1941年から1944年にかけてのドラジャ・ミハイロヴィッチ
ドラジャ・ミハイロヴィッチ (Draža Mihailović,1893年4月27日 - 1946年7月17日)は、ユーゴスラビア王国の軍人。武装抵抗組織「チェトニック」の指導者。セルビア人。
ユーゴスラビア王国の将校だったが、1941年にナチス・ドイツが侵攻すると山中に逃れ他の生き残りとともにチェトニックを結成し指導者になる。王党主義者で反共主義者だったためチトーのパルチザン部隊と枢軸国に支えられたウスタシャと戦った。1945年5月8日にチェトニックは崩壊。逃亡するが、翌年に逮捕され、連合国から助命を嘆願されたがチトーは応じずベオグラードで処刑された。
関連作品[編集]