トンプソン・ツインズ

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トンプソン・ツインズ
1984年2月撮影
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド シェフィールド
ジャンル
活動期間 1977年 - 1993年
レーベル
旧メンバー
  • トム・ベイリー
  • アラナ・カリー
  • ジョー・リーウェイ
  • ピート・ドッド
  • ジョン・ルーグ
  • マシュー・セリグマン
  • クリス・ベル
  • ジェーン・ショーター
  • アンドリュー・エッジ
  • ジョン・ポドゴルスキー
  • ロジャー・オドネル
ジョー・リーウェイ
アラナ・カリー

トンプソン・ツインズ英語: Thompson Twins)は、イギリスのバンド。

略歴[編集]

1977年トム・ベイリー英語版(ボーカル、ベース)を中心にシェフィールドで結成。当時流行のニュー・ウェイヴ・バンドとして、後にロンドンで活動するようになる。1981年のデビュー当時は、トム・ベイリー、ピート・ドッド、ジョン・ローグ、クリス・ベル、ジョー・リーウェイ英語版アラナ・カリー英語版マシュー・セリグマン英語版、7人編成であった。1982年にシングル「イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」がヒットするが、その直後にバンド内で不和が起こり、ベイリー、ジョー・リーウェイ、アラナ・カリーの3人編成となった。

1983年からはシンセポップ色を強め、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗り、「ホールド・ミー・ナウ英語版」、「レイ・ユア・ハンズ英語版」などのシングル・ヒットを飛ばす。ポップで親しみやすい音楽性でアメリカを始め世界各国で幅広い人気を獲得した。

1986年にリーウェイが脱退、その後、セールスが落ち込んだ。1991年にベイリーとカリーは結婚しニュージーランドに移住。1993年にトンプソン・ツインズの解散を発表した。現在はベイリーとカリーは離婚し、どちらもイギリスで生活をしている。

2014年、ハワード・ジョーンズミッジ・ユーロらとともに27年ぶりのツアーを敢行、トンプソン・ツインズの楽曲を披露したことが大きな話題となった。11月末から12月初めにかけて、トム・ベイリーが来日、東京・大阪で28年ぶりに公演予定。

2020年4月、新型コロナウイルス感染による合併症でマシュー・セリグマンが死去[2]

出演[編集]

CM[編集]

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • A Product of ... (Participation) (1981年)
  • 『イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ』 - Set (1982年) ※旧邦題『セット』
  • 『サイド・キックス』 - Quick Step and Side Kick (1983年)
  • 『ホールド・ミー・ナウ』 - Into the Gap (1984年)
  • 『フューチュアー・デイズ』 - Here's to Future Days (1985年)
  • 『クロース・トゥ・ザ・ボーン』 - Close to the Bone (1987年)
  • 『ビッグ・トラッシュ』 - Big Trash (1989年)
  • 『クウィア』 - Queer (1991年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Donelson, Marcy. Thompson Twins | Biography & History - オールミュージック. 2020年10月2日閲覧。
  2. ^ Bassist Matthew Seligman Dead of COVID-19” (英語). Ultimate Classic Rock. 2020年4月18日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]