を示す場合、新しいイメージでないとダメで、unicodeコードを策定する場合は『誰もがフリーで利用』出来ないといけないんじゃないでしょうか?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月17日 (木) 12:12 (UTC)
ほんとにヲシテのこと研究されているんですか?写本とかちゃんと見ています?--うまやど 2009年12月17日 (木) 12:36 (UTC)
ちゃんと、とは?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月17日 (木) 12:49 (UTC)
態図象(母音)だけの箇所、写本にあるでしょ。--うまやど 2009年12月17日 (木) 12:54 (UTC)
子音の部分と『48基本ヲシテ一覧表』が縄文時代からの伝承にはあるんですか?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月17日 (木) 13:03 (UTC)
議論がずれていると思いますよ。あなたがそう信じておられるということはわかります。しかし、アワウタという48音図がなければ成立できないウタがあり、5母音だけの文字がある。子音の図象は各子音で共通である。ここから一歩でも出れば作為だというのであれば、ピラミッドにある象形文字ヒエログリフがあるとして、ヒエログリフは複数の文字が融合した形でしか碑文にない。調べたところ、文字の集合体であることが分る。その際に、ヒエログリフの一文字一文字を紹介するさいには、ゴシック体で現代風に表現すべきだ、というご主張です。どこまでが作為か、どこまでは本来のものであるかの指針を与えるのは、本来学会の役割です。現在、ヲシテに関する学会はありません。そこで、それに相当するものとして信頼できる媒体に発表されている意見をその代わりとする。そのエッセンスを読者に提供するのが、百科事典であるウィキペディアの役割です。あなたの説は、信頼できる媒体に発表されている意見を満たしていますか。--うまやど 2009年12月18日 (金) 04:41 (UTC)
ヲシテを子音に分解して表現するのは現代の研究結果であるから、同書体だと当時KHNMTRYSWを『文字として使用していた』という誤解を招く結果になります……と主張しています。論説にブレはありませんが。よみがえる日本語での解説を基本としているので、その表記はまずい、ということで私のブログで抗議なされていますよね?

