ノート:スマラン慰安所事件/過去ログ1

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>論争点:の項目は出典が不明なので「ごく一部の人のあげる」をつけました。内容も同じ理由で表現を修正しました。これを編集したい方は出典・根拠を明記した上で行ってください。 OzuYasu3rou 2007年4月7日 (土) 08:12 (UTC)

  • 論争点という項目名にすら「ごく一部の」という個人的な観点を明記しようとするのには、正直あきれました。最低限のルールで項目名だけを戻します。Poo-T 2007年4月11日 (水) 04:51 (UTC)
  • >論争点:の項目は出典がないので削除しました。これを再度編集したい方は出典を明記した上で行ってください。 (Poo-Tさんへ、Wikipediaには差別主義者には「一部の」という修飾語をつけてそれが読者が拒否すべきものであるとわかるように書いて良いという方針があり、私はこれを援用しました。しかし今回は煩雑なので削除しました。「最低限のルール」の根拠をお教え下さい)OzuYasu3rou 2007年4月11日 (水) 16:54 (UTC)

>些末なことですが、小田島大佐の名前は「薫」でなく「董」(ただし)ですよ。吉見『従軍慰安婦』参照。訂正しておきました。

やたらと要出典をはる人がいるようですので、記事を書いた人は追記される事を希望します。私の知っている部分は書きました。吉見が云々は不適当です、本を読めば吉見はオランダの裁判記録で書かれたものを紹介しているだけだからです。ゆうなんた 2007年11月26日 (月) 02:17 (UTC)

「吉見によれば」は削除しました、理由はこの事件は吉見の調査による発見ではなく単にオランダの軍事裁判の報告にすぎないから、そして同じソースから同じ事を他の人も報告しているからです。雑誌で読みました。ゆうなんた 2007年11月28日 (水) 18:02 (UTC)

正確に「オランダの軍事裁判の報告を調査した吉見によれば」とした。雑誌の方は吉見の孫挽きと考えられる。Europe 2007年11月29日 (木) 19:24 (UTC)

細かい点ですみませんが、荒らしとして投稿ブロックになったEuropeさんの編集跡が残っていたのでとりあえず戻しました。できれば編集意図を説明の上編集下さい。ゆうなんた 2007年12月5日 (水) 15:43 (UTC)

ゆうなんた氏は長期荒らしのとして警告されています。ご報告まで。Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック

スマラン事件

インドネシアの現代政治史においては、スマラン事件とはインドネシアの独立宣言後、武器譲渡をめぐって現地の日本軍部隊とインドネシア人武装組織が衝突した事件のことを指します(インドネシア側では「スマラン5日間の激戦」と呼称しています)。いずれこの事件については新規に記事を投稿したいと思っていますが、その際には本記事との曖昧さ回避措置を取らせていただきたく存じます。 --Eine kleine 2007年10月28日 (日) 00:54 (UTC)

ノートでの投稿内容

【無期限ブロックユーザーのコメントを削除しました。Poketai 2008年1月17日 (木) 16:00 (UTC)】との主旨で、投稿内容が削除されておりましたが、他の編集者の方のノートでの発言を無断で削除する行為は他の編集者を誹謗中傷するなど特別な事情がないかぎり荒らし行為とみなされますのでご注意ください。Wikipedia:荒らし(ノート荒らし)を参照ください。ユーザーがブロックされることでノートでの投稿を、勝手に削除して良い理由にはなりません。--大和屋敷 2012年1月26日 (木) 09:35 (UTC)

本記事の外国語のリンクがないのはなぜ?

本記事の外国語のリンクがないのはなぜでしょうか?欧米系の語に当記事に該当する記事が存在して当然と考えますが?ローカルな日本だけで知られる記事でしょうか?--2013年2月12日 (火) 08:52 (UTC)

視点の差ではないかと思います。日本だと、強制連行を認めたくない人達にとって本事件は河野談話でも言及されていて否定しづらいという加害者視点でこの事件が知られていている、すなわち「日本人が加害者として軍法会議にかけられた、うち1人は死刑になった!!」というのが、日本側にとって特筆的なのに対し、日本以外の海外では被害者の立場に立つのが普通で、日本政府も強制連行を認めたか否かは特別な事ではないのではと思いす。例えばオランダ語版では nl:Troostmeisje と一般的な記事しかありません。--118.21.20.12 2015年9月29日 (火) 09:16 (UTC)

リストの作者は?

以前に日本人と関係があった「道徳観念に乏しい」女性達のリストを作り若い女性の身代わりとさせたケース等もあり>>
リストを作ったのは日本でしょうか、それともオランダ側でしょうか?付加説明をお願いします。--Watson system会話2013年9月27日 (金) 16:03 (UTC)

出典の詳細提示をお願いします

付記に「また逆に軍の強引な「志願者」徴募に対し憲兵隊が介入して女性を守った事例も述べられている」と書かれていますが、出典である『オランダ政府所蔵文書調査報告』には、「憲兵隊が介入して女性を守った事例」が見当たりません。何ページに書かれたどの事例であるのか?提示をお願いします。--よしのぶ会話2015年8月6日 (木) 09:59 (UTC)

出典には「憲兵隊が介入して女性を守った事例」が見当たらないので削除します。復活される方はページ数などを添えてください--よしのぶ会話2015年9月1日 (火) 21:46 (UTC)

この編集この編集のことですね。つまり、よしのぶさんの手許に資料が無いということですよね。読むことができれば瞬時にページ番号を追加できますから。手許に資料がなくてこの問題に明るくないのであれば、もう少し待つべきだったと思います。また、この編集で『季刊 戦争責任研究』第3号(94年春季号)p44-p50、新見隆「〔資料〕オランダ女性慰安婦強制事件に関するバタビア臨時軍法会議判決」を追加して書き換えをされていますが、何ページに書いてあるのですか?これはバタビア臨時軍法会議判決であって、プールヘイスト報告書に関するもではありませんので、「虚偽のソース提示」と言われてしまうかもしれませんし、下手をすると投稿ブロックの方針のうち虚偽情報の記載に引っかかる危険性もありますので十分気をつけてください。バタビア臨時軍法会議判決にはマゲランのことも書かれていますが、記事の該当部分はプールヘイスト報告書に関する記述になっていますので、『季刊 戦争責任研究』を使いたいのであれば、 第4号 (94年夏季号)の「〔資料〕日本占領下蘭領インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府調査報告」を参照するのが筋ですね。よしのぶさんは、この号のページ番号も要求されているので、まだ読まれていないということですよね。ちなみに、「憲兵隊が介入し志願者でない女性を守った」というくだりは、『「慰安婦」問題調査報告・1999』の120頁に記載されています。ただ、スマラン慰安所事件と直接関係があるかというと、これがないんですね。マゲランやフローレス島についても同様のことが言えるので、プールヘイスト報告書という項目を新たに開設するのもよいかもしれません。いずれにしても、ご自身のミステイクを修正してみてください。私もお手伝いしたいのですが、今は忙しいので、1週間くらいしても修正できない場合にお手伝いするすもりです。また、タイトルの「白馬事件」ですが、これはあくまでも俗称であり、しかも侮蔑的 (内海愛子さんは「白人へのの劣等感から」とか言っていますが)なのでウィキペディアの項目のタイトルとしては好ましくないと思いますし、研究書や論文を見ると、スマラン慰安所事件スマラン慰安婦事件などと書かれていますので、改名したほうがよいのではないかと考えています。Takabeg会話2015年9月28日 (月) 10:37 (UTC)
コメント Takabeg さん、IP が変わりましたが、その節はこの編集
これらは氷山の一角で、恒常的にWikipedia:善意にとるWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:礼儀を忘れないを無視して、議論の錯乱を行っているものと判断しております。
とコメントを頂戴しておりますので、Takabeg さんも、思い違いは思い違いとして「恒常的にWikipedia:善意にとる」ようにしてはどうでしょうか。むやみに投稿ブロックをチラつかせて議論をするなら脅迫のように感じる人もいるでしょう。
季刊『戦争責任研究』なら、総目次から何号に目当ての記事があるか、及び発行年で目星を付け、東京都立図書館の「蔵書検索」で「季刊 戦争責任研究」で検索すれば探せるので、都内にお住まいなら地元の図書館経由でリクエストすれば借りられます。2~3週間で来たかと思います。(一方、某朝鮮史関係の本は6週間経っても来ませんが) 東京以外ですとカーリルで探してみてください。それで無かったら、ちょっとわかりません。
私の手元には3号の部分的コピーしかありませんが、この範囲の中にはマゲランとフロレスの件は見当たりませんでした。4号に関しては、これも日本人の一人として知っておくべき内容が書かれているのではと思いますが、現状では私にはこれを取り寄せて良く理解し加筆するパワーがありません。
ちなみに書籍だと
  • 『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』ISBN 978-4896180237
  • 『折られた花: 日本軍「慰安婦」とされたオランダ人女性たちの声』ISBN 978-4400407294
  • 『司法が認定した日本軍「慰安婦」』ISBN 978-4780305142
  • 『「慰安婦」強制連行―史料 オランダ軍法会議資料×ルポ 私は“日本鬼子”の子』ISBN 978-4906605415
などがあるようで、『戦争責任研究』よりは入手しやすのではと思います。内容の吟味は必要ですが、これらの書籍もこの記事に出典として使えるかもしれません。(とはいえ1冊も読んではおりませんが) --118.21.20.12 2015年9月29日 (火) 09:16 (UTC)
Takabegさん。
  • よく理解できないのでお聞きしたいと思います。何を「もう少し待つべきだ」と言われているのでしょうか?上記削除は、ノートに記載し3週間以上待ってから削除しています。もしそれを「もう少し待つべきだ」、と言われるのであれば何カ月待てばよいのか、教えていただけますか?
  • 「これらの資料には、白馬事件以外にもマゲラン事件やフロレス事件など、日本軍将兵による女性の拉致や憲兵隊による徴集過程が書かれている。」の文章は確かに少し変ですので変更しておきましょう。私が出典として加筆した著作には「白馬事件」の裁判記録における「日本軍将兵による女性の拉致などの徴集過程」が翻訳され描かれています。(類例:被告3「・・・4か所の建物に輸送する事を命じた」陳述「オランダ女性を収容所から移転させる計画について知っていた。・・・免許を申請した」判決文「初めの抵抗の後・・・最初に加えられた実力行使の効果として」「被告3は最初に訪問した収容所数か所で抵抗にあった後・・・」(新見隆「〔資料〕オランダ女性慰安婦強制事件に関するバタビア臨時軍法会議判決」)
  • 「白馬事件」の改名提案には賛成いたします。またプールヘイスト報告書の記事を造ることも賛成はしますが、あまり参加できないかもしれません。--よしのぶ会話2015年10月1日 (木) 09:11 (UTC)
よしのぶさんへ: 「憲兵隊が介入し志願者でない女性を守ったことが報告されている」云々という記述についてですが、2007年11月20日に山吹三十郎さんによって"要出典"が添付され、2007年12月13日にChecktereさんにより除去されて、2008年6月22日に122.216.44.218さんによって出典が提示されています。この方がページを付ける必要性を感じなかったのか、それとも単に付け忘れたのだと思いますが、そのまま7年以上、ページ番号なしできてしまったようです。それはそれでよろしくないことですが、プールヘイスト報告に関心のある利用者であれば、憲兵隊が介入し志願者でない女性を守ったことが報告されているという事実を知っているはずですので、それを知らなかった利用者が"要ページ番号"を添付して、わずか3週間で除去してしまうというのはいただけません。122.216.44.218さんが添付したソース『「慰安婦」問題調査報告・1999』1999年2月、明らかに間違いであるという確信を持っている場合は別ですが、"要出典"や"要ページ番号"が添付されている箇所の除去を積極的に行っている利用者 (花鳥風月警部さんなど)が数年単位で待ってから除去しているのを見かけますので、知らなかったり確信が持てなかったりした場合は、数年単位で待つか、どうしても待てない事情があるのなら、コメント依頼などを使って他の利用者に情報提供を求めるのがよろしいかと思います。また、上のコメントで悪く受け取られる可能性について言及したのは、IPさんは悪意でもってうけとめられたようですが、実際には私の老婆心から出たものです。Yoshinobukoさんがこの項目の他に幾つかの項目で似たようなミステイクをおかされているのを目にしまして、万が一コメント依頼などを立てられてしまった場合、できる限りご自身で (当記事の場合ですと、「憲兵隊が介入し志願者でない女性を守ったことが報告されている」云々という記述) リカヴァーされたほうが 他の利用者の心象がよくなるかなぁと思った次第です。それでは、検討してみてください。Takabeg会話2015年10月2日 (金) 16:44 (UTC)
  • >わずか3週間で除去してしまうというのはいただけません<
  • >数年単位で待つ<
  • そうしなければならない根拠があるなら示してください。もし根拠がないとしたら、上でIP118.21.20.12がおっしゃっているように[1]「むやみに投稿ブロックをチラつかせて議論を」しておられるということでしょうか?--よしのぶ会話2015年10月2日 (金) 17:03 (UTC)

「また逆に軍の強引な「志願者」徴募に対し憲兵隊が介入して女性を守った事例も述べられている」について出典のページ数を記載しました [2](p120)。また、よしのぶさんが提示された「『季刊 戦争責任研究』第3号(94年春季号)」は20年以上前に刊行された日本の戦争責任資料センターの機関紙なので、書籍で入手したり、図書館などで閲覧することができません。Wikipedia:検証可能性を満たしていないかと思いますので、別途に複数の検証可能な出典を提示いただけませんでしょうか。(検証可能な出典が提示できない場合は、その旨のみを報告ください。)--青鬼よし会話2015年10月4日 (日) 17:05 (UTC)

コメント Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にというのもあるので、黎明期の人も少ない頃のWikipediaならともかく、今どき「AはBである。出典:毎日新聞。いつの記事の何面かは自分で探せ」みたいなのは出典にならないですね。第三者が検証できないのでは検証可能性を満たしません。ですから書名やページ数は、書きたい人あるいは記述を残したい人が記す責任があります。要出典をつけて、示されなければ削除する事に関しては、Wikipedia:井戸端/subj/検証可能性の「出典を示す責任は掲載を希望する側に」の解釈についてで議論済です。長くて全部は見切れませんでしたが、要出典をつけて1週間で消すには早すぎる、という意見もありましたが、合意には至っていないかと思いますが、3週間以上待ったなら大威張りしていいかと思います。もちろん、それを過ぎてからでもいつでも出典を明記の上で戻せますので何も困る事は無い筈です。いずれにせよ、疑問に感じたから要出典をつけて、一定期間待っても明記されなかったので消したからといって、なぜ何年も待たなかっただの、これはミスだ調べずに消したのごとき文句は言えません。書きたい人が最初にしっかり書かなかった、あるいは残したい人が速やかに示さなかったのが悪いだけの話です。
『季刊 戦争責任研究』のバックナンバーですが、品切れの号はコピーの簡易製本で1冊500円でおわけします。との事ですから、都外在住の人も入手できます。このテーマを知りたいなら少年ジャンプ2冊分ぐらいのお金で「高過ぎる」という事はないので、入手は容易な部類でしょう。
ところで日本占領下インドネシアにおける慰安婦 p.120 前後は、こうなっていますね。
8 スマトラ

スマトラ地域に関しては、慰安婦に関する記述のある公文書はほとんどなかった。スマトラには最低でも7万人の兵士が駐屯し、この数はジャワに勝っていたため、公文書がないという事はむしろ意外であった。
(中略)
プールヘイストは、抑留所から「志願者」を募る軍当局の強引さを報告しているが、同時に強引な軍の行為に対し、憲兵隊が介入し志願者でない女性を守ったとも記述している。
これってスマトラ島の話ですよね? バタヴィアすなわち現在のジャカルタがあったのはジャワ島なんですが。バタビア臨時軍法会議で審理されたのは、全てスマランでの事件に関してです。こうなると、白馬事件はスマランで起きた事件、と定義すると、白馬事件に、別の島の話である、スマトラでは強引な軍の行為に対し、憲兵隊が介入し志願者でない女性を守ったという記述があるからといって、白馬事件に「強引な軍の行為に対し、憲兵隊が介入し志願者でない女性を守った」と書くのは、出典としていかがなものでしょうか。これは白馬事件に関しての記述ではないのでは。
一方、『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』ISBN 978-4896180237 は、少ししか読めていませんが、ジャンはスマランに連れていかれています。p.51-52 には、銃剣を帯びた日本兵2人が家に来て、スーツケース1つとマットレス1枚だけしか荷物として許さず、トラックに載せられた旨が書かれています。スマランで強制連行され慰安所で強姦され強制堕胎させられたのなら、白馬事件にもっと詳しく書いてもいいかと思います。別の島での出来事の「憲兵隊が介入し志願者でない女性を守った」をわざわざ書く位なら、です。もちろんジャンに関しては「強引な軍の行為に対し、憲兵隊が介入し志願者でない女性を守った」ような事は書籍には書かれていません。少し言っていることが矛盾しているかもしれませんが、ジャンは議会でも証言しているし、書籍になっているので、『季刊 戦争責任研究』だけというわけではなく、それ以外の出典からも加筆は可能でしょう。--210.163.56.189 2015年10月8日 (木) 09:45 (UTC)
こんにちは。ご回答ありがとうございました。私は特定の政治団体を支持することはないので、日本の戦争責任資料センターの書籍を購買は差し控えたいと思います。--青鬼よし会話2015年10月9日 (金) 23:03 (UTC)
コメント 青鬼よしさんの「調査する気はありません」の意思は認めます。しかしそれは同時に「バタビア臨時軍法会議など受け入れないぞ」宣言をしたものとみなしますので、そうであれば速やかにこの記事の執筆および議論から撤退願います。
それにしてもこの編集は困りますねぇ。『季刊 戦争責任研究』第3号に、”日本軍将兵による女性の拉致や憲兵隊による地位の濫用、また逆に軍の強引な「志願者」徴募に対し憲兵隊が介入して女性を守った事例”など記されていないでしょう。調査する意思も無いと言っているぐらいだから調べてなどいないが、その調べていない出典の係り方を変えるような編集をしました、という事ですか。私は穏当に「雑な脚注の示し方ですね」と言っておきますが、Takabeg さんだったら「虚偽のソース提示」と言われてしまうかもしれませんし、下手をすると投稿ブロックの方針のうち虚偽情報の記載に引っかかる危険性もあります、と言われるでしょうね。それ以外にも、憲兵隊が介入して女性を守った、云々はスマトラ島の話であり白馬事件に関しての記述ではないと前回、ここで指摘していますよね? 問題のある書き方・内容なので速やかに修正してもらえませんか、この記事から撤退する前に。3週間待ちますが、不適切な記述が修正されないなら、自らによる修正を放棄したものとみなし、憲兵隊が介入して女性を守った、云々の記述は削除します。もちろん、スマトラ島などに書くのは妨げません。
日本はサンフランシスコ講和条約第11条で "Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan" という条件を飲んで降伏したのだから、バタビア臨時軍法会議の結果も受け入れ済み。その判決でオランダ女性に対する強制連行が事実として認定されている以上、強制連行を日本が認めないという立場には立てません。嫌なら連合国ともう一度、戦争するしかありません。それでも旧日本軍がやった事が消えるわけではありませんが。
バタビア臨時軍法会議の判決はバタビア臨時軍法会議の判決に過ぎず、それを「特定の政治団体」呼ばわりした所で無効にはできません。『季刊 戦争責任研究』第3号のはオランダまで行って調査し和訳したものですが、今なら、2013年にようやく公開された日本側の公的な資料があります。「軍強制」詳細開示 / 慰安婦記録で公文書館 /河野談話から20年によると

判決文などによると、戦時中の44年、ジャワ島スマラン州に収容されていたオランダ人女性を、日本軍将校が命じて州内4カ所の慰安所に連行し、脅して売春させた。
 判決文には将校らの証言として「州警察の長に、遊女屋用の女をキャンプで選出するよう依頼した」「婦女は○○(将校の名)の要請により州の役人が連れ出した」「女たちは遊女屋に入るまで、どういう仕事をするのか聞かされていなかった」と記載されている。

とあります。この資料は河野談話の基となっているのですが、2013年まで日本国民には知らされていなかったという所から「お察しください」な訳ですが、未だに知らずに河野談話見直しを叫ぶ人達までいますね。「計約530枚」とあるから、判決だけではなく裁判の過程も書かれているようですね、日本語で。だから『季刊 戦争責任研究』が気に入らないなら、2013年に公開された資料を元に書かれた書籍があれば、そちらから書けば良いのでは。無ければ『季刊 戦争責任研究』しか書くしかありません。少なくとも、ここから書いたことで批判されるいわれは無い筈です。
いずれにせよ、何か調べて記事が書けるぐらいの能力のある人なら、白馬事件に関しても、パッとネットで検索して参考になりそうな書籍は図書館に予約を入れて読むといった事はできるし、そうすればある程度の判断はできるので、自分で調べる事をせずに「白馬事件って冤罪だよな!」とか「強制連行なんて無かった」のような方々に影響される事はありません。この記事の執筆に参加している方々のお考えに関してはわかりませんが。--210.163.56.189 2015年10月11日 (日) 09:36 (UTC)
>「バタビア臨時軍法会議など受け入れないぞ」宣言をしたものとみなしますので、そうであれば速やかにこの記事の執筆および議論から撤退願います。
「また逆に軍の強引な「志願者」徴募に対し憲兵隊が介入して女性を守った事例も述べられている」の出典の提示を求められていたから、出典として「女性のためのアジア平和国民基金:日本占領下インドネシアにおける慰安婦。120ページ」を提示しただけで「バタビア臨時軍法会議」について言及したことはないのですが…? それが「速やかにこの記事の執筆および議論から撤退願います。」となる理由について、Wikipediaのルールに基づいて説明していただけますでしょうか。また、日本の戦争責任資料センターの書籍を購買しないことが「調査する気はありません」という意思表示になるということについても併せてご説明ください。以後に書かれていなる内容については、その説明を受けてから読むことにします。(本来はユーザーのノートページで行うことですが、この人は匿名で活動をされているため、ここで会話をさせていただきます。)--青鬼よし会話2015年10月11日 (日) 12:05 (UTC)

改名提案

  • 「白馬事件」は白人女性を馬になぞらえた呼称で、今日的には不適切(不愉かつ差別的)だと思いますので改称したいと思います。変更後題名「スマラン慰安所事件」でよろしいでしょうか、ご意見ください。--宇井木辺出夫会話2015年10月22日 (木) 06:59 (UTC)
ウィキペディアの基本原則の一つWP:NPOVに従って、スマラン慰安所事件 (使用例は比較的多い)ないしはスマラン慰安婦事件 (使用例は少ない)が、ウィキペディアにおける記事名として適切であると考えます。Takabeg会話2015年10月23日 (金) 10:58 (UTC)
  • 反対 記事タイトルの的確性については論点があると思いますのでWikipedia:記事名の付け方に準じて再提案してください。「今日的に不適切」との主旨の改名提案には反対させて頂きます。【「スマラン慰安所事件」が比較的多い】との根拠も確認できませんでした。「スマラン事件」「オランダ人慰安婦事件」「スマラン慰安所事件」がほぼ同等の使用状況ではないでしょうか。白馬事件が「不愉快」「差別的」なる主張には根拠が発見できませんでした(wikipediaガイドラインにも沿った改名理由ではありません)が、「白馬事件」の使用例はあんがい少ないような印象を持っています。--大和屋敷会話2015年10月24日 (土) 07:31 (UTC)
  • 若干語弊があるようですが、改名提案の理由は、WP:NPOVに反することではなく、あくまで「不快かつ差別的な呼称だから」、ガイドライン:Wikipedia:不快なコンテンツに反していること、です。ガイドラインの適用範囲は記事名の付け方に限った話ではないと思います。この事件については、「スマラン慰安所事件」(井上ほか『BC級戦犯裁判を読む』(日経新聞社、2010)、林『BC級戦犯裁判』(岩波新書、2005))、「スマラン事件」(林、同左)など代替的な名称がいくつかあり、「白馬事件」は正式名称でもなんでもないので、敢えてガイドラインに反する名称を使う理由はまったくないと思います。以上の趣旨を踏まえてご検討いただきたいのですが、大和屋敷さんは、改名に反対する、というご趣旨でしょうか?--宇井木辺出夫会話2015年10月25日 (日) 07:57 (UTC)

コメント【「スマラン慰安所事件」が比較的多い】としたのは「スマラン慰安婦事件」と比較して多い、ということです。また、その使用例については、実際に関連書籍や論文を読んでいない利用者の方々にはわかりにくいのかもしれませんが、上で宇井木辺出夫さんが少し触れてくれています。それに、白馬事件ですと、白馬山荘殺人事件が白馬事件と略されないでしょうから別として、札幌の白馬殺人事件など他の事件もヒットしてきます。宇井木辺出夫さん、個人的に不快に思う利用者や読者もいるでしょうが、不快なコンテンツ記事名の付け方にはあてはまりませんので、それをもって改名しようというのはウィキペディア的には厳しいと思います。「WP:NPOVに反」しているというのは、未だ日本語版に翻訳されていないのですが、Neutrality in article titles(NPOVTITLE)というのがあります。もちろん「訳されていないから関係ないよ」などと主張してくる利用者もいるかもしれませんが、記事名の付け方がガイドラインであるのに対し、中立的な観点は、ウィキペディアの根本的な方針のひとつであり、一般のガイドラインの上位規定になりますので、遵守されなければなりません。被害者が白人女性だったことから、日本人の間ではこの事件は「白馬事件」という下卑た名で呼ばれていた(『「BC級戦犯」を読む』152頁)とあるように、中立とは程遠いものなのです。ただ、ジョージ・ヒックスが『性の奴隷 従軍慰安婦』 (個人的には使えない本だと思いますけど)で、「関連する三つの裁判を「白馬事件」と呼んだ。」と書いているので、もしかして、櫻倶楽部事件マゲラン事件フローレス島事件も併せた (四つになっちゃいました)総称として「白馬事件」なのかなぁ、と気になったのですが、日本の将兵は「他の事件とは無関係だ」というような主張をしていましたし、本稿では、スマランのもののみがとりあげられているので、スマラン慰安所事件で大丈夫だと考えています。いずれにしても、信頼できる情報源における慣例に従えばスマラン慰安所事件が最適です。Takabeg会話2015年10月25日 (日) 11:40 (UTC)

  • 改名主旨に反対ですので反対意見として計算してください。宇井木辺出夫氏の改名提案に賛同することはWikipedia:記事名の付け方に違反する編集に加担することになりますのでとても賛成できません。あらためて別の主旨で改名提案なさる場合には改めて検討させて頂きます。--大和屋敷会話2015年10月26日 (月) 19:44 (UTC)
なんか面倒くさいことになってしまいましたね。日本語版ウィキペディアでのブロック適用の傾向を見る限り、大和屋敷さんの発言はWP:CIVWP:悪用に引っかかる可能性がゼロではないとしても、WP:NPAと見做すのにはかなり無理がありますので、スルーされてブロックされることはないと思います。ですから、ブロック依頼の決着を待つ必要はないと思いますよ。また、既存のルールだけで改名が可能なはずですから、新しいルールを提案してコンセンサスを得られるまで待つのが建設的なのかどうか疑問に感じます。「不快なコンテンツ」(冒涜的、侮辱的、下品、卑猥なもの)といっても人それぞれですので、運用面でもめる可能性が大なのではないかと危惧しています。Takabeg会話2015年11月3日 (火) 12:12 (UTC)
大和屋敷さんの発言は、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例にある、「個人の性格や経験を、利用者の独断で決めつけて攻撃する。「あなたには人の心がわからない」など。」そのものだと思っています。氏の会話ページに警告文を貼ってから相応の時間が経過しましたが、撤回・謝罪の意思はないようですので、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃への対処法に従い、大和屋敷さんの該当するコメントをコメントアウトします。
井戸端での議論に関しては、私の改名提案の理由からして、もし「不快かどうかが記事名を決める判断基準にならない」のであるとすれば、私の提案には根拠がないことになりますから、確認しておいた方がいいと思っています。ただしかし、井戸端の方で他の方からいただいたコメントを見て思いましたが、「白馬事件」という呼称は出所不確かな感じで、検証可能性からして問題ありそうではありますね。--宇井木辺出夫会話2015年11月8日 (日) 13:40 (UTC)