製作当時の発言 以下引用

umayado1999   2009/11/11 23:17  そういうことであれば、参考文献は「ホツマツタヘ―秘められた日本古代史」とお書きいただくべきと思います。「よみがえる日本語」には、形が意味を表すと書いておきましたが、それが踏まえられていません。
引用終わり
信頼できる媒体で発表されたものを『そのまま使うと』著作権の点で問題があるので載せられない。とご説明したはずです。で、このデザインはクリエイティブコモンズのライセンスに則り自由に編集可能です、とご説明しています。解釈が違う、のではなくて『解釈はあっているが現代風なのでダメ』? 意味がわかりません。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月18日 (金) 12:51 (UTC)
上記の「私のブログで抗議」を再度拝見させていただきましが、「ヲシテを子音に分解して表現するのは現代の研究結果であるから、同書体だと当時KHNMTRYSWを『文字として使用していた』という誤解を招く結果になります」ということを私は主張していませんが・・・。指摘させていただきましたのは「なお、おつくりになったものでは、ヲシテの中にアルファベットがあるように見えます。」という点です。ヲシテもアルファベットも同一書体、同一サイズ、同一背景です。そして、ヲシテは単純な幾何学的・機械的な表現ですから、アルファベットと区別がつきにくいです。--うまやど 2009年12月18日 (金) 13:15 (UTC)
お返事ありがとうございます。確かに、主張をころころ変えるのはいけませんね。当時の発言を踏まえて、『アルファベットがヲシテ文字と誤解を与えるのを避けるため』Wikimediaの現在のバージョンに踏襲させて頂いています。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月18日 (金) 13:51 (UTC)
議論がかみあってよかったです。ほっとしました。あとは、ヲシテの部分の書体の問題です。この点については、にゃさんが下のほうにまとめてくださいましたので、そちらのほうで。--うまやど 2009年12月18日 (金) 14:08 (UTC)
それと、こういう議論の最中に、どんどん記事を書き換えているけれど、どうなんですかね。--うまやど 2009年12月17日 (木) 12:54 (UTC)
それは豪快なリバートの理由にはなってませんね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月17日 (木) 13:03 (UTC)
リバートは失礼いたしました。しかし、議論の最中は、それに関する修正ならともかく、関係のない修正を加えていくことは、マナーに反すると思いますよ。実際、ここ数回の修正は記事の質を下げています。あなたが、同意を求めたのは、16日13時59分の「解釈が違うのは残念ですが、うまやどさんの図表も併記してありますので問題はないかと思います。」ですから、一旦、その手前[1]まで、戻させてもらいますね。--うまやど 2009年12月18日 (金) 04:41 (UTC)
上記の版に最小限の修正のみ加えました。--うまやど 2009年12月18日 (金) 09:21 (UTC)
コメント 「争点になっている部分を編集すること」が編集合戦を生むのであって、「争点になっていない部分を、議論中に編集すること」を「マナーに反する」とするだけではrevertの理由にならないと思います。内容ベースでお願いします。さしあたって、2009-12-17T15:56:38版に、2009-12-18T09:18:33版の変更点をマージしたものにしたいと考えますが、内容面で異論はありますか?
また、日時の表記はUTCで行うか、タイムゾーンを明記して下さい。「2009年12月14日 (月) 04:09の版」は、2009-12-13T19:09:50版のことだと思いますが、2009-12-14T04:09:XX版が存在した場合に混乱を招いてしまいます。ノートの署名などはUTCですし、履歴の保存方法も参考になるかと思います。よろしくお願いします。
--にゃ会話 2009年12月18日 (金) 10:32 (UTC)
編集した結果争点が増えてしまっています。内容面ということでいえば、それでリバートさせていただいています。とりあえず、現在の争点を解決して次に行きませんか。新たな内容については、現在の争点が終わってからにさせていただけませんか?--うまやど 2009年12月18日 (金) 10:55 (UTC)
Wikipediaの日時の表示は、編集履歴はJSTで、このコメントのサインはUTCですね。なんでこんなシステムになっているんでしょうか・・・。上記コメントの「16日13時59分」はUTC、編集リバートしたのは、 2009年12月14日 (月) 04:09 (JST)の版です。--うまやど 2009年12月18日 (金) 11:13 (UTC)
コメント現在の争点は何ですか? 繰り返される豪快なリバートには抗議します。出典に関してはホツマツタエ入門(東興書院)157ページ、370ページを論拠とします。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月18日 (金) 12:23 (UTC)
コメント 編集履歴の日時表示は特別:個人設定によって変わります。私は「日付と時刻」で形式を「2001-01-15T16:12:34」、タイムオフセットを「その他(時差を指定)」、「00:00」にしています(これでUTCになっています)。--にゃ会話 2009年12月18日 (金) 12:30 (UTC)
コメントこのコメントツリーの争点については、にゃさんが下にまとめられました。にゃさん、日時表示の設定方法ありがとうございます。これで統一できます。--うまやど 2009年12月18日 (金) 13:29 (UTC)
インデントが深すぎる為、下に移動しました。--うまやど 2009年12月19日 (土) 00:30 (UTC)
コメント 結局、ただ「イメージに合わない」と言っているだけで、ファイル:Japanese_Wosite_Base_48_table.svgを「不適切な情報」であるとまで言い切るには根拠に乏しいですね。「不適切な情報」とは、字形の理解を損なうような差異でなければ言うべきではありません。私は字形の理解を損なうとは考えませんので、「文章による記述」に限定する案には反対します。図版についても同様。よりふさわしいと思われる書体を用いることが前提になっていたならば、強くは反対しないところですけど。
意匠登録の事実を主張されるのであれば、文献番号を示して下さい。さきにそう申し上げました(2009-12-12T15:10:09)が、うまやどさんはご自身の主張を繰り返すのみで、根拠を提示していません。
「意匠権が設定されています」ということは、現時点で有効な意匠権だということですよね。つまり意匠登録が1994年以降に行われたと。意匠法第3条では、出願時点で公知の意匠、「刊行物に記載された意匠」、そしてそれに類似する意匠は登録を受けることができないとされています。さて、ヲシテはホツマツタヱの原文を開示したテキストに書かれているとおり、1971年及び1993年に「刊行物に記載され」ています([2][3])。このように意匠登録の不可能性を示す根拠が揃っている以上、文献番号が示され検証可能性が満たされなければ、意匠登録を前提に議論することはできません。
うまやどさんは本ノートにおいて過去、ファイル:Japanese_Wosite_Base_48_table.svgは『よみがえる日本語』の類似意匠であると主張しています。まさか写本と『よみがえる日本語』の字形の類似性を認めないはずはありませんね?
うまやどさんは主張を次のように変化させてきました。
いくらなんでもぶれすぎでしょう。次から次へと新しい理由を持ってくるわりに、著作権を主張できないのに勝手なライセンスをつけているファイル:Hotsuma.gifの件は未対応ですか。他人にけちをつける前に、まずご自身をただされたらどうですか。そろそろ善意にとるのも無理がありますよ。
--にゃ会話 2009年12月16日 (水) 23:27 (UTC)
意匠権については、わたしは権利保持者ではありませんので、議論を取り下げます。失礼いたしました。--うまやど 2009年12月17日 (木) 05:54 (UTC)
図版については、独自の解釈ではなく、単に古文書に書記されている形のものをアップすることにいたします。--うまやど 2009年12月17日 (木) 06:12 (UTC)
えーと、上記に書いたので同様の意見です。
ホツマツタヱを崇めつつ、意に沿わない研究をしているとみなした人々を、卑下して排斥する.それが今回取った行動だと、一連の書き込みから読めます。独自調査と思われる記事の改変によって、ネット上に載せている研究文献を、学問に値しないと排斥された、被害者の方々の身になって考えてみましょう。学問に値しないと勝手に決め付けて、人の研究を排斥しているだけですから、私から見れば、嘘の記事を書いて多くの人に迷惑をかけていることになります。嘘の記事を書かれることによって傷付けられた、大勢の人がいることに、心を配るべきです。

ノート:ホツマツタヱ/うまやど氏についてより

つまり、宗教なんですかね?→ホツマツタヱ? --基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月17日 (木) 10:27 (UTC)

図版の妥当性

「あ・い・う・え・お」の形の意味の説明のための「図」についても、上の「ヲシテ基本48文字の妥当性」と同様です。Wikipediaが百科事典であり、より妥当な表現をめざしている媒体であるならば、上に挙げた2つの方法で表現されるべきものと考えます。--うまやど 2009年12月16日 (水) 10:51 (UTC)

同様に上で説明してるので割愛。編集者として、他人を個人攻撃するために論点をすり替え、質問に答えないスタイルはどうかと思います。wikipedia:個人攻撃はしない--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月16日 (水) 14:06 (UTC)

再度整理

本セクションは、うまやどさんがこのrevert(2009-12-09T03:54:55)について、その理由を主張したところから始まっています。要するに、

を用いることについて、うまやどさんが独自研究・著作権侵害・意匠権侵害・不適切な書体選択であると主張したものです。 このうち独自研究・著作権侵害・意匠権侵害に関しては、否定論への反駁がないこと・取り下げられたことで、問題なしという線で結論に至ったものと思います。 よって、現時点で残っている論点は、(ファイル:Awauta.svg以外の)各svgについて、「不適切な書体選択」であるかどうか、という点になるでしょう。

書体選択に関して、うまやどさんは「古文書に書記されている形のもの」を使うべきであると主張し、MOTOI Kenkichiさんは「新しい現代向きの文字」を使うべきであると主張しています。 私としては、ここで重要視すべきは「字形の理解に寄与するものであるか」という点だと考えます。その点がよりよく満たされるものを使うべきで、古い新しいではないのではありませんか。時代とともに字形が変遷した文字の、特定の時代における字形を表すのであれば、その時代につくられた写本ベースになると思いますが、ヲシテはそうではないので。 --にゃ会話 2009年12月18日 (金) 10:32 (UTC)

コメント整理ありがとうございます。「字形の理解に寄与するものであるか」でいいと思います。ヲシテの字形は、有機的な世界認識(大自然)に基づいています。そういう種類のものであれば問題ありません。工学的・機械的デザインのものは適しません。古写本の字形は、少なくともハンドライトですので、最善でなくても、許容しうるものです。--うまやど 2009年12月18日 (金) 11:04 (UTC)
コメント「字形の理解に寄与するものであるか」には同意します。字形の理解において例えば、日の丸の円形がフリーハンドの円でないと解説には向かないとうまやどさんは主張されている、という風に理解しましたが、その理解でよろしいでしょうか?--基 建吉(MOTOI Kenkichi)
コメント日の丸の円形は、ヲシテには関係がありません。ここで論じられているのは「ウツホ」「カセ」「ホ」「ミツ」「ハニ」の形状です。これらの拡大図が示されているからです。丸い図というのは「ウツホ」ですから、上のコメントを「ウツホ」ということで議論することにします。いえることは、自然の中にある「○」であろうということです。そこには「ゆらぎ」があります。真円にはゆらぎがありません。他の4つの図についても同様です。--うまやど 2009年12月19日 (土) 01:05 (UTC)
例えですので厳密には無理ですが、上の例えでいうと、足と首をばらす、という話でなく、上の「鳥のような文字」を現代風にデフォルメするべきかどうか、という次元の話です。基 建吉(MOTOI Kenkichi)さんの場合は、上記の「ファイル:Chinese character oracle bone forms of 寅 yin2 3rd EB.jpg解説図」を「書体がゴチック」と認識されるのですね・・・?私にはそう見えませんし、作者もそう意図しているのではないと思います。元が、甲骨文字ですから。--うまやど 2009年12月19日 (土) 00:46 (UTC)
また、あなたのもともとの主張は、「ヲシテを子音に分解して表現するのは現代の研究結果であるから、新しい現代向きの文字で(説明する)必要がある」というのでいいんですよね。これに対しては、「アワウタという48音図がなければ成立できないウタがあり、5母音だけの文字がある。子音の図象は各子音で共通である。ここから一歩でも出れば作為なのかどうか。どこまでが作為か、どこまでは本来のものであるかの指針を与えるのは、本来学会の役割だ。現在、ヲシテに関する学会はない。そこで、それに相当するものとして信頼できる媒体に発表されている意見をその代わりとする。そのエッセンスを読者に提供するのが、百科事典であるウィキペディアの役割。あなたの説は、信頼できる媒体に発表されている意見を満たしていますか。」と問いかけさせていただいております。--うまやど 2009年12月19日 (土) 00:46 (UTC)
いや『無かった文字を捏造することになる』です。1888年には、子音の解釈がなされていますね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 01:52 (UTC)
ですので、『無かった文字を捏造することになる』という見解は信頼できる媒体に発表されている意見ですか、という問いです。--うまやど 2009年12月19日 (土) 02:16 (UTC)
よみがえる日本語の43p~49pにある『全ヲシテ表』です。これ以外の『文字』はないでしょ? あったとしても現在見付ってないはずです。どこをみても子音を文字として表記してませんから間違いようが無いですが?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 03:21 (UTC)
ここは研究の場でも、学会でもありません。下に記しました。--うまやど 2009年12月19日 (土) 03:58 (UTC)
「よみがえる日本語」では、ヲシテの成り立ちについて第2章で、母音・子音の図(態図象・相図象)について、第6章の1章をあてて、それが文字の成立時期から存在していることを示しています。--うまやど 2009年12月19日 (土) 05:07 (UTC)
えーと、信頼できる媒体に発表されている意見で反証を行うと、ここは学会じゃありません。ですか??? 謎です。成立については異論が無いので記事で反映してます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 09:18 (UTC)
6章の文頭にヲシテ原文の精読が必要である。とありますね。私も同感です。だもんで、第三者にとっても検証可能であろう、と、参考文献を示しています。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 22:48 (UTC)
すみません。スレッドのこのレベルで議論がすれ違ってしまいました。『無かった文字を捏造することになる』の「文字」の定義の問題です。ヤストシ写本のヲシテ原文に登場する文字は、よみがえる日本語の43p~49pにある『全ヲシテ表』です。次に、基本文字は一文字が漢字に例えていうと、篇と旁に相当する2つの部分に分けられます。これは文字の形態とアワウタから自明です。また、原文に、アイウエオ ウツホカセホと ミツハニノとの記述があり、ア・イ・ウ・エ・オのそれぞれが、ウツホ・カセ・ホ・ミツ・ハニに対応していることがわかります。子音に対応する図が単独の文字として記録している箇所は現時点で発見されている文書にはありません。しかし、語義・活用・助詞の働きの分析から、子音に対応する図が図として独立して認識されていたであろう事は確認できます。私見を述べれば、子音単独音は当時の日本語にもなかったため、単独の「文字」としては存在していなかったが一方で、例えば現代風にいえば「ヤ行」「マ行」というような音・文字の集合体を象徴する図は認識されていた、と考えています。なお、音声については検証できる資料が乏しいため、よみがえる日本語ではそれに対応している図を、相図象・態図象とよび、図象レベルの分析のみ行っています。
本題に戻ると、子音に対応する図が、単独の文字として記録されている箇所は原文にないが、文字の構成と、ヲシテ原文に登場する単語、その活用、助詞の働きなどから、文字の成立時期から態図象・相図象とも存在していたものと考えられる、という見解です。単純化していえば、態図象・相図象という篇と旁のようなものは、ヲシテの成立時からあった。もし、態図象・相図象を図示するのであれば、近代になって初めて認知されたものではなく、往時からあって再発見されたという立場で表現すべきであるということです。フォントということに限定すれば、フォントの一文字とはコードを割り振った記号ということになります。「よみがえる日本語」の立場にたてば、ヲシテのフォントの各記号に統一的な定義を与えるなら、それぞれは文字を表したものではなく全て図象を表したものということになります。図象が合着したものがヲシテという文字だとしているので、文字も図象の一種です。MOTOIさんの表現に引き寄せていえば「無かった図象を新造しているわけではない』です。--うまやど 2009年12月20日 (日) 09:46 (UTC)
だから、コロンブスの卵の故事のように見れば判る事でも『自明』というのを成立当時の他の文献で示す必要があると思われます。概念自体があれば、当然他の文献内でも説明しているはずです。ヲシテ成立時がいつか……文献によると西暦124年です。文字の成立は紀元前です。当然ながら、その概念自体がなぜ消えてしまったのか、について説明されなければならないとは考えませんか? ミヒカリマルノ ウチニイリ、と文献内で文字の説明があるくらいですから、子音に関しても説明があったはずなのです。それが発見されていない、と言うことは逆に作為によって消失させられて居る可能性がある、とも言えます。で、異説ですが別の概念として提唱されている『宇宙レベルの表音象形文字』という説(ホツマツタエ入門・鳥居礼272P)では宗教と密接な繋がりがあると書いてあるのでその点も書かなければダメなのではないでしょうか。現状無い、あるいは文献内で発見できていない、というのがつくづく惜しいです。-基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 11:31 (UTC)
わたしは、未発見のミサカフミ、あるいはカグノフミにあるかもと思っています。「作為によって消された」については、ロマンの世界で、検証ができないのでは? ミカサフミ・カグノフミは、生洲問答によれば、少なくとも、吉備真備の時代までは残っていました。残念ながら検証はできないですが。その時代まであって、ヤストシさんの手元には、もうミカサフミ8アヤと、フトマニだけになってしまっていました。吉備真備とヤストシさんの時代の間に、「作為によって消す」ような理由は見当たりにくいように思います。それで単純に虫に食われたとか、散逸したということと思っています。一方、フセンさんの手元には、ホツマツタヱの別写本と、ミサカフミもありました。これが見つかるといいんですけどね。--うまやど 2009年12月20日 (日) 11:53 (UTC)
消えた部分についての検証はwikipediaではなく、書籍による出版によってなされるべきでしょうね。溥泉(ふせん)さん系列の元の本は、さん系列ではないでしょうから、発見が待たれますね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 12:41 (UTC)
写本のありかは案外、アメリカかヨーロッパかもしれません。占領期のどさくさで流出した可能性がありますから。検索できないもんですかね。あちらの古文書の所蔵を。現時点では、既発見の写本の範囲で、研究するしかありませんねぇ。あれだけでも、研究すべきこと・できることは山のようにあります。「日本語原論プロジェクト」でも10冊くらいは。--うまやど 2009年12月20日 (日) 13:14 (UTC)
ありえますね。ではそちらの方面で頑張ってくださいませ!--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月21日 (月) 11:39 (UTC)
    • 現在書籍上で示されている第一次資料としては、古文献の書体として『フセン逸文』『ヤストシ写本』『小笠原写本』『駒井写本』『和字考』『後藤文書』『カカンノンテン箱書』などがあり現代の書体としては『松本善之介』書体、『鳥居礼』書体、『池田満』書体などがあります。このうち、池田満書体においては、上記の議論のとおり権利関係が問題となる可能性があり、wikimediaでの使用に適さないと思われます。また、古文書の書体での解説は、文字を分解して提示する事は、古文書の捏造を提示する事になりますので問題がありましょう。ここの議論の反映はバージョンアップで示すべきかと。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月18日 (金) 15:24 (UTC)
「古文献」の幅が随分広いんですが、通常学術的な文脈では、近世までのものを「古文献」「古文書」と呼び、明治以降のものはそう呼びません。また、ヲシテの文書を活字で示すようになったのは、松本善之介の再発見以降です。その結果、筆写によって文書は伝承されて近年まで至りました。この場合、全ての写本を同列に扱うのではなく、伝承の親子関係に基づいて評価する必要があります。筆写とはアナログコピーに他なりませんので、世代を追うごとに劣化・変化する宿命にあるからです。このような認識は共有できていますか?--うまやど 2009年12月19日 (土) 01:05 (UTC)
次に、現代書体についてですが、「池田満書体においては・・・」と議論を展開しておられますが、Wikipediaに掲載できないということと、だから「新しい現代向きの文字で」表現しなければならないことの間には関係がありません。「字形の理解に寄与するものであるか」という観点に同意されていますから、その観点でどのような表現が妥当かということをお考えいただければ幸いです。--うまやど 2009年12月19日 (土) 01:05 (UTC)
ではその部分が原典で示されている、という箇所の出典が説明には、百科事典ですゆえ必須となりますね。原典の説明部分の出典のほう、宜しくお願いいたします。やっと解決してホッとしています。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 01:27 (UTC)
「その部分」がさしているのは、何ですか。「ヲシテの字形は、有機的な世界認識(大自然)に基づいています。」をさしているとすれば、そのことは「よみがえる日本語」で表明されています。--うまやど 2009年12月19日 (土) 02:16 (UTC)
もちろん
いえることは、自然の中にある「○」であろうということです。そこには「ゆらぎ」があります。真円にはゆらぎがありません。他の4つの図についても同様です。
の説明について原典に掲載されているということですよね? 第一次史料の。--2009年12月19日 (土) 03:38 (UTC)--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 03:43 (UTC)
「百科事典だから、原典の出典が必要」というのの「原典」が古文書そのものをさしているとすれば、それは研究に他なりません。Wikipediaは百科事典であって、研究発表の場ではありません。また、研究における見解は、資料の総合的判断を含んでいます。本来は、その総合的判断が妥当かどうかを判定するのが学会の役割です。学会がない場合、その他の信頼に足る媒体で発表されている見解をその代わりとするというのが、Wikipediaのルールと認識しています。ここは百科事典であって、個人の見解の表明の場ではなく、また、研究の場でもなく、学会の代わりですらありません。その物事に関する、できる限り信頼に足る全体像を示す、ということで記述いただければありがたいです。また、この項目は「ヲシテ」であって、「ヲシテ研究」の全体像を示す場ではないと思います。学会もない状態で「ヲシテ研究」の全体像を示すと、独自の見解の乱立になります。「ヲシテ研究」の全体像を示す事は、避けられるべきと考えます--うまやど 2009年12月19日 (土) 03:56 (UTC)
なお、「中立性」テンプレートは、2009-06-12T03:05:19の版に貼られたものです。最近の記述は、少なくとも「否定論」と「肯定論」について目配りのある内容になっています。既に「中立性」テンプレートははずせばいいものと考えます。一方、「ヲシテ研究」の全体像に踏み込めば、当面「中立性」テンプレートをはずすことは不可能になります。--うまやど 2009年12月19日 (土) 04:38 (UTC)
えーと、つまり、今まで説明されてた図案は『日本語原論プロジェクト説』ってことですね。了解しました。中立な図案でよかったです。ありがとうございました。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 09:18 (UTC)
複数の書体が伝承している中で中立な図案というには、少なくとも諸写本の書体や『日本語原論プロジェクト説』を許容しうる形である必要があるでしょうね。現在のは、満たしていません。そして、「中立な図案」を議論しているのではなく、「字形の理解に寄与するものであるか」が問題であることをお忘れなく。--うまやど 2009年12月19日 (土) 10:56 (UTC)
議論が繰り返しになってませんか? 否定された論説を復活してきてます。うまやどさんの強引な編集方針についてはWikipedia:コメント依頼したらいいと思うんですけど。図版の是非については投票もあるんじゃないですかね?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 22:39 (UTC)
研究をここでしている、という論説を補強するために図版を引き合いに出すのはおかしいと思われます。リバートの理由としてはおかしすぎる結論です。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 00:13 (UTC)
筆写とはアナログコピーに他なりませんので、世代を追うごとに劣化・変化する宿命にあるからです。このような認識は共有できていますか?
ええ。だから『親本』の検証も史料批判もなされるべきでしょう……なぜかそうなっていませんが。
子音の図象は各子音で共通である。ここから一歩でも出れば作為なのかどうか。
その一歩を出るのに、二千年かかる場合もあるのです。発明発見とはそういうものですから、慎重に。かつ、この説が立証できた場合はハングルの概念が日本産だった、というトンデモ説が現実になりえますから物証が無いと非常に難しいと思われますよ。その概念はヲシテ文献からみたら明らかなので偽証を晴らすべきです。論駁するためのソースとなりうる本の著者がその偽証を作ってはいけないのでは、と思われます。原典から引用して、と言う場合は出版本の説の補強として用いることは可能でしょうね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 06:57 (UTC)
メッセージが脱線していますが、本題は、「図版が字形の理解に寄与するものであるか」ですよね。この点について議論してただけると助かります。--うまやど 2009年12月20日 (日) 09:55 (UTC)
おっしゃるとおり、図形を手書きで更新しました。-基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 10:32 (UTC)
カセ・ホ・ミツ・ハニは確認しました。いいんではないかと思います。ありがとうございます。ウツホは修正もれでしょうか。--うまやど 2009年12月20日 (日) 13:16 (UTC)
いえ、アップロードしてますが、反映されてないようです。確認し訂正します。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 13:19 (UTC)
画像を更新しました。なんでしょうかね? 確認取れましたら、一旦議論終結ということで。掲示sれている字形についての議論はノートで、ということにしときましょう。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月21日 (月) 11:39 (UTC)
いいと思います。議論終結です。--うまやど 2009年12月22日 (火) 01:42 (UTC)

リバートと個人攻撃に関して

うまやど氏変更履歴 2009-12-18T18:18:33時点における版

このリバートでは、その根拠がまた示されていません。完全に私をターゲットにした個人攻撃としか思えないので困っています。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月18日 (金) 15:24 (UTC)
この件に関しては、「リバートは失礼いたしました。」<うまやど 2009年12月18日 (金) 04:41 (UTC) >と表明させていただきました。--うまやど 2009年12月19日 (土) 00:30 (UTC)
つまり、個人攻撃ではないということですね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月19日 (土) 01:54 (UTC)
リバートに関しての見解を示していただけると助かります--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 00:10 (UTC)
読み直してみると議論がかみあっていませんでした。うまやど氏変更履歴 2009-12-18T18:18:33時点における版 というのは、版を12月14日の版に戻した件ですね。例えば、2009-12-17T15:56:38 版において「偽書説」を追加されています。その中で偽書の根拠として4項目を挙げておられます。しかし、この4項目とする根拠がありません。ホツマツタヱの「神代文字捏造ブームと偽書疑惑」の部分では、捏造された文字であるとする根拠を4つあげていますが、その根拠は、小松茂美『かな』岩波新書679、にあります。しかし、MOTOIさんのこの部分の追加には、4項目が選ばれた根拠が伺えません。結果として、「なぜこの4項目」ですか、という議論を延々とすることになるでしょう。フォントと図について、これだけの時間・労力を要していますが、同様のものに付き合わされるのはご勘弁願いたいです。記事として、情報は増えますが、品質が下がります、また、より争点が増えること予想されますので、リバートさせていただきました。ただ、申し訳ありませんが、この件について、これ以上返答することはありません。フォントと図についての議論が終わった後、必要であれば返答します。--うまやど 2009年12月20日 (日) 10:23 (UTC)
なるほど。根拠について議論すると時間の無駄ですね。で、松本善之介書籍の出典もついでにリバートされてるので別の意味があるのかと思いました。いっしょくたにやってるので。今後は不要な記事を理由を示して削除し、大雑把なリバートをするのは、やめてくださいね。異論無ければ議論終了とします。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 10:50 (UTC)
賛同いただき感謝します。--うまやど 2009年12月20日 (日) 13:17 (UTC)