* 反対 「白馬」を不快だと感じておられるのは、今のところ宇井木辺出夫さんだけのようなので。--Dwy会話2015年11月8日 (日) 22:53 (UTC)

他の方も不快に感じていないわけではなく「不快なこと」を根拠に記事名を変更することに難色を示されているものと思いますがいかがでしょうか。また改定後名称については議論した方がいいと思いますが、現行名称は論を待たず即時に書換えてもいいと思っているのですが、いずれにしても日和見的に決めるのではなく、ご自身なりの判断根拠を示していただくのがいいかなと思います。--宇井木辺出夫会話2015年11月14日 (土) 06:49 (UTC)
私自身の考えは以前井戸端の方に書きましたので、宇井木辺出夫さんはご存知のはずです。
「日和見的」と言う意味では、「多くの読者にとって冒涜的、侮辱的、下品、卑猥だと感じられるであろう語句や画像」を取り上げて問題にする「不快なコンテンツ」の基準自体が「日和見的」ですよね。宇井木辺出夫さんも、自分自身の考えは一旦棚上げして、他の「多くの読者」がどのように思っているかを考えて見られたら如何でしょう。
わざと少し挑発的に「不快と感じておられるのは…宇井木辺出夫さんだけ」と書いてみましたが、「私を忘れては困る!」とおっしゃる方はいませんでした。少なくとも、改名か必要だと思うほどの不快さを感じておられる方はいないように、私には見えます。--Dwy会話2015年11月14日 (土) 09:47 (UTC)
井戸端のコメントについてはこちらの件と結びつけて考えておりませんで失礼いたしました。またTakabegさんから私の会話頁のほうにコメントいただいたのですが、「日和見的」云々のコメントに関してもしご不快に感じておられるようでしたら申し訳ありませんでした。
井戸端でのご意見についてコメントしますと、もし「前後の文脈があればOK」との御立場であれば、(「白馬事件」の記事を参照している他の記事の文中を想像いただきたいのですが、)記事名は「前後の文脈がない」のでNG、ということになると思いますが、いかがでしょうか。「不快なコンテンツ」ガイドラインにあります「代替」的な記事名は、既出のとおりいくつか存在しています。
「私以外に不快と感じている人はいない」の反証ですが、いまのところ2点あり、1つは上記のTakabegさんのコメント中にありますように、井上ほか(2010)の中で『「白馬事件」という下卑た名前で呼ばれていた』と書かれているので、同署の著者は「ゲスい呼び方だ」と感じているであろうこと、もう1つは韓国語版の記事(記事名は直訳すると「スマラン強姦事件」)の冒頭で、(機械訳)『日本の右翼の一部では白人女性を差別的」白馬」と呼ぶことと関連して「白馬事件」(白馬事件)と呼ぶこともある。』とwikipedia日本語版を右翼扱いしていることです。Takabegさんも(記事名の変更理由にならないとの立場と拝察しますが)不快な表現だという見地にはご賛同いただけるのではないでしょうかいかがでしょうか。なんとなく、この表現は、オランダ語の文献で、「日本人はこんな卑しい奴らだ」ということを強調するために、「こんな下品な呼び方をしてたんだよ」と強調するために書いたのではないかという気がしてしょうがないのですが、信頼できる情報源があるのかも怪しいし、敢えてこの名称で呼ぶ必要があるのでしょうか。--宇井木辺出夫会話2015年11月14日 (土) 13:08 (UTC)
Dwyさん、他の利用者を挑発するのはいただけませんね。ちなみに、私は個人的には「白馬」という表現を不快に思っています。しかしながら、「不快なコンテンツ」というのが改名理由になるとは考えておりません。宇井木辺出夫さんは、この編集で「英語版(3段落目)には(やっぱり!)規定がありますね。」とおっしゃっていますが、Article titles should be neither vulgar (unless unavoidable) nor pedantic.のことですよね。だとすれば、それは誤った解釈ですよ。もし宇井木辺出夫さんのおっしゃる通りであったのなら、VulgarのリンクがOffensive materialにリンクが貼られていたはずです。一方、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究Wikipedia:中立的な観点などは、ウィキペディアのコアな方針であり、Wikipedia:五本の柱にも入っており、Wikipedia:記事名の付け方の上位規定に位置付けられています。したがって、これらに従うのは当たり前のことなのですが、これが記事名の付け方に書かれていないことを盾にいつまでも納得しない利用者も散見しますので、This page explains in detail the considerations, or naming conventions, on which choices of article title are based. (This page does not detail titling for pages in other namespaces, such as categories.) It is supplemented by other more specific guidelines (see the box to the right), which should be interpreted in conjunction with other policies, particularly the three core content policies: Verifiability, No original research, and Neutral point of view.を訳して導入しておいたほうがよいとは考えています。宇井木辺出夫さんにおすすめするのは、Wikipedia:不快なコンテンツにこだわるのを止めて、既存の方針やガイドラインを理由として提示することです。研究書で「スマラン慰安所事件」が多く使用されているのはご存知のはずですから、それらを提示して、梶村さんは「スマラン事件」を使用していますがこれは{{Aimai}}になってしまいますのでイマイチです。白馬事件には他の事件を指すことも多いので (これらは「はくばじけん」ですが)「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」は「スマラン慰安所事件」だということを証明するのは然程難しいことではないと思います。いずれにしても、宇井木辺出夫さんがWikipedia:不快なコンテンツにこだわるのを止めれば、大和屋敷さんも、Dwyさんも、おそらく賛成されると思いますよ。私は現時点では賛成票も反対票も投じておりませんが、それは単に投票は怒りを生み、怒りは憎しみを生み、そして憎しみは苦しみを生む。に留意しているからであって、改名理由には賛同しかねるものの改名自体には賛成しております。Takabeg会話2015年11月14日 (土) 13:13 (UTC)
すみません、時間の都合とコメントいただいた内容(特に英語版のガイドライン)を理解するのに時間がかかるのでご回答まで少し時間が空きます(ちょっと他の記事を編集したいということもありまして)。3大方針でもいけるし、方針>ガイドラインということは理解していますが、「既存のガイドライン」(Wikipedia:不快なコンテンツ(記事名も対象にしているはず)を含む)に基づいて改名提案するのが(Wikipedia:記事名の付け方に何も書いていないから、という理由で)NGというのが、なかなかわからないのです。--宇井木辺出夫会話2015年11月14日 (土) 13:49 (UTC)
私は英語版ウィキペディア至上主義者ではありませんが、日本語版のガイドラインや方針はほとんどが英語版から訳したものであるという事実は認めています。ぶっちゃけて言いますと、英語版の記事名の付け方検証可能性独自研究中立的な観点に入っているけれども、不快なコンテンツは入っていない、というのが私個人の感じている違和感の源泉です。簡単に言うと「まだ訳していないだけ」と考えています。検証可能性独自研究独自研究の適用は客観的な議論で合意がとれやすいのですが (例えば、本件の場合、事件は日蘭に関連する事柄であり、一方で「白馬事件」と呼ばれることはあっても他方では決して呼ばれることはないわけではないうえに、他のより中立的な名称が使用されており、「白馬事件」でなければ読者の理解を妨げる情況にはありませんので、Wikipedia:中立的な観点でいけると思います)、不快なコンテンツですと、このノートを見る限りにおいても、二名が不快に感じていて、二名が不快に感じていないように、主観的な部分が介入してきやすいのです。ですから、記事名の付け方不快なコンテンツを導入したとしても、運用する際にもめてしまうでしょうし、そもそも不快なコンテンツ自体がWP:CENSORとかち合ってしまうことが多々ありますので、敢えて導入していないとのだと推測しています。また、日本語版にも導入すべきではないと考えています。Takabeg会話2015年11月14日 (土) 14:10 (UTC)
Takabegさんへ:「挑発」と言うと感じが悪いかもしれませんが、他の方のご意見がはっきり分からないときに、もしも反対の立場の人がいたら反論したくなるだろうというようなことをわざと言ってみて、他の方の発言(反対意見)を促すというのは、有効な議論の手法だと思っています。
宇井木辺出夫さんへ:「不快なコンテンツ」のガイドラインの根幹は「使うべき理由があれば不快な表現であっても遠慮なく使え」というものです。これを逆から「不快な表現は使うべき理由がない限り使うな」と解釈することも理論上は可能ですが、現実にはそのような議論にあまり意味はありません。なぜなら、記事の全ての記述にはその表現を使うべき理由があるはずであり、そのような理由がない記述は、不快かどうかを論ずるまでもなく除去できるからです。
記事のタイトルについて言えば、Wikipedia:記事名の付け方の基準に従って、その名前が一番良いと判断された「理由」があるはずです。不快だと感じる人がいるにもかかわらずその名前が選ばれているとすれば、なおさら、その名前を使うべき立派な理由があるはずです。その名前を使うべき理由があるときには、「不快なコンテンツ」を適用したところで、「遠慮なく使え」という結論にしかなりません。その名前を使うべき理由があるかどうかは、結局「記事名の付け方」や「中立的な観点」等の方針・ガイドラインに準拠して決めるしかないのです。
とりあえず私としては、「白馬事件」以外に「信頼できる出版済みの情報源において最も一般的な名前」があるというなら、改名賛成に回ると思います。「白馬事件」が「信頼できる情報源における最も一般的な名前」であるなら改名には反対です(それは「ことなかれ主義」に加担するという意味で「中立的な観点」に反します)。--Dwy会話2015年11月15日 (日) 02:29 (UTC)
Dwyさん、「白馬事件」以外に「信頼できる出版済みの情報源において最も一般的な名前」は存在しています。それが「スマラン慰安所事件」でして、使用しているソースを以下に11個ほど挙げておきます。また、「白馬事件」が「信頼できる情報源における最も一般的な名前」であることはありません。正直言うと、宇井木辺出夫さんがソースを提示してくれると思っていたのですが、もうずいぶん時間がたってしまいましたし、もしかしたら引退?してしまったのかもしれませんので、代わりに挙げることにしました。
  • 大沼保昭、下村満子、和田春樹『「慰安婦」問題とアジア女性基金』東信堂、1998年10月、ISBN 4-88713-303-0、72頁。
  • 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年6月、ISBN 4-10-600565-4、219、441頁。
  • 川田文子≪日本軍「慰安婦」補償は国際水準で--橋本竜太郎首相への手紙≫『世界』621号、岩波書店、1996年4月、150頁。
  • 内海愛子「『スマラン慰安所』事件」『Indonesia2』インドネシアべんきょう会年報 No.5/6、1996年10月、1~18頁。
  • 内海愛子、高橋哲哉『戦犯裁判と性暴力 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』緑風出版、2000年5月、ISBN 4-8461-0006-5、94、306頁。
  • 金富子「正義 女性国際戦犯法廷が乗り越えたものと乗り越えなかったもの」『現代思想』29巻6号 (特集=フェミニズムは終わらない)、青土社、2001年5月、209頁。
  • 荒井誠一郎『平和憲法: 基礎と成立』敬文堂、2001年5月、ISBN 4-7670-0092-0、123頁。
  • 内海愛子『戦後補償から考える日本とアジア』日本史リブレット、山川出版社、2002年1月、ISBN 4-634-54680-9、87頁。
  • 内海愛子(解説)、村岡崇光(監訳)、梶村太一郎(協力)≪【資料紹介】戦犯として裁かれた慰安所経営者ーインドネシア・「櫻倶楽部事件」判決文から≫『季刊戦争責任研究』56号(2007年夏季号 特集=「慰安婦」問題の最前線)、日本の戦争責任資料センター、2007年6月、19頁。
  • 吉見義明≪米下院「慰安婦」決議案と河野談話--日本軍「慰安婦」制度研究の最新の知見から≫ 『季刊戦争責任研究』56号(2007年夏季号 特集=「慰安婦」問題の最前線)、日本の戦争責任資料センター、2007年6月、6頁。
  • 秦郁彦「スマランのオランダ人慰安婦たち」『昭和史の秘話を追う』PHP研究所、2012年3月、ISBN 4-569-80308-1、289頁 (初出は『文蔵』平成二十四年一月号の438~475頁に掲載された「スマランの慰安婦たち: 『青壮日記』は語る: 昭和史奇譚」)。

ということで、改名しますね。2016年1月10日 (日) 12:39 (UTC)

「慰安婦と戦場の性」は「のちに『白馬事件』と呼ばれたスマラン慰安所の強制売春事件」と言っていたと思いましたが(217頁)、別の言い方も併用していたのですね。全体としては、確かに「スマラン慰安所事件」の方が多そうな感じなので、改名には賛成しておきます。
あと、「白馬事件」の使用例も一応比較検討したという形にした方が良いと思うのですが、現行版の記事の出典に出ているものくらいしか無いということでよろしいでしょうか?もし調査の過程でお気付きになったものがあれば、お教えください。(お気付きのものが無ければ、それで結構です。)--Dwy会話2016年1月10日 (日) 17:57 (UTC)

反対 以下の理由により「スマラン慰安所事件」への改名提案に対し反対票を投じさせていただきます。

  • 存命の人物に対し名誉を棄損する方向の改名提案であるため。『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』p.208 で、ジャンは自分が「慰安婦」と呼ばれる事を拒否しています。これに関しては後述します。
  • 明らかに誤っている名称である。なぜならスマランにあった施設は”慰安所”ではないから。ここはオランダ人を日本兵が連行し強制収容所に入れた後に、若い女性を選んで強制的に連れてきて、日本の将校らが強姦を繰り返した場所であり、軍事裁判の結果、関係者は死刑を含む判決を受けたため、日本には法的責任ある、で決着していますので、風俗店のような名称で呼ぶのは事実に反します。
  • Wikipediaは歴史的事実を書き換える場ではないため。本事件は、
日本軍関係者の間では「白馬事件」と呼ばれ、白人の女性を「制服」することができたという大きな優越感を彼らに与えたようである。 (『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』 p.211、倉沢愛子の解説部分)
とあるように、下劣な名称ではあるが、日本軍関係者の間で「白馬事件」と呼ばれていたという事実を今さら書き換えも仕方が無く、Wikipediaを書き換えたところで歴史を変える事はできない。悪い行いや名称も含めて歴史を直視すべき。
  • 中立的ではない。上の方で改名賛成を裏付ける資料の一覧が載ってはいますが、被害者の立場で書かれた資料が無いという重欠点があります。本事件で被害に遭い、軍事裁判で証言をした女性の一人であるジャン・ラフ=オハーンが著した『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』は、被害者の立場で書かれたわけではない他の資料全てを越える「重み」があります。
  • 世界的観点が欠如している。本記事は日本語版のみが作成されており、オランダ語版では nl:Troostmeisje という、いわゆる"Comfort Women"相当の記事になりますが、ここには "In werkelijkheid waren deze vrouwen seksslavinnen die tegen hun wil werden vastgehouden en gedwongen werden zich te prostitueren en was het een vorm van oorlogsverkrachting." ですから「実際には、これらの女性達は性的奴隷であり、自分の意志に反して捕らわれて自身を強制売春に供出させられた、戦争レイプの一形態であった。」とあります。また "troostmeisjes waren geen seksslavinnen, het waren doodgewone prostituees" という記述もあり、これは日本の何人かの歴史家が「慰安婦は性的奴隷ではなかった、彼女らは単なる売春婦だった」という主張が紹介されています。英語版の冒頭も "Comfort women were women and girls who were forced into sexual slavery by the Imperial Japanese Army in occupied territories before and during World War II." とオランダ語版と同趣旨で、また en:Comfort women#Controversies には、日本の安倍首相と多くの閣僚は性奴隷も含め戦争犯罪を否認する日本会議に所属している旨の記述もあります。
    日本語版における「いわゆる慰安婦問題」の記事がどう扱われるかは、jawp の問題だけでは済まず、他言語のウィキペディアンひいては世界が見ていると考えるべきで、ドイツ語版の歴史記事がホロコースト否認に傾いた記事になってきたら、周辺国が警戒するでしょう。日本は国際社会の一員であり、いわゆる慰安婦問題では日韓合意もできた事ですので、jawp においても、日本会議#日本会議の歴史認識についてにあるような、日本軍は素晴らしい軍隊で何も悪い事はしていないとか強制連行は無かったのような特定の歴史認識に傾いているかのような記事名に、このタイミングで改名するのでは日韓関係だけでなくオランダを始め世界各国への悪影響も懸念されます。
ジャンが慰安婦ではない理由ですが、本記事を書いたり議論したりする人の中に、本事件に関して決定的といえる出典の『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』を読む人など誰もいないようで (入手は容易な部類の書籍ですから、都合が悪いのであえて言及を避けているのかもしれませんが) 一向に議論が成立しないため、長くなりますがやむを得ず概略を紹介します。正確な所は各自でご確認ください。
ジャン・ラフ=オハーンは祖父の家にいた所を、軍用トラックで来た2人の銃剣を付けた日本兵が敷地に入り込み、収容所に行くように命じられ(p.51)、スーツケース1つとマットレス1枚しか持ち出す事を許されず、トラックに乗せられ(p.52)、トラックは女と子供を乗せながらアンバラワに向かった。(p.53)収容所は栄養不足で医療設備と薬が無く毎日、誰かが死ぬという恐怖を味わい(p.69)子供は成長が止まり、人々は飢えて死に、日差しに中で何時間も立たされて失神した。(p.70)日本軍人が収容所を訪れ17歳から28歳までの女性を全員を登録し、十七歳以上の独身の娘は直ちに整列するように命じられ、御母親たちは大騒ぎをし、娘たちは気を失い、若い娘だけをならばセリ理由を聞いても命令を繰り返すのみで(p.81)命令に従わないと収容所の全員がひどい目にあうことはわかっていたのでおそるおそる娘たちは進み出た。(p.82)容姿に優れた10人が選ばれ(p.83)行く先も教えてもらえずに収容所事務所に出頭するように命じられ(p.84)日本人将校たちに怒鳴られながらトラックに押し込まれ(p.86-87)スラマンに娼館に連れていかれ、日本人将校の性の楽しみのために連れて来た、見張られているので逃げても無駄だと言われ(p.95)娘たちは大声で抗議したが、「こっちが捕まえているのだぞ。おまえたちを好きなようにできるのだ」と笑い飛ばされ、日本語で書かれて読めない書類に署名させようとしたが、それがどいうものかは察しがついたので署名せず(p.96)泣き叫んで抗議しても寝室に引きずって行かれ(p.102)殺すと脅されて刀を突きつけられ(p.103)強姦されている間は涙が流れ続けた。男が立ち去って浴室に駆け込むと他の娘たちも泣いていた。(p.104)浴室を出てベランダに隠れたが見つかって引きずりだされ、別の日本人に強姦された。(p.105)夜が明けて娘たちは処女を失ったことを嘆き、慰め遭った。(p.106)
ですからジャンはレイプ被害者であって、決して慰安婦ではありません。それとも誰か「ジャンは嘘つきで本当は高級売春婦で将校たちに親切にしてもらってて家が5軒建つ位のお金を貯めた」のような主張をする人はいらっしゃいますか?
よって「慰安婦ではない若い女性らを強制連行して監禁し連日に渡って強姦を行った場所を慰安所と呼ぶべきか」という問題が生じます。これは、もう皆さんで決めてもらうしかないと思いますが、jawp として「慰安所=強制連行した女性を強姦した場所」と定義する事で合意は取れているのか、という問題に帰着します。つまり
  • 慰安所=強制連行した女性を組織的に強姦した場所
  • だからジャンは売春婦ではないが、強制連行され強姦された場所については慰安所と呼ぶ
というなら、ありだと思いますが、
  • 強制連行の事実は無かった、という立場
  • 慰安所は売春婦が働いていた場所
  • スマランにあったのは慰安所
  • 「でもジャンは売春婦ではなく強姦の被害者では」→フジコフジコォ!
などのご都合主義では困ります。
ウィキペディアの利用者の多くは男性と思われますが、そうだとしても戦時中に日本軍が強制連行して繰り返し強姦した女性を、70年経っても「慰安婦」と呼ばわりする事で金品と引き換えに進んで不特定多数の将校と性行為を行ったかのような事実と異なるレッテル貼りをして辱め続ける事につながるような改名はいかがなものでしょうか。ジャンは存命中の人物であり、白馬事件の被害者の一人であり、軍事裁判で証言した女性の一人であり、50年経って辛い記憶を書籍に残し、自らの体験を米国の議会や日本の国会で証言した人物です。「ジャンは嘘つきだ」とか「高々、一人の女性の主張する不確かな事に過ぎない」とこの場で言う事は可能かもしれませんが、これが世界に通用する理屈かどうかも考えて頂きたく思います。--114.181.43.5 2016年1月13日 (水) 09:04 (UTC)
「スマラン慰安婦事件」という使用例もあり、それだとジャンさん個人の意思にも反する形になりそうですね。そもそもジャンさん個人の意思を尊重するというのがWikipedia:記事名の付け方で求められているかというのには疑問はありますが、改名提案は「慰安婦」ではなくて「慰安所」ですので、結果的に意思も尊重されています。慰安所の定義は、日本語ウィキペディアのコンセンサスではなく二次資料、つまり研究者たちのコンセンサスに依拠すべきものです。そして、114.181.43.5さんの個人的な独自の感想を尊重することはWikipedia:記事名の付け方で求められていません。ルールに従うとざっと以下の通りとなります:

*認知度が高い - スマラン慰安所事件 - ◎ (信頼できる情報源で最も多く使用されている) 白馬事件 - ○ スマラン事件 - △

*見つけやすい - スマラン慰安所事件 - ○ 白馬事件 (別の白馬事件がある、記事はなくても) - △ スマラン事件 - △ (別のスマラン事件がある)

*曖昧でない - スマラン慰安所事件 - ◎ 白馬事件 - △ (別の白馬事件がある、記事はなくても) スマラン事件 - △ (別のスマラン事件がある)

*簡潔 - スマラン慰安所事件 - ○ 白馬事件 - ○ スマラン事件 - ○

*首尾一貫している - スマラン慰安所事件 - ○ 白馬事件 - ○ スマラン事件 - ○

また、白馬事件を「曖昧頁」にするかこの記事へのリダイレクトするかという点で迷いましたが、google books ですと、1952年1月に札幌で日本共産党が「弾圧」された事件、もヒットしてしまいますが、これは白馬事件でなくて白鳥事件です。白馬山 は曖昧の対象にはならないでしょうから、利用者が「白馬事件」の語で探す項目と言えば、1875年から77年にかけて臺灣雲林県で発生した部族間闘争である廖姓三姓の戦い (廖姓三姓械鬥) の別名くらいしかありませんので、とりあえずリダイレクトのままにしておきます。Takabeg会話2016年1月13日 (水) 12:47 (UTC)

  • このたび改名が実施されましたが反対意見が複数提示されている状況下での「強行」と判断し、ここに批判のコメントを残しておきます。--大和屋敷会話2016年1月14日 (木) 05:17 (UTC)
  • 反対 114.181.43.5さんの2016年1月13日 (水) 09:04 (UTC)の発言に説得されました。論理的です。慰安所は強姦施設ではない(というのが日本政府の見解ですね)。彼女らは強姦された。ならばスマラン慰安所事件はなりたちません。「インドネシアに侵攻した日本軍による集団監禁強姦事件」とでもするのが実体にあっていますが、この記事名では一般的に使用されていません。したがって下品な名であっても現状維持するべき。--ぱたごん会話2016年1月17日 (日) 18:33 (UTC)

改名に際し不正ではと疑わしき行為があった事の報告

Wikipedia:改名提案Wikipedia:ページの改名を見直しましたが、問題ありと思われます。経緯を時系列で示しますと

となります。「Wikipedia:改名提案」に改名の告知が追記されたので、改名に対し反対票を投じたら、Takabeg さんが即座に自分の提案通りに改名したという行為にはびっくりしたので、変更履歴などを見直した結果、問題と思われる行動がありましたのでここに報告します。

Wikipedia:改名提案」は”改名提案を告知するためのページ”のはずですが、


2015年10月


とあると、

  • パッと見には、2015年10月22日 (木) 07:05 (UTC) という、2ヶ月半以上前に宇井木辺出夫さんにより改名提案の告知がなされたように思える。
  • しかし、実際に「Wikipedia:改名提案」に、改名の告知が追記されたのは、2016年1月10日 (日) 13:46時点であり、しかも告知したのも宇井木辺出夫さんではなく、Takabeg さん。

これは、いかがな物でしょうか。なぜ、Takabeg さんが、宇井木辺出夫さんの名前を騙って改名提案の告知をするのですか。なぜ、以下のようにしなかったのでしょうか。


2016年1月


単純に考えれば、改名提案の告知を追加したのが 2016年1月10日 では、それを受けて 1月13日に反対票が投じられた状況で、即座に改名などできません。これでは、自分の意図通りに改名を強行する都合で改名提案を告知した利用者名と日時を偽装したと言われても仕方が無いではありませんか。しかも、ここのノートを見返しましたが、宇井木辺出夫さんは

(特に議論不要かと)。

などという文面は、どこにも書いていないと思われます。見落としなら申し訳ありませんが、宇井木辺出夫さんが書いたわけでもない「(特に議論不要かと)。」という文面を、もし Takabeg さんが宇井木辺出夫さんになりすまして勝手に考えた文面で改名提案の告知に追記したというなら、これはもはや改名議論に絡んで「他利用者を騙って発言捏造」という深刻な話になるのではありませんか?

Takabeg さんに、こちらも是非、伺いたく思います。回答をお願いします。

ジャン・ラフ=オハーンは慰安婦なのか否か

日本の政府関係者による「慰安婦は職業売春婦」発言 自民・桜田氏が撤回のようなニュースが絶える事は無いし、Wikipedia にも、このような書き換えその1その2をする人が今後も現れる事は予想されるべきですので、「白馬事件」「スマラン事件」「スマラン慰安所事件」のいずれも欠点を有する名称ではありますが、この中では、わざわざ「スマラン慰安所事件」とするのが、ジャン・ラフ=オハーンを結局は事実に反して慰安婦すなわち職業売春婦呼ばわりするも同然になるという問題を記事名に持ち込む点で最悪の選択肢でしょう。--114.181.43.5 2016年1月17日 (日) 09:20 (UTC)

この件に関してWikipedia:コメント依頼/Takabegを提出しました。--ぱたごん会話2016年1月19日 (火) 11:42 (UTC)

ジャン・ラフ・オハーンさんか慰安婦であったことに疑問の余地はありません。なぜなら、ご本人がそうおっしゃっているから。こんなことは、2007年のアメリカ下院の公聴会での証言内容とか、ちょっと調べればわかることです。--Dwy会話2016年1月19日 (火) 14:08 (UTC)

いや、アメリカ下院の公聴会での証言内容で確かに"During World War II, I was forced to be a so-called “Comfort Woman” for the Japanese military, a euphemism for sex slave." " In the so-called “Comfort Station” I was systematically beaten and raped day and night."と言ってはいるけれど、公聴会のタイトル含めカギカッコつきなんですね[3]。それは本のタイトル『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』も同じ。英語文献だとカッコで囲っているのはそれなりに見られます[4][5][6](くくってないものもあります[7][8])。で、「慰安婦」「慰安所」と呼ばれていたのは事実として、実態がどのようなものだったかという認識によって、その定義は変わるわけで、英語版は藤岡信勝『汚辱の近現代史』から娼婦を指す婉曲表現としてるけど、変化があって([9](p.109.)、[10])売春/性的サービスなのか、強姦/性奴隷なのかっていうのは、そこらへんが捻じれることで、当事者の尊厳に関わる(国際法とかとも絡むんじゃなかったっけ)。114.181.43.5さん、ぱたごんさんが気にしてるのは、そこじゃなかろうか。--Ks aka 98会話2016年1月19日 (火) 18:04 (UTC)
comfort womanは「婉曲表現」なので、英語の作法として、字義どおりの「癒しの女性」の意味ではないことを表すためにクォーテーションマークを付けている。単にそれだけのことです。日本語では、字義どおりの意味でない婉曲表現に括弧を付けて書くのはそれほど一般的ではありませんから、クォーテーションマークつきの"comfort women"を鉤括弧抜きの慰安婦と訳しても全く問題ない。本人が自分で"comfort women"代表として活動しているのに、「慰安婦」や「慰安所」がそれだけで名誉毀損になるとか、馬鹿げています。--Dwy会話2016年1月19日 (火) 21:21 (UTC)

移動を差し戻しました

TalabegさんとKs aka 98さんの発言について、視認性に問題があっため、アスタリスクを除去し、インデントを下げました。--K-iczn会話2016年1月17日 (日) 14:20 (UTC)

移動を差し戻しました。

2015年11月15日 (日) 02:29 (UTC)のDwyさんの書き込みで議論が停止し、改名提案でも2015-12-15T01:30:26に議論停止として除去されています[11]Wikipedia:ページの改名#告知の終了処理は「なおも改名が必要と思われる場合には、改めて記載しなおしてください。」としています。「改めて記載」は、再度提案を行い、その時点から「1週間の告知期間」を求めていると思われますが、2016-01-10T13:46:42に当初の提案(2015年10月22日 (木) 07:05 (UTC))の復帰がなされ[12]、2016-01-13T12:49:23に移動が行われました。手続き上適切だったとは思えませんでした。

また、改名を支持している提案者、Takabegさん、それに同意したDwyさんの3者に対し、議論停止以前に反対意見を示していた大和屋敷さん、再掲載後/移動前に反対意見を述べられている114.181.43.5さんは反対を表明しており、改名後も不満を表明されています。明らかに新しい記事名が適切であるというものではなさそうですし、十分な合意があると言える状態でもないと思われます。--Ks aka 98会話2016年1月17日 (日) 10:34 (UTC)

利用者:大和屋敷さんの「反対」理由というのはこちらを読まれればわかると思います利用者:大和屋敷さんは"「白馬事件」の使用例はあんがい少ないような印象を持っています"とおっしゃっていますから、形式及び改名理由について「反対」ということであると理解できると思います。確かに、宇井木辺出夫さんはWikipedia:記事名の付け方Wikipedia:不快なコンテンツを適用していましたから、これは現行のルールでは「無理」ということになります。実際に、Wikipedia:記事名の付け方に従って、関連二次資料における「白馬事件」の使用例は大和屋敷さんの印象通り少ないものであり、スマラン慰安所事件スマラン事件スマラン慰安婦事件などの使用頻度を比較してみるのは、宇井木辺出夫さんが多数の二次資料を駆使して編集されている利用者であることからも、当人にとって単純かつ簡単な作業であると思っておりました。そのため、宇井木辺出夫さんが提示するのを待っていおりました。が、最近ログインされていない状況であるのを見て、代わりに、二次資料において最も頻度の高い「スマラン慰安所事件」の使用例を提示しました。
次にIP利用者さんに関してですが、利用者:Ks aka 98さんは私がWikipedia:コメント依頼/114.181.36.77に関してこうした質問をしたのを憶えていらっしゃいますか?利用者:Ks aka 98さんは、このように回答されていますが、果たして上のIPさんの発言を読んで善意にとる姿勢があると御考えになりますか?私は、当該IPさんは既に「トロール化」してしまっていると思っています (LTA化していないだけまだましかもしれません)。したがって、2010年1月に無期限ブロックされた利用者の「ブロック破り」であることを理由に、完全に無視することも可能であるのですが、気の毒に思っているところもありますので、読んでみました。しかし、IPさんは、一次資料であるジャン・ラフ・オハーンさんの著書『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』に拘泥して独自の見解を展開しただけでした。
利用者:大和屋敷さんは、最近になってこのたび改名が実施されましたが反対意見が複数提示されている状況下での「強行」と判断し、ここに批判のコメントを残しておきますと述べていますが、利用者:大和屋敷さんが反対理由とした「問題」は既に解消されているのにもかかわらず、こうしたことを書いているのは、反対のための反対だった可能性が高く、そうだとすれば、いつまでも納得しないに該当するものであると考えます。
利用者:Ks aka 98さんのみならず他の利用者の皆様にもWikipedia:ウィキペディアは何ではないかWP:NOTDEMOCRACYを読んでいただきたいのです。反対のための反対Wikipedia:記事名の付け方に沿っていない個人的意見が、単に「票」が投じられているとの理由だけで採用される (票を数えて決める)というのは、ウィキペディアの根本的な精神に反していると考えています。本音を言いますと形式主義は好きではないのですが、再度提案という決まりがあるようですので、ご指摘のとおり、そのうち再度提案をしてみる予定です。IPさんが反対のために反対をする可能性もあり、そうなるとまた不毛な状況が起きて、宇井木辺出夫さんのように一生懸命執筆している利用者が本当に去ってしまうことになってしまうかもしれませんので、良い方策を考えてみます。Takabeg会話2016年1月17日 (日) 11:19 (UTC)
コメントある程度合意が見えていたら、手順を飛ばすのもよいでしょう。明らかに適切ではない意見は無視してもよいでしょう。しかし、それぞれにTakabegさんは反論しているけれども、それを支持する意見はなく、相手も納得していないのですから、それをコンセンサスとは言えない。Takabegさんは自分の意見を述べてこれで結論が出ていると思っている、ということでしかないです。支持する意見はなく、相手も納得していないとしても、再度反論がないなら、いちおうそれで合意ってことにしてもいいんじゃないですかね、てのが、「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります」(Wikipedia:合意形成)です。ちゃんと待つとしてもたかだか1週間です。しかも、既にいくつかの論点が示され、議論となっている項目です。社名変更に伴う改名などのように、あと数日待たないことで得られるメリットもありません。議論に参加している一方の意見の当事者が、自分の意見を進める方向でそうした評価を行い、結論付けてしまうと、混乱が生じます。
第三者として議論を見たところでは、Takabegさんの意見にある程度同意できます。ですから、移動に気付いた時点で、手続き論のみでの差し戻しはしていないんですね。しかし、複数の、既に反対意見を出している人から、改名に否定的な意見が出てきたなら、一度戻して、もう少し確かな合意が必要です。たとえば、「白馬事件」が相当数用いられていて、IPアドレスの意見を併せ考えるなら、「白馬事件」を支持する意見が現れる余地はありそうです。Dwyさんの「「白馬事件」の使用例も一応比較検討したという形にした方が良いと思うのですが、現行版の記事の出典に出ているものくらいしか無いということでよろしいでしょうか?」という問いには、 スマラン慰安所事件のように具体的には答えがないまま移動が行われています。不快であるとか間違いであるとかいうことを別にすれば、いずれを選択するかは用例調査によって決まるものですし、調査の方法によって数は変わってくるものです。手続きは合意を補強するものでもあるのです。
日本語版が手続きを重視しすぎる面がある、という認識については同意します。改名くらいはとっととやれと思うことも多いです。そういう風に思うKs aka 98でさえ、これは戻したほうがいいと思った、と受け取っていただければ幸いです。もし過度な手続き重視を改善したいと思うのならば、自分に都合がいいようにことを進める時ではなく、自分の意思と関係のないところや、意見が対立する相手の都合がいいような形で表明したり、行動したりするようにしてください。自分の意見を押し通すために、手続きを省略したり、強行したりすることが少なくなかったために、手続きが強化されてきたというところもありますから。
IPさんのことについては、何を聞きたいのかよくわかりませんでした。「善意にとる」というのは、誰かに求めるものではなく、自分がそのようにふるまうことを、すべての参加者に求めている文書だと思っています。ぼくは、このIPアドレスからの書き込みを、他の誰かの書き込みと同様に、できるだけ善意に取ろうとしながら読むでしょう。誰かの編集が、ぱっと見は悪意ある荒らしであり、あるいは、おそらく悪意ある荒らしだろうと思われる場合であっても、初心者の悪意ない編集である可能性があるならば、まずはそのように受け取り、そのような相手として対応する。そのように考えるなら、「善意にとる」というのは、それほど簡単に達成できるものではないですから、善意に取っていないからと言って、直ちにどうというものではないです。
善意に取るを持ち出すのならば、持ち出しているTakabegさんが、そのIPアドレスからの書き込みを善意にとるべきです。一次資料であるジャン・ラフ・オハーンさんの著書『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』に拘泥して独自の見解を展開しただけ'というのは、善意に取っているとはいいがたいです。ブロック逃れを疑っていらっしゃるようですが、コミュニティの合意がない現状では、それを理由にした主張は受け入れにくいです。
「上のIPさんの発言」がどれを指すのかは明らかでないですが、「改名に際し不正ではと疑わしき行為があった事の報告」の節だとすると、確かにこれは善意にとっているわけではないですね。ただ、ここで指摘されている事実関係のみを抽出して、あらためて確認してみたところ、おおよそ書かれていることはその通りでした。Ks aka 98としては、善意に取り、不正や強行とはせず、改名提案を告知した利用者名と日時を偽装したとか、「他利用者を騙って発言捏造」という深刻な話だとは受け取りません。しかし、どれだけ善意に解しても、改名で求められている手続きを踏んでいなかったこと、手続きをオーバーライドできるだけのコンセンサスがあるとは思えませんでしたから、それを理由として、移動を取り消すことを行いました。
また、ここで宇井木辺出夫さんのことを持ち出す必要はないでしょう。改名と言う結果さえ得られれば宇井木辺出夫さんが満足するかのような言い方に見えてしまいます。改名提案の最初のあたりから、議論の経緯を読み直してみてください。宇井木辺出夫さんの理由による改名は、Takabegさん自身の意見も含めこのページでも、Wikipedia:井戸端/subj/「記事名」は「不快なコンテンツ」の対象となるかでも、ほぼ否定されています。--Ks aka 98会話2016年1月17日 (日) 13:22 (UTC)
  • 【「白馬事件」は白人女性を馬になぞらえた呼称で、今日的には不適切(不愉かつ差別的)だと思いますので改称したいと思います】という提案にはWikipedia:記事名の付け方に根拠がなく、また「今日的に不適切であり不快かつ差別的」だという主張になんら共鳴する点がないという視点から反対を表明させて頂いております。そのような情緒的で主観的な理由で改名を提案しないで頂きたい。はっきり「今日的」な理由で申し述べれば愉快でなく積極的に賛同する理由がない。多くのwikipedianが賛同している改名理由から叙述してください。--大和屋敷会話2016年1月19日 (火) 19:40 (UTC)

「白馬事件」から「スマラン慰安所事件」に改名提案

下記により、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの要件に照らして、記事名を「白馬事件」から「スマラン慰安所事件」に改名することを提案します。

  • 改名提案テンプレを貼り直し、改名理由も書き直すため、ノートも章分けさせていただきます。(が、前段での議論は踏まえるつもりですので、そのつもりで)改名提案につきご意見ください。

主論:個別の呼称と出典に関する考察

  • 「白馬事件」という呼称について、出典と、「日本軍の関係者が呼んでいた」というのが、いつ、どこで、誰が呼んでいたのかを調べてみたところ、調べた範囲で「起源」らしき出典は2つありました。
    • 1つは、1992年7月21日付『朝日新聞』夕刊11面です。被告の1人で懲役2年の判決を受けた元幹部候補生の話として、「刑務所の中では、スマランの慰安婦事件のことを、白人を馬のように使ったということで、白馬(しろうま)事件といっていた。」と記しています。
    • もう1つは、ジョージ・ヒックス『性の奴隷 従軍慰安婦』(三一書房、1995年)の162頁です。本文中で、「日本人は、関連する3つの裁判を「白馬事件」と呼んだ。白人女性を白馬に例えたのである。」と記しています。
  • 最初の『朝日新聞』の記事はいわば"速報版"で、内容は結構間違いが多く、「オランダのハーグ国際法廷で裁かれた」とか、「この事件以外に慰安婦関連の戦犯事件はない」とか書いて、後で訂正しています。そして、同記事の"詳報"にあたる1992年8月30日朝刊9面の記事には、上記の元幹部候補生の受刑者Aさんの話が掲載されていますが、「白馬事件」の呼称への言及はありません。他方で同記事には、内海愛子・恵泉女学園大学教授の話として、『事件はオランダ人女性を将校用の慰安婦にかり出したもので、関係者の間では「白馬事件」と呼ばれていた。白人への劣等感と女性蔑視がつくり出した事件といえる。』とのコメントが掲載されています。
    • 裁判の判決文でこの「元幹部候補生の証言」として言及があるかなと思いましたが、解説・新見隆「オランダ女性慰安婦強制事件に関するバタビア臨時軍法会議判決」(日本の戦争責任資料センター『季刊戦争責任研究』3号、1994年)44-45頁の判決文中には見当たりませんでした。
    • 内海の発言の典拠も不明です。ただし、内海愛子「【資料紹介】戦犯として裁かれた慰安所経営者-インドネシア・「櫻倶楽部事件」判決文から」(日本の戦争責任資料センター『季刊戦争責任研究』56号、2007年)19頁では、町田敬二『戦う文化部隊』(原書房、1967年)373-374頁に「白馬会」に関する記述がある、ということが紹介されています。この「白馬会」とは、第16軍の宣伝班に白人女性を囲っている「白馬会」というグループがあり、軍司令部にやってきた主計少佐が「白馬会」の何たるかを知らずに軍司令官と「入会して修練に励みます」的なやりとりをした、という話で、直接に本件事件のことを指す内容ではありません。
  • 以上まとめますと、『朝日新聞』1992年7月21日版では『白馬事件』は事件の元被告・受刑者が、収監中に用いていた呼称としているが、同紙1992年8月30日版の元被告・受刑者の話の中では言及がなく、内海愛子氏のコメントとして『関係者がこの事件を「白馬事件」と呼んでいた』と記載されており、出所に関する説明が一貫していないし、『朝日新聞』の記述内容を裏付ける資料は見つからない、という状況です。
  • 2点目のヒックス(1995)では、「3つの裁判をまとめた呼称」、と踏み込んだ記述になっているため、朝日新聞とは別の典拠がありそうですが、本事件にかかる裁判は2件しかないので、フローレス島事件など、他の裁判も含めた呼称で、本件事件に1対1に対応していない、という解釈になると思います。
  • 上記以外の文献では、
    • 秦(1999)の217頁本文中で『のちに「白馬(しろうま)事件」と呼ばれたスマラン慰安所の強制売春事件は、(…)』、220頁本文中で『この白馬事件の実態を知るには(…)』
    • 既出のオハーン『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』(木犀社、1999年)の解説(倉沢愛子)の本文中で『このスマランでのオランダ人慰安婦事件は、日本軍関係者の間では「白馬事件」と呼ばれ、自人の女性を「征服」することができたという大きな優越感を彼らに与えたようである。』
    • 新見(1994)44頁本文中に『今回翻訳された判決は、(…)、いわゆる「白馬事件」と呼ばれる慰安婦強制事件についてのものである。「白馬」とは、白人を馬の如く使ったところからの命名であろう。92年7月21日付の朝日新聞が、「オランダ女性も慰安婦に」との報道で明らかにしたものであるが、本年1月25日に提訴された、オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求事件の訴訟準備の過程でオランダ側より提供され弁護団が入手したものである。』
  • と記していますが、上述の2文献よりも詳しく「白馬事件」の呼称の出典について記述している文献は見つかっていません。また、下記のように、「白馬事件」と呼ばれたことがあった、ということを紹介している文献でも、本件事件を「白馬事件」と呼んでいる文献はほとんどありません
    • 『朝日新聞』は1992年7月21日の記事の本文中では「スマラン(の)慰安婦事件」、同年8月30日の記事の見出しでは「オランダ人慰安婦事件」
    • 内海(2007)19頁本文中で『その過程で起きたのが「スマラン慰安所事件」である。』
    • ヒックス(1995)52頁の見出しでは「サマラン(=スマラン)の事例」
    • 秦(1999)113頁の本文中と、219頁の表見出しでは「スマラン慰安所事件」、220頁の本文中では「この白馬事件の実態を知るには(…)」、342頁の本文中では「白人であるオランダ人女性を慰安婦にしたスマラン事件を除くと(…)」…「白馬事件」を呼称として使っているのはこの文献のみ
    • 倉沢(1999)210頁の見出しで「スマランのオランダ人慰安婦事件」、211頁の本文中で「スマランでのオランダ人慰安婦事件」
    • 新見(1994)44頁の見出しでは「オランダ女性慰安婦強制事件」
  • と呼んでいます。また、
    • 坂邦彦『蘭印法廷(1)』(東潮社、1968)12-13頁では事件名「スマラン慰安所」、
    • 吉見義明「【解説】日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告』(日本の戦争責任資料センター『季刊戦争責任研究』4号、1994年)44頁の本文中で「(…)、1944年2月にはじまったスマラン事件であり、(…)」
    • 吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書、1995)は175頁見出し・本文中で「スマラン慰安所事件」、190頁小見出しで「スマラン事件が示すものは何か」
  • としており、本件事件の基礎的資料(と考えられる文献)では、「スマラン事件」ないし「スマラン慰安所事件」を使用しており、「白馬事件」の呼称には言及していない状況です。
  • 以上より、「白馬事件」という呼称は、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには要件「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」を満たしているとはいえず、また事件の呼称としての用例はほとんどないため、「首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。」にも合致していないと考えます。更に、ヒックス(1995)によれば別事件を包含している可能性もあり、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには要件「曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。」に照らしても採用は妥当ではありません。上記要件を満たす記事名の候補としては、上述のとおり「スマラン事件」「スマラン慰安所事件」「スマラン慰安婦事件」「(スマランの)オランダ人慰安婦事件」等が存在し、特に「認知度が高く」、「首尾一貫しており」、「曖昧でない」呼称として「スマラン慰安所事件」の使用が妥当と考えます(「簡潔さ」に関しては「スマラン事件」の方が妥当ですが、後述のとおり「曖昧でない」点において問題があります)。

傍証:論文検索でのヒット数

下記のとおり、CiNii論文検索と、Google Scholarでの検索結果によれば、(甚だ心もとないヒット件数ではありますが)「スマラン慰安所事件」と「スマラン事件」はヒットしますが、他の呼称はヒットしないため、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには要件「見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)」に照らして、「スマラン事件」または「スマラン慰安所事件」の使用が妥当と考えます。

また、「白馬事件」と「スマラン事件」については、別の事件がヒットするため、Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには要件「曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。」に照らして使用は妥当ではないと考えます。

  • CiNii論文検索でのヒット数
    • 白馬事件 0件 別事件が1件ヒット(「白鳥事件」の誤植)。
    • スマラン慰安所事件 0件
    • スマラン慰安婦事件 0件
    • スマラン事件 2件
    • オランダ人慰安婦事件 0件
    • オランダ女性慰安婦強制事件 0件
    • スマラン強制売春事件 0件
    • スマラン強姦事件 0件
    • オヘルネ事件 0件
  • Google Scholarでのヒット数
    • "白馬事件" 0件 別事件が3件ヒット。
    • "スマラン慰安所事件" 1件 吉見(1995)がヒット
    • "スマラン慰安婦事件" 0件
    • "スマラン事件" 3件 別事件が1件ヒット。
    • "オランダ人慰安婦事件" 0件
    • "オランダ女性慰安婦強制事件" 0件
    • "スマラン強制売春事件" 0件
    • "スマラン強姦事件" 0件
    • "オヘルネ事件" 0件

以上です。長文失礼いたしました。ご検討よろしくお願いします。--宇井木辺出夫会話2016年1月23日 (土) 12:14 (UTC)

反対 以前はWikipedia:不快なコンテンツに反しているからという理由で改名提案をして、井戸端で通らないと今度は要するに朝日新聞の言う事は信用できないからというのでは、予断・先入観無しに信頼のおける資料を沢山調べた結果どうしてもより良い名前があるから改名というわけではなさそうですね。

秦郁彦著『昭和史の秘話を追う』p.295には、町田敬二『戦う文化部隊』1967年、からの引用があって、

軍人・軍属や進出企業の日本人たちは、内地よりも豊かな衣食住に恵まれたばかりか、白人や混血の女性をチンタと呼ぶ愛人として囲ったり、現地人女性の売春宿に通う物も少なくなかった。大矢壮一、大木敦夫、富沢有為男ら宣撫要員として徴用された文化人たちの間では、白人女性を珍重する「白馬会」というグループも生まれたという。

と、当時のジャワの状況に関して説明されています。『戦う文化部隊』は、古書なのですぐには調べられませんが、こちらに慰安婦資料用 元日本兵の戦記・日記(3)というブログがあり、これ自体は論拠にはできませんが、後藤基治の『海軍報道戦記』にも「白馬会」に関して記述がある模様です。1975年の古書ですが、2009年にも同名の書籍が出ているようです。内容が一緒かどうかは、両方調べないと分かりませんが。

とりあえず『昭和史の秘話を追う』にある『戦う文化部隊』からの引用箇所を見ただけでも朝日報道は信用できないという主張は崩れるので、普通に信頼のおける情報源として扱うべきです。 --114.181.43.5 2016年1月30日 (土) 07:16 (UTC)

「白馬事件」の出所については結構丁寧に調べたつもりではありますが、提案の主筋は信頼できる情報源(二次資料)においては「スマラン事件」「スマラン慰安所事件」等の呼称が最も一般的であり(『白馬事件』の呼称に言及している文献でも「白馬事件」を呼称として用いている文献はほとんどない(秦郁彦の著書以外では確認できず、秦郁彦の著書でも「スマラン事件」「スマラン慰安所事件」を呼称として併用している))、また「スマラン事件」「白馬事件」は曖昧さに関しても問題があるのでWikipedia:記事名の付け方に照らして「スマラン慰安所事件」の呼称が妥当という点ですので、その点について論拠を述べてください。
  • 上述のとおり、朝日新聞の1992年7月21日の記事も、刑務所の中で受刑者たちが『白馬事件』と呼んでいた、と紹介しているものの、事件の呼称としては使用していません。
  • 町田敬二『戦う文化部隊』の記述については検証済で、内容の大略(本件事件の事件名に言及したものではないこと)は上に書いてあるのでお読みください。
  • 後藤基治『海軍報道戦記-連合艦隊長官謎の殉職』(新人物往来社、1975)p.75-78の記述も、第16軍の宣伝班の人たちが「白馬会」というクラブを作っていたら、内地から赴任してきた将校が本当に乗馬クラブだと思って入会希望してきた、という話で、町田敬二『戦う文化部隊』にあるのと同じ話で、本件事件の事件名に言及したものではありませんでした。
  • IPユーザーさんは、秦郁彦『昭和史の秘話を追う』(PHP研究所、2012)は確認されたようですが、本件事件は「白馬事件」と呼ばれていましたか?別の呼び方はされていませんでしたか?--宇井木辺出夫会話2016年2月2日 (火) 09:02 (UTC)
コメント どう主張を組み立て改名議論をなさるつもりなのか明確にしていただければと思うのですが、「白馬事件」という名称は
  • 『朝日新聞』1992年7月21日夕刊11面、1992年8月30日朝刊9面
  • 『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』p.211
  • 『性の奴隷 従軍慰安婦』162頁
  • 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』p.217,220,221
  • 秦郁彦『昭和史の秘話を追う』p.289
のような出典の中で用いられているにも関わらず、宇井木辺出夫さんは、実際には当時の日本軍関係者の間で「白馬事件」という名称などは用いられてなどいないと主張するのでしょうか。出典に基づいて議論というのではなく、出典の記述内容を否定する議論というのはウィキペディアですべき事でしょうか。もし宇井木辺出夫さんが歴史の専門家というのであれば、ご自分で著書を出版なさって「白馬事件という名称など使われていなかった」の旨を記していただければ、そういう意見も記事に反映されるでしょう。単純には、当時のジャワで白人女性が白馬と称されていたという複数の出典があるのでこれが傍証となり、オランダ人女性を強制連行し売春を強要した事件が白馬事件などとは呼ばれていなかった、のような主張をするのは苦しいのではないかと思います。
「別の呼び方はされていませんでしたか?」に関してですが、本事件が文献により複数の名称で呼ばれているのはもちろん存じております。しかし本記事は、当時の日本軍関係者が呼んでいたと複数の文献が記しているので間違っているとは考えにくい名称で最初から立項されていますので、後の時代に幾つかの別の呼び方が現れ、そのうちで宇井木辺出夫さんは「スマラン慰安所事件」の呼称が妥当と考えているというのでしたら、わざわざ改名する理由にはならないでしょう。
『慰安婦と戦場の性』で p.217,220,221 と3回も白馬事件の呼称を使っている秦郁彦氏は別の著書『昭和史の秘話を追う』 p.289 でも白馬事件の呼称を使っていますが、その秦郁彦氏の著書を根拠に「別の呼び方はされていませんでしたか?」として白馬事件の呼称を否定するのでは出典の使い方が改名に利する目的で都合よすぎではありませんか。その理屈なら、なぜ秦郁彦氏の「のちに『白馬事件』と呼ばれたスマラン慰安所の強制売春事件」という”別の呼び方”を根拠に本記事は”スマラン慰安所の強制売春事件”に改名すべき、としなかったのかという事になってしまいます。
「事件に1対1に対応していない」という主張に関してですが、本記事をスマラン慰安所事件に改名することで、バタヴィア裁判第69号事件とバタヴィア裁判106号事件のどちらに1対1対応するように改善されるのでしょうか。--220.220.110.187 2016年2月6日 (土) 06:50 (UTC)
主張は上段で「組み立て」て書いてあるので、お読みください。繰り返すと記事が長くなるので、繰り返しはしません。
『当時の日本軍関係者の間で「白馬事件」という名称などは用いられてなどいない』とは主張しておりませんで、「『白馬事件』は信頼できる情報源において一貫して最もよく使われている名称ではない」というお話です。また副次的に「当時」っていつなの、「日本軍関係者」って誰なの、出典もよくわからないな、というお話もあり、指示内容も不明確なので、「曖昧さ」の問題もあると。『朝日新聞』1992年7月21日版の「刑務所で戦犯受刑者が呼んでいた」という記述は、「当時日本軍関係者が」という表現よりは時と場所が限定されており、それなりに信ぴょう性はあると思いますが、話の出元としている元受刑者Aさんの話の詳細版(同紙1992年8月30日版)には呼称の話が出てこないので、出所は違うのではないか、と思っています。(出所調査のお話は利用者:Dwyさんからご要望があったように記憶しておりますが、それなりにご納得いただけていますでしょうか。といっても、まだ出元を突き止めたわけではないのですが。。)
当時(1942年頃でしょうかね)のジャワで白人女性と性交することを「白馬に乗る」ことに例えていたことに言及している文献があったとしても、それは「『白馬事件』という呼称が、この事件に関する、信頼できる情報源において一貫して最もよく使われている名称である」ことの証左にはならないでしょう。「飛躍がある」とは思われませんかね。。
秦郁彦が「白馬事件」を呼称として使っている例があることは、上にも書きましたし、知っていますが、秦以外の著書では呼称として使っている例はほとんどないでしょう。上にあげた情報源の中から「白馬事件」の呼称に言及のある文献ばかり集めてきて「使っている例がある」と言われても、「最も頻出する」わけではありませんし、「一貫性がある」ともいえないと思います。IPユーザーさんがバッサリ捨象された、この事件のことを「白馬事件」とは呼ばず、「スマラン事件」「スマラン慰安所事件」と呼んでいる文献は、利用者:Takabegさんが挙げられたものも含めて上にたくさん挙げてありますし、秦も「スマラン慰安所事件」の呼称を併用しているので、「スマラン慰安所事件」を使った方がWikipedia:記事名の付け方の最頻出、一貫性の基準に照らして妥当だと思いますよ。
『朝日新聞』1992/7/21・1992/8/30とヒックス『性の奴隷従軍慰安婦』と『ジャンの物語』の倉沢の解説では、「白馬事件」と呼ばれていた、と紹介していても、事件のことは別の呼び方で呼んでいて「白馬事件」とは呼んでいませんから、アンカウントでお願いします。
69号と106号に関しては、両方に対応することになると思いますけど、記事内で区分して書けば問題ないだろうと思っています。
まぁ、ちょっと、他の方の意見もお聞きしたいですね。--宇井木辺出夫会話)(署名のやり直し)--宇井木辺出夫会話2016年2月7日 (日) 11:08 (UTC)
  • 賛成 これまでに提示されている情報で判断する限り、「白馬事件」よりも「スマラン慰安所事件」の方が一般的な名前のように見えますので、改名に賛成します。--Dwy会話2016年2月7日 (日) 13:52 (UTC)

コメント 主張を変えられては困りますね。宇井木辺出夫さん自身が改名提案の際に、わざわざ強調文字で

『朝日新聞』1992年7月21日版では『白馬事件』は事件の元被告・受刑者が、収監中に用いていた呼称としているが、同紙1992年8月30日版の元被告・受刑者の話の中では言及がなく、内海愛子氏のコメントとして『関係者がこの事件を「白馬事件」と呼んでいた』と記載されており、出所に関する説明が一貫していないし、『朝日新聞』の記述内容を裏付ける資料は見つからない

とまでボロクソに書いていたのに、今度は

『当時の日本軍関係者の間で「白馬事件」という名称などは用いられてなどいない』とは主張しておりません

ですか。これでは議論として成立しているとは認めがたいですね。主張は上段で「組み立て」て書いてある、とおっしゃるのでしたら、白馬事件という名称は正しいのか否かは答えていただけますか。

  • 名称としては白馬事件は別に間違ってはいないが、より良い名称があるので改名を提案する
  • 白馬事件は間違っているまたは信用できないからか改名提案する

このあたりを曖昧にしたまま反論しずらいようにして改名議論を進められては困ります。

フローレス島事件など、他の裁判も含めた呼称で、本件事件に1対1に対応していない、という解釈

という主張も改名提案では強調されていましたが、これは

69号と106号に関しては、両方に対応することになると思いますけど、記事内で区分して書けば問題ないだろうと思っています。

という宇井木辺出夫さん自身の言葉により否定されたものとしてよろしいですね? どうも主張が一方的と言いますが、改名のために何としてでも白馬事件の粗探しをしようと試みるも、それは他の名称でも一緒、な主張が目立ちますね。

Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」に原則が書かれていますが、ここには「例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。」とありますが、今度の改名提案で長々と主張していらっしゃる事は、宇井木辺出夫さんが色々な資料を調べた結果、『朝日新聞』・『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』・『性の奴隷従軍慰安婦』・『昭和史の秘話を追う』に登場する白馬事件の表記はダメだという結論に至りましたと主張しているのと一緒で、これでは独自研究そのものだという事にお気づきでないようですが、独自研究に基づく信念を根拠に改名など認められるわけがないでしょう。

『朝日新聞』1992/7/21・1992/8/30とヒックス『性の奴隷従軍慰安婦』と『ジャンの物語』の倉沢の解説では、「白馬事件」と呼ばれていた、と紹介していても、事件のことは別の呼び方で呼んでいて「白馬事件」とは呼んでいませんから、アンカウントでお願いします。

宇井木辺出夫さんは、こういう発想はチェリー・ピッキングそのものだ、という方もお気づきになっていないようですね。この調子ですと、幾ら沢山の資料を調べた所で利する所は無いかと存じます。

『白馬事件』は信頼できる情報源において一貫して最もよく使われている名称ではない

本事件は「スマラン慰安所事件」と一貫した表記がされていますか? 例えば『「慰安婦」強制連行』ではスマラン事件の表記がされており桜倶楽部事件、マゲラン事件、フロレス島事件と区別がされています。『折られた花』では特定の名称では呼ばれていないものの「強制売春」とされていますね。国会の質問でもスマラン事件の表記があります。(他の表記もありますが) 書籍でも、手元にはありませんが歴史の一齣へ <スマラン事件>最後の証言これが「慰安婦」事件を裁いた軍法会議の証拠だ(第3弾)スマラン事件[含 スマラン事件 尋問調書 ]など、書名にスマラン事件の表記がされている本さえ複数があるようです。宇井木辺出夫さんも当然このような事 (スマラン慰安所事件とて貫した表記ではない) は知っていた上で、『白馬事件』は信頼できる情報源において一貫して最もよく使われている名称ではないとしてスマラン慰安所事件に改名すべきと議論なさっているようですが。

「白馬事件」は間違いだとは主張せず本事件に関して使われている名称のひとつである事は認める、「スマラン事件」や他の名称もあるが「スマラン慰安所事件」が最も優れているのでそちらに改名すべきという事でしたら、なにぶん宇井木辺出夫さんが長文失礼いたしましたと1月23日12:14 (UTC)に提案なさった際の主張・論点とは大きく異なってきてしまっていますし、間違っているわけではない名称で最初から立項されている記事名を改名するからには独自研究でもチェリー・ピッキングでもない根拠と改名する事で何が改善・解決されるのかの理由付けが必要ですから、いちど改名提案を出しなおすか、それをしない場合は論点の整理 (1月23日の主張内容のどれは撤回してどれは残してどれは新たに主張するのか) をしていただけますか。 --220.220.110.187 2016年2月11日 (木) 09:11 (UTC)

  • 主張を変えたつもりは全くありませんが、白馬事件の出所調査については利用者:Dwyさんに確認いただけましたし、論点を増やしてもしょうがないので取り消ししておきます。
  • チェリー・ピッキング云々は、例えば
スマラン慰安所事件‐オランダ軍バタビア裁判69号  (…)被害者が白人女性だったことから、日本人の間ではこの事件は「白馬事件」という下卑た名で呼ばれていた。(…)
(井上ほか『BC級戦犯を読む』日経新聞社、2010、p.153)と書いてあったとき、「この情報源ではこの事件を『スマラン慰安所事件』と呼んでおり、『白馬事件』とは読んでいない」と解釈するのは、通常の日本語読解の域を出ないと思いますよ。逆に、この記述から「信頼できる情報源では『白馬事件』が呼称として使われていて、それが最も有力」と解釈する方が問題あると思います。
  • 結局、IPユーザーさんも、秦郁彦以外には、「白馬事件」を呼称にしている情報源は確認できなかったということでよろしいでしょうか。。
  • スマラン事件」は「スマラン慰安所事件」よりも「簡潔さ」において優れていると思いますが、他に「スマラン事件」と呼ばれている事件があって既に立項されているから、「曖昧さ」で問題がある、と上に書いてありますが、お読みいただけていないのでしょうか。
  • 他の方からは、特に反対意見はございませんでしょうか。(反対意見を述べられる際には、方針に沿って論拠を述べていただきたく、またソックパペットを使うのは「他の方」にはなりませんので、ご注意ください。。)--宇井木辺出夫会話2016年2月14日 (日) 12:39 (UTC)
他の方からは、特に反対なし、ということでよろしいですかね。そうしましたら、編集履歴の少ないIPユーザーさんは反対されていますが、上記の改名提案の主論・傍論に対してガイドラインに即して有効な反対論とまではいかなかったとみなし、利用者:Dwyさんからはご賛成いただいておりますし、利用者:Takabegさんも改題前には賛成しておられましたのでおそらく反対はなさらないだろう、という状況をもって、改名させていただきたいと思います。長らく議論にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。--宇井木辺出夫会話2016年2月21日 (日) 10:19 (UTC)
チェック 一応更に1週間待ちましたが、編集履歴のほとんどない(というか、今度のIPは全く編集履歴がないみたいですが)IPユーザーさん以外からは特段反対のご意見もありませんでしたので、改名しました。なお、議論終了宣言後のIPユーザーさんの編集は、可読性を考慮して別項に移しました。--宇井木辺出夫会話2016年2月29日 (月) 07:08 (UTC)

『「白馬事件」から「スマラン慰安所事件」に改名提案』の議論終了宣言後に行われた、編集履歴のほとんどないIPユーザーさんによる編集

  • 議論の終了宣言後に、それを無視する形で行われた編集履歴のほとんど(というか、全く)ないIPユーザーさんの編集内容については、可読性向上のため、別項に区分させていただきます。他の利用者さんから何か意見があるかな、と思ってウェイトしていましたが、別に編集履歴のほとんどないIPユーザーさんやそのソックパペットさんに連続投稿してほしい、という意図ではございませんので、悪しからずご了解ください。--宇井木辺出夫会話2016年2月29日 (月) 07:08 (UTC)
12月頃よりWikipediaどころではない状況で調査や議論に時間が割けずご迷惑をおかけしています。教えていただければと思うのですが、上の「スマラン事件」の節で「その際には本記事との曖昧さ回避措置を取らせていただきたく存じます。 --Eine kleine 2007年10月28日 (日) 00:54 (UTC)」とある通りで、例えばWikipediaには「港区」は東京都・名古屋市・大阪市と3つ記事がありますので、この記事が「スマラン事件」に改名されたとしても何ら問題は無い筈です。前述した通り、「スマラン慰安所事件」とて定まった名称とも言い難く、CiNii論文検索でのヒット数は、白馬事件 0件は了解しましたが、スマラン慰安所事件 0件で、スマラン事件 2件とありますよね。前述の『「慰安婦」強制連行』でもp.6で「スマラン事件」とあります。このように、『「慰安婦」強制連行』のような、本事件に関して裁判過程を含め非常に詳細に書かれている文献で「スマラン事件」の表記が使われているのに、こういうのは無視して他の資料を沢山持ち出すというのもどうかと思いますが、結局は「曖昧さ」で問題があるからスマラン慰安所事件しかない、という論法であれば、結局は「スマラン事件」「スマラン慰安所事件」「スマラン(の)慰安婦事件」「サマラン(=スマラン)の事例」「スマランでのオランダ人慰安婦事件」「オランダ女性慰安婦強制事件」など様々な名称の中から、「スマラン慰安所事件」を選んだのは、要するに個人的な考えに基づいているに過ぎないのではありませんか? --118.21.11.27 2016年2月21日 (日) 14:32 (UTC)
「白馬事件」が最頻出ではない、という点についてはご納得いただけたようで、よかったです。「スマラン(の)慰安婦事件」や「スマランでのオランダ人慰安婦事件」なども、「最頻出」や「一貫性」の要件に合致していない、と上に書いたと思いますが、お読みいただけていないのでしょうか。だから、「スマラン事件」「スマラン慰安所事件」以外は候補から除外していただいていいと思います。CiNii検索では「スマラン事件」しかヒットしませんが、IPユーザーさんが言及されていないGoogle Scholar検索では「スマラン事件」と「スマラン慰安所事件」がヒットしています。
「スマラン事件」は曖昧さを含んだベースでは最も簡潔だと思いますが、「曖昧さ回避」のため「スマラン事件 (慰安所)」とか「スマラン事件 (1944年)」とかいう名前にするよりは、「スマラン慰安所事件」の方が「簡潔さ」において優れていると思います。その意味では、「曖昧さ」を排除した記事名の候補の中では、『スマラン慰安所事件』が最も「簡潔」といえると思います。
「忙しいから編集しない」のは全く迷惑に感じませんが、「忙しいから他の人の編集は読まずに、自分の書きたいことだけを書き、結果として既に書いてあることを他のユーザーに何度も繰り返し答えさせる」のは非常に迷惑に感じます。
改名提案をするのは「個人の考え」には違いありませんが、それに対して一定ご賛同もいただき、編集履歴のほとんどないIPユーザーさん以外からは特段反対のご意見もありませんでしたので、改名することになりました。--宇井木辺出夫会話2016年2月29日 (月) 07:08 (UTC)
コメント それから、「スマラン慰安所事件」に改名してしまうと、現状の白馬事件よりも、一層曖昧になるというより明らかな間違いにも近いレベルの、誤解しかしようのない記事名になってしまうという意味で改悪になりませんか。というのは
スマラン慰安所」なる物は存在しない
からです。このような誤解は、例えばTHE FACTS#事実3で、すぎやまこういち、屋山太郎、櫻井よしこ、花岡信昭、西村幸祐の5人で構成された「歴史事実委員会」が、慰安婦問題に関して『ワシントン・ポスト』(2007年6月14日付)に出した意見広告にある
On the island of Semarang in the Dutch East Indies (now Indonesia), for instance, an army unit forcibly rounded up a group of young Dutch women to work at a "comfort station."
訳文: 例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)、スマラン島では、一陸軍部隊がオランダ人若い女性の一団を強制的に拉致し「慰安所」で働かせていた。
ですが、ここの 「a "comfort station."」とは何か、という点でも見られます。この意見広告は、island of Semarang すなわち「スマラン島」という言い方からして事実誤認ですが、それは目をつぶるとしても、「a "comfort station."」とあれば、誰がどう見ても、「慰安所は一つで、そこで強制連行が起きた」と解釈せざるを得ないでしょう。ところが実際にはスマランは港町で、強制連行の上で監禁・強姦された場所は「将校倶楽部」「スマラン倶楽部」「日の丸倶楽部」「青雲荘(または双葉荘)」の4箇所です。(『「慰安婦」強制連行』p.18) 文献を調べなくても、本記事に「4つの慰安所」と書かれているので、Wikipedia を注意深く読む人なら「実は4箇所」と正しく解釈するかもしれませんが、「スマラン慰安所事件」と改名してしまえば、普通の人は、「スマラン慰安所で起きた事件なのか」としか解釈のしようが無くなるので、曖昧さが改名理由だと言うなら、「スマラン事件」や「白馬事件」が曖昧さに関して一切の問題が無いとは主張しないものの、「スマラン慰安所事件」に改名してしまえば、曖昧さに関しては最悪で、「スマラン事件」や「白馬事件」よりも悪いとしか言いようがありません。いったい誰が「スマラン慰安所事件」の名称で「実は4箇所」かつ「スマラン倶楽部で起きた事件というわけではない」と理解できますか。
スマランで起きた武力衝突事件が「スマラン事件」で立項済みだから本記事の「スマラン事件」への変更は不可という主張ですが、それはWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避が必要なものにある通りで、スピードというトランプのゲームがあるから映画のスピードは同じ名前の記事にすると曖昧だから「バス、まっしぐら。」に改名しようというのと同じような理屈で何ら改名理由にはなりません。武力衝突事件と売春強制事件は区別できると思いますが、むしろインドネシアで戦時中に起きた同様の強制連行事件の記事との整合性を重視すべきと思います。
  • 櫻倶楽部事件は宇井木辺出夫さんの立項ですか。ありがとうございます。とこで、櫻倶楽部で起きた強制連行事件を「櫻倶楽部事件」として立項した以上、本記事の事件名を「スマラン慰安所事件」とするなら、「スマラン慰安所」が無ければ整合性が取れなくなり、一層の誤解を招くだけです。それとも「櫻倶楽部事件」は「櫻倶楽部慰安所事件」にする、そうでなければ「スマラン慰安所事件」ではなく「スマラン四ケ所慰安所事件」あるいは「将校倶楽部・スマラン倶楽部・日の丸倶楽部・青雲荘事件」としなければ整合性が取れなくなります。
  • フロレス島事件は、強制連行を憲兵が直接行った事件でフロレス島のどこかは特定できていませんが (軍の飛行場と基地があったマウメレと考えられる。『「慰安婦」強制連行』p.18) これとて、フロレス島慰安所事件と改名提案するわけではないでしょう。ですから、スマランだけ「慰安所」の字を入れなければ絶対に駄目だと言い張るのがおかしいです。「スマラン慰安所」は存在しないのですから、なおのことおかしい。
  • マゲラン事件も宇井木辺出夫さんの立項ですか。ありがとうございます。ところで冒頭に
戦後、関係者がBC級戦犯裁判で起訴されたが、無罪となった。
この記事の主な出典は、山本 & ホートン (1999, p. 118)、ヒックス (1995, p. 141)およびオランダ政府 (1994, pp. 51-52)。
とあり、記事冒頭を見るとまるで事件など存在しなかったかのような印象を受ける書き方ですが、今から記事に書くなら、20世紀の書籍より2006年の『「慰安婦」強制連行』p.63-102 から書くべきでしょう。p.66 には
公判ではここの収録したものも含む一四の尋問調書が読み上げられている。ところが、被告はマゲランにムンティラン抑留所の女性たちが連行された売春所が存在する事を一切知らなかったと主張し、反証が無いためそれが認められ、この件では無罪になっている。またこの判決で「マゲラン事件」が戦争犯罪行為であることも認定されているが、この事件関連では能崎以外に起訴された者はなく、したがって同事件での有罪判決は下されていない。州長官ら責任者を取り逃がしたようである
とあって尋問調書も載っています。『「慰安婦」強制連行』を見ると、この事件は真っ黒もいい所なんですが。私も以前は知りませんでしたが、今さら『季刊戦争責任研究』から書いているようでは調査不足では。なぜなら
  • 『季刊戦争責任研究』は、オランダ政府館調査報告書の、オランダ語から日本語に訳せなかったので非公式の翻訳を二重翻訳したもの
  • 『「慰安婦」強制連行』は、オランダ語から日本語に直接訳し直したもので、『季刊戦争責任研究』第4号の内容は全て翻訳修正されている。
『季刊戦争責任研究』は、記事は編集するがこの資料など調べないと頑張って論を張った人も居たぐらいで、やや入手性し辛いですが、『「慰安婦」強制連行』の方が新しく、内容が網羅的で、正確性がアップしています。しかも入手し易いとあれば、検証が容易な資料を使わない手はありません。『季刊戦争責任研究』は、当時としては有用性が高かったものの、少なくとも裁判関係の記述に関しては役目を『「慰安婦」強制連行』に譲ったと言えるでしょう。
ところで、私はTHE FACTSの主張については「世界に恥を晒してくれた、各国から非難決議が相次ぐのは当然だ、歴史に目を背けるなら今に歴史を繰り返すぞ」と著しく不快に感じましたが、宇井木辺出夫さんはどのように感じられましたか。地元の図書館には、インドネシアの件ではないですが「強制連行は無かった」的な否定本が何種類もありましたし、ノート:植村隆どでは凄まじい議論になりました。こういう人たちがWikipediaにいらっしゃるので、この記事などはとりわけ百科事典というより政治・信条の対立となりやすいですが、やはり宇井木辺出夫さんはどうしても「慰安所」の3文字を入れたいですか。宇井木辺出夫さんにも、こちらを伺いたく思います。
ジャン・ラフ=オハーンは慰安婦なのか否か
これに関しては、桜田義孝元副文部科学相、現在は自民党の行政改革推進本部長のような政府の有力者が「「慰安婦は職業」発言 桜田氏、後に撤回」という件がありましたが、更迭などはされていないようです。一方、こちらの議論でも
ジャン・ラフ・オハーンさんか慰安婦であったことに疑問の余地はありません。なぜなら、ご本人がそうおっしゃっているから。こんなことは、2007年のアメリカ下院の公聴会での証言内容とか、ちょっと調べればわかることです。--Dwy(会話) 2016年1月19日 (火) 14:08 (UTC)
という認識だった方もいらっしゃるので、サンプルが少なくて恐縮ですが、やはり「慰安所」の3文字を入れる改名をWikipediaがする事で「スマラン慰安所事件」の名称が一般化し、ジャン・ラフ=オハーンさんなど勇気をもって実名で名乗り出た本事件の被害者に対し、慰安所事件 → 慰安婦だった → 慰安婦は職業売春婦、という誤解を社会に広める方向で存命の人物に事実無根の名誉棄損と犠牲者バッシングを招く点で不利に作用する改名であるのも賛成しがたい理由です。先月の天皇、皇后両陛下がフィリピンへを訪問した際のニュースに、同国での日本人戦没者は51万8000人。戦闘に巻き込まれて亡くなったフィリピン人は100万人を超えるとされる。とありましたが、日本は戦争の加害国なんだという事実を忘れるべきではないでしょう。 --118.21.11.27 2016年2月26日 (金) 12:51 (UTC)
IPユーザーさんは『「慰安婦」強制連行』を読まれたようですね。同書では「スマラン事件」と呼んでいると思いますが、その呼称の問題点については既述のとおりですので、お読みください。
他の記事や『「慰安婦」強制連行』を読まれたのであればおわかりだと思いますが、「櫻倶楽部」は「1つの慰安所」の名称ではなく、スマランの慰安所についても、4カ所と決まっているわけではありませんので、IPユーザーさんの論点が依拠している『「櫻倶楽部」は1つの慰安所の名称』『スマラン慰安所は4カ所まとめて読んでいる』というのは事実関係を誤認されていると思います。
Wikipedia:記事名の付け方を逸脱した議論をされても答えようがない、というところもあるので、少なくともどの要件に関する議論なのかは明らかにしていただきたいですし、Wikipedia:信頼できる情報源に用例のない記事名を考案されても、それはWikipedia:独自研究は載せないに反するので候補にならない、とと思います。
いずれにしても、せっかく文献をあたられた内容は、記事の編集に前向きに生かされてはどうかと思います。--宇井木辺出夫会話2016年2月29日 (月) 07:08 (UTC)

改名する前に1週間の告知期間をおいてください

Takabeg さんと同じような事をするとは随分と強引ですね。これですと、議論を見ている人の中には「改名側の本当の意図は、慰安所の3文字を入れた名前で日本に普及させる事で事情を良く知らない人を中心に強制連行は無かったと思う人を一人でも増やしたい、では」と思う人も出るでしょう。ところでWikipedia:ページの改名#改名前にすべきことには、

提案から実際に改名するまでは、1週間の告知期間をおいてください。ひょっとしたらその間に反対意見が出るかもしれません。反対意見が出たときは、議論を行って合意形成を図ってください。

とあるのですが、宇井木辺出夫さんが (→‎「白馬事件」から「スマラン慰安所事件」に改名提案) としたのが2月14日12:39‎(UTC)。それに対し、私が反対意見を述べたのは2月21日14:32‎(UTC)ですが。ここの1週間を、60分x24時間x7日と解釈すれば、それより1時間と53分ばかり遅れてしまったのは申し訳ないですが、日曜に宇井木辺出夫さんが仕切り直しで改名提案をなさって、翌週の日曜の夜に私が意見を書いているので、これですと「1週間の告知期間をおい」た上で改名したとは言い難いのではありませんか。ちょうどプライベートでも色々あって平日はとても書けず、土曜に書こうと思ったものの書けず、これでは議論は無理かなという考えもよぎりましたが、ここで投げ出せば、Wikipediaはいつでも時間が有り余っている利用者の言い分が全て通る百科事典になってしまうと思い、何とか日曜中に異議を申し立てたました。その時はまだ記事移動がされる前の異議表明になります。それにしても

『「慰安婦」強制連行』を読まれたようですね。同書では「スマラン事件」と呼んでいると思いますが、その呼称の問題点については既述のとおりですので、お読みください。

これは一体どういう理屈なんですか。信頼できる情報源、それも本記事に関しては、決定的に重要とも言える『「慰安婦」強制連行』において「スマラン事件」の呼称が使われているのに、宇井木辺出夫さんは、それは問題点があるという独自の見解を持っているので出典にある呼称など認めない、という事ですか。それは、ドイツ外国人記者協会会員の梶村太一郎や元オランダのライデン大学教授だった村岡崇光が著した書籍など間違っていて自分の意見の方が優れているという主張でしょうか。それとも「その呼称の問題点」というのは、私が前回に述べたように映画のスピードは曖昧で問題だから「バス、まっしぐら。」に改名しなければ、というのと似た意味でしょうか?

私は、「スマラン事件」であれば特に反対はしません。決定的に重要とも言える出典で用いられている、他の出典でも用いられている、CiNii論文検索でもこちらが多い、ジャン・ラフ=オハーンさんら被害者の尊厳を毀損する恐れが無い等で、もし改名するのであれば「スマラン事件」とすべきでしょう。

それから、宇井木辺出夫さんは

スマランの慰安所についても、4カ所と決まっているわけではありません

との事ですが、その根拠はどこにありますか。『「慰安婦」強制連行』p.18 の記述は不正確だというのでしょうか。慰安所が4つあった事を正しく理解していれば「スマラン慰安所事件」という名称は使わないでしょう。--118.21.11.27 2016年3月1日 (火) 13:40 (UTC)

  • ほとんど編集履歴のないIPユーザーさんは1週間以上経ってから編集されており、ほとんど編集履歴のないIPユーザーさん以外の方からは1週間以上反対意見をいただいていないのを確認して終了宣言しておりますので、『改名までに十分な期間を置いていない』というのは、あたらないと思います。
  • 「スマラン慰安所事件」は「スマラン事件」よりもやや長い名称ですが、信頼できる情報源ではよく使われています。最初に「スマラン慰安所事件」と呼んでおいて、あとは「スマラン事件」と呼んでいる文献は多いです(たとえば、吉見(1995)『従軍慰安婦』、秦(2012)『昭和史の秘話を追う』など)。「スマラン事件」は、この記事の冒頭でも指摘されているように、本件事件の翌年に発生した事件の名称として使われており、文脈によって2事件が同時に扱われることもあって紛らわしいので、最初から区別することが意識されているのではないでしょうか。
  • 『「慰安婦」強制連行』p.18には、慰安所の名称や数への言及はないと思いますが、参照頁違いなどはありませんか。
  • 「4箇所ではない」根拠は、例えば『「慰安婦」強制連行』p.132-137のスマラン事件の証人は、最初4箇所の慰安所以外の「De Wilde旅館」という場所で働かされています。桜倶楽部事件については、発生場所は桜倶楽部だけでなく、あけぼの食堂も含まれていたとされています。結局、IPユーザーさんのおっしゃるような、「事件名は1つ1つの慰安所の名前に一対一に対応していなければいけない」というようなスタンスは、「信頼できる情報源」では最初からとられていないし、それで事件名がNGとされることもない、ということだと思います。
  • 『「慰安婦」強制連行』の著者の梶村さんは、同書152頁において、自分は『週刊金曜日』で資料の要旨を紹介したが、資料の内容の分析は内海愛子氏など専門家の仕事だ、ということを書いておられますから、
  • もし『「慰安婦」強制連行』の内容を信じるなら、内海愛子氏のような専門家の意見に従ったほうがいいし(内海氏の呼び方は「スマラン慰安所事件」)、
  • もし『「慰安婦」強制連行』の内容を信じないなら、「スマラン事件」である必要はないので、
どちらにしても「この本が決定的だ」とか、「スマラン事件」と呼ぶ必要性があるとは思いません。
というわけで、「スマラン事件」が「最頻出」かつ「一貫性」のある唯一の候補ということはありませんし、他に要件を満たす候補がある以上、「曖昧さ」で問題含みな名称を積極的に使う理由がないと思います。--宇井木辺出夫会話2016年3月6日 (日) 15:28 (UTC)
下の議題を追加するにあたり、上の2つの話題のインデントを下げました。また「改名する前に1週間の告知期間をおいてください」というのは虚偽情報の記載にあたると思いますので、取り消し願えませんでしょうか。取り消しいただけないようなら、こちらで取消線を引かせていただきます。--宇井木辺出夫会話2016年3月24日 (木) 10:33 (UTC